●『京の七夕』二条城、その3
の保養という言葉がある。いわばそれを求めて『京の七夕』の二条城に出かけた。プロジェクター・マッピングによって二条城が若者が喜びそうなカラフルな幻想的ないし抽象的模様で彩られると思ったが、筆者らが出かけた6日にはなかった。



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日替わりで催しが変わるのか、あるいは時間帯で変わるのかとも考えたが、後者は違うようであった。拝観は2時間で、その半ばの午後8時からプロジェクター・マッピングが始まることはあり得ないと思った。というのは、二の丸御殿の前の砂利を敷き詰めた広場では、ずっと大原の人たちの静かなお祭りが披露されていて、彼らの出番がなくなってからその広場にプロジェクター・マッピングの装置をセットし、それを上映するとはとても思えなかった。それで、ひょっとすれば大原のお祭りは連日披露されるのではなく、プロジェクター・マッピングが上映される日もあるかもしれないが、『京の七夕』のホームページやチラシを見ても、二の丸御殿前での催しについては何も記されていない。つまり、筆者が目当てとしたプロジェクター・マッピングは、たとえ上映されたとしてもおまけみたいもので、当初の企画には入っていなかったことになる。また6日に上演された大原のお祭りもそのようで、ホームページやチラシが出来上がってから決まったのだろう。だが、筆者はその大原のお祭りにひどく感激した。今日はそのことを書くが、「その1」の4枚目と今日の1,2枚目がそれら大原のお祭りの様子で、写真の色合いからわかるように、今日の2枚は空が真っ暗になっている。これは、「その1」の4枚目を撮った後、二の丸庭園を回り、それから春と同じように清流園へと入り、やはり春と同じように台所でも琴の演奏を少しだけ鑑賞し、それで時計回りに順路を一周して、また工事現場の白い塀、つまり「その1」の最初の写真の場所に戻って来たのだが、そこに至る100メートルほど北で、ふと右手すなわち二の丸御殿の領域に通じる、人がひとり通れるほどの塀の隙間に遭遇した。そしてちょうどそこから眼鏡をかけた若いキモノ姿の男性がもぞもぞとこちらの方に出て来たので、筆者はてっきりその狭い隙間から向こう側に行けるのかと思ったが、どうやらそれは無理で、こちらに出て来たのは大原のお祭りの関係者であった。それはいいとして、筆者がどきりとしたのは、男がひとりこちら側に出て来たからではなく、その隙間の奥、2メートルほど先に、六角形は八角形の大きな行燈を頭上に載せた人物が数人並んでいるのを見かけたからだ。行燈の中の蝋燭がゆらめき、また人間の頭上に乗っていることによる揺らぎも重なり、そのぼーっと明るい行燈の列が真っ暗闇の中で幽玄と呼ぶにふさわしい情緒をかもしていた。提灯なら見慣れているが、初めて見た複雑な形の行燈で、しかも各面に赤い切り絵が貼りつけてあった。それをカメラで撮影しようかと思った時、隙間の奥に別の男性がいて、「向こうに回れば見られますよ」と言った。それは「ここからは入れませんよ」というのと同義で、人が入って来ることを防止するためにその男性は隙間のすぐ向こうからこちらを見張っているという感じであった。ともかく、その男性の言葉にしたがって、またぐるりと回って二の丸御殿の前に行った。すると、先ほどやっていた盆踊りは終わっていて、次の演目が上演されるというところで、御殿の東に先に見た行燈を頭上に載せた数人が固まっているのが見えた。やがて女性アナウンスがそのお祭りのことを紹介し始め、行燈の列がゆっくると御殿前に出て来たが、それだけはなく、大原女を派手にしたような和服の子どもたちに集団も後に続き、一向は御殿前の広場を時計回りに一周し始め、やがて行燈の列以外の大原女風の子どもたちの列が戻って来て汐汲みの踊りを披露し始めた。それは逐一アナウンスで説明されたが、大原にそのようなお祭りがあることを筆者は初めて知った。そして、なぜ大原のお祭りを『京の七夕』の二条城で披露するかについては、チラシやパンフレットがなく、帰宅してネットで調べるほかなかったが、前知識なしで見た当夜の大原の芸能は心を震わせる素晴らしいもので、プロジェクター・マッピングよりもかえってよかったと思った。
d0053294_2314366.jpg 「その1」の4枚目の写真を盆踊りと書いたが、櫓と言っていい4本の柱で囲った内部に男性が数人いて、江州音頭にどことなく似ながら、もっと落ち着いて鄙びた音頭を歌うその前で20数人の男女が踊っていたからだ。筆者が子どもの頃に大阪で経験した盆踊りはもっと賑やか、華やかであったが、その踊りはいかにも田舎っぽい。しかもマイクで増幅される歌い手の声は、相撲甚句の響きに似て、どことなく物悲しい。その声の響きと、提灯の光で踊る人々を見ていると、現代の京都という気がしなかったが、筆者の隣りで観ていた数人に西洋人はどのように感じていたのだろう。夕暮れであるので、人々の表情はほとんどわからないが、筆者は感動で眼が潤んだ。その踊りは「八朔踊り」というそうで、八朔祭ならわが地元の松尾大社でも馴染みであり、これは秋の収穫を祝うもので、八朔の日に行なう。その日は毎年違うが8月の下旬から1か月ほど後の間で、大原でも当然それらの期間中のある夜に実施されるはずだが、今年は二の丸御殿で少し早く観光客に見てもらおうということになったのだろう。大原は釜風呂で有名で、筆者は30年ほど前に一度か二度そこに行ったことがあるが、それ以外には三千院を訪れた程度だ。その気になればいつでも日帰り出来る場所だが、筆者が見たいというものがない。だが、今回の「八朔踊り」を多少見て、大原が固有の文化を有し、また歴史に翻弄されて来たことがわかった。嵐山や嵯峨にはない難しい立場に地元の人たちがかつて追い込まれ、それを克服しながら芸能を保持して来ているのだが、それらのお祭りを見るために祇園祭のように大勢の人が押し寄せることもなく、昔ながらに地元の人たちだけでひっそりと行なわれるところが、京都の多様さを思い知らせる。家内は時計回りに少しずつ移動して行く踊りの輪を見つめながら、目の前にやって来た70歳ほどの女性の踊り方がとてもきれいで、踊りを昔から学んでいる人だと言った。大原での八朔踊りでも観光客は来るだろうが、二の丸御殿という特別な場所でとなると、踊り手もまた例年とは違う思いであろう。大原は山間部の狭い地域だが、昔から大原女が京都の市中に下りて来ていろんなものを売った。絵画では花や柴を頭に載せているが、市中では珍しいものを持って来たのだろう。今でも夕方以降の四条大橋にはおばさんがひとりで野菜を売りに来ているが、電車に乗れば大原からはすぐに来られるから、その有名なおばさんはおそらく昔で言う大原女だろう。それはともかく、大原の八朔踊りは江文神社に奉納されるというが、この神社のすぐ近くに小松均の美術館がある。筆者は小松均に昔から関心がありながら、またその絵によって大原の里の風景に馴染みながら、八瀬の釜風呂より北には行ったことがない。「神社の造形」への投稿を兼ねて、いずれ大原にも足の延ばし、神社巡りをしてもいいかと思う。車に乗る人なら嵐山から大原は1時間もかからないが、自転車ではとても無理だ。
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 「八朔踊り」は今は2時間ほどで奉納が終わるそうだが、昔は夜通し行っていたという。盆踊りはそういうもので、蕪村の俳句にもそれを歌ったものがある。さて今日の2,3枚目の写真だが、これは八瀬の秋元神社のお祭りで、赦免地踊りと呼ばれる。奇妙な名前だが、これは税を免除されるとの意味だ。八瀬は比叡山の西の麓にあり、今から300年ほど前に比叡山との間で土地の境界を巡って悶着があった。比叡山が主張するその境界は八瀬の人々にとっては死活問題で、それで幕府に訴え出た。その問題に対処し、八瀬の住民側の言い分を聴き入れたのが当時の秋元但馬守で、八瀬の人々は秋元但馬守を祀る神社を造り、毎年踊りを奉納することになった。武士を祀る神社は家康や秀吉、信長だけかと思っていると、このような例もある。また秋元但馬守が八瀬の住民の考えを支持したのは、天皇と関係が深い村でもあったからで、納税を免除されて来た歴史がある。それは後醍醐天皇が幕府の手から逃れるために比叡山に逃げる時、八瀬の人たちが御輿を担いで助けたからで、それ以降納税を免除されることになったという。その話も比叡山に関係するが、山間地であるので地元の住民にしかわからない便利な道や登り方があったのだろう。それはさておき、比叡山との間で村民が窮地に立たされた時、今度は幕府に訴えて助けてもらったのであるから、八瀬は時の権力者と関係の深い土地であった。『京の七夕』で二条城の二の丸御殿の前で踊りを披露するというのは、秋山但馬守の恩を思えば、全く奇異なことではない。むしろ、二条城しかふさわしい場所がない。そういう考えで市長と大原八瀬の住民の間で話し合いが持たれたのだろう。さて、「八朔踊り」の鄙びた風情とは違って赦免地踊りは子どもが参加し、きわめて華やかだ。だが、しずしずと歩き、また蝋燭を点した燈籠が揺れ動くので、これは江戸時代のいわば典型的なライトアップで、LEDが用いられる『京の七夕』に嵌め込まれると、鮮やかな対照を成し、それがきわめて印象深い。今日の最初の写真は前列に2枚目の写真の子どもたちが写るが、これは女子で、燈籠を頭上に載せるのは男子だ。また燈籠は5キロの重さがあって、黒子のように大人が脇に張りついて歩く。この燈籠には赤い紙を4枚重ねて吉祥文様を切り絵で作り、それを貼りつけるが、とても精緻なもので、地元の器用な者が代々受け継いで担当している。筆者の写真ではさっぱりその切り絵が見えないが、赤い紙の切り絵というのは中国の剪紙と同じで、その影響を受けたものではないか。燈籠の形も中国っぽく見えるが、中国から入って来た剪紙の影響を受けたとして、それが八瀬にだけ残っているのは何とも不思議だ。なお、このお祭りは体育の日の前の日曜日に今は開催されるが、その頃は日によっては夜は八瀬はかなり冷え込むのではないか。そのお祭りが8月に二条城前で披露され、今年は八瀬まで見に行く人が増えるかもしれない。また、狭い二の丸御殿前ではなく、八瀬で見ればまた幽玄さは格別で、さらに目に焼き付くだろう。だが、夜の祭りであるから、車でなければ実に行くのは難しいかもしれない。さて、今日の3,4枚目だが、これはチラシにも載っている「竹と光のアート」で、3年前の『京の七夕』の堀川の河川敷には似たようなものが展示されていた。作品に照明を当てて真っ暗になってもわかりやすくしてあったが、まともに鑑賞している人は稀であった。4枚目はピカソが描きそうな牡牛を簾で立体的にしてあって、それが七夕とどういう関係があるのかと思ったが、作者には申し訳ないが、何もないより、目を引く何かがあればいいという感じがした。来場者の目当てはやはり庭の散策で、だだっ広い城の一角に前衛的な竹のアートがあっても目立たない。
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by uuuzen | 2016-08-12 23:14 | ●新・嵐山だより


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