●桂川距離標、その4
石として書いておくということがないわけではないが、このようなブログでは毎日長文であり、また10年以上続けているので、布石として書いたことをわかってもらうには、投稿順にすべてを読み、また覚えていただく必要がある。



それは全く無茶な話で、誰もいない。それに筆者自身がまず書いたことをあまり覚えていない。ただし、読み返すと思い出すし、またなかなかいいことを書いていると自惚れることもある。とはいえ、それはごく稀なことで、めったなことには読み返さない。それどころか、こうして書いていることでも読み返さずに投稿するので、毎日誤字脱字が必ずあると思う。そうした粗も味のうちと開き直らねば、毎日こうして書くことは出来ない。これが新聞雑誌の連載か、あるいはラジオのDJのように、生活する足る収入に結びつけばまた書き甲斐もあるだろうが、無名でしかもどうでもいい日常の雑記となると、読んでもらえることだけでもありがたく思えと言われるだろう。だが、筆者は今では読者はどうでもいい。いや、正確に言えば書き始めた頃からそうであった。何も期待せずに書く。前に金がぶら下がっている方が真剣になり、魅力的なものになるとの意見もあろうが、前に名誉も金も何もないのに書くという態度にも、それなりの迫力めいたものは内蔵されるだろう。それは筆者にしかわからないが、それでもいいという覚悟だ。話がそれた。布石だった。これは布石ではないが、筆者はいつの頃からか、このブログの投稿100回区切りの日に特別のバナーを作ってそれを冒頭に掲げて来た。実はここ数か月は投稿が断続的になっていて、その区切りと予定されていた日の最新がいつかわからなくなっている。そのため、連続投稿の区切りを示すそのマイル・ストーン的な標は、今年1月24日の3900日目以降は休止した状態になっている。1日一度の投稿であるので、その日から100日目がいつかは計算すればわかるが、面倒なのでそれをしていないが、今それをやれば、1月は残りが7日、2月は29日、3月は31日、4月は30日で、これらを合計すると97日となり、4000日目は5月3日か。だが、前述したように、4月以降はまだ全部投稿していない。穴空き状態になっている日は「神社の造形」のカテゴリーに投稿することを決めているが、5月以降はそれ以外のネタも用意していたので、それらを整理、つまり何について何日に書くかと整理する必要がある。「神社の造形」に関しては訪れた神社がすでにたくさんあって、写真も用意してあるので、後は書く時間さえ見つければいいが、それもそれなりに心をそこに向ける気分の用意が必要で、なかなか時間があっても気が乗らないこともある。また脱線したか。いや、そうではなく、思いどおりに話を運んで来ている。
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 さて、今日は2枚のマイル・ストーン的な標石の写真を2枚載せる。最初は去年7月24日に撮った。ちょうど1年後に投稿しようと思いながら、先月下旬はザッパの新譜について連続投稿したので、機会がなかった。2枚目の写真は去年8月17日で、ちょうど1年後にはまだ10日あるが、7月24日と8月17日の中間辺りに2枚使って投稿しようと、先月下旬から予定していた。それが今日になった。この2枚は何で共通しているかと言えば、どちらも渡月橋の際だ。つまり、桂川の起点と言うか、下流から言えば終点だ。文字が刻まれているように、三川合流地点から18キロで、1キロごとにこの標が桂川の両岸に据えてある。その全部を載せたホームページもあるが、筆者は出不精で、地元を中心とし、下流は去年の5月に家内と自転車で見に行った鳥羽上下水道施設までの区間の、しかも右岸の数か所で、鳥羽以南はまだ自転車で走ったことがない。三川合流地点まで18キロということは、往復で36キロ、これは筆者や家内のオンボロ自転車では往復3,4時間ほどだろう。それくらいなら行ってもよいと思うが、もっとほかに目的がなければ試す気になれない。また、渡月橋は観光客がいつでも多いが、三川合流地点はおそらく何もないところで、そんな辺鄙なところを確認しに行くのは何となく億劫だ。それで徒歩ですぐの渡月橋の両岸近くにあるふたつの道標の写真を今日載せることで、この「桂川距離標」のシリーズはひとまず終える。わずか4回の投稿であったが、これが何かの布石になるかもしれない。なるとすれば三川合流点であることを示す標の写真を撮ることだが、実はその場所にはすでに訪れている。三川合流地点は、大山崎山荘美術館のテラスから遠くに眺めることが出来るが、それは桜で有名になった背割り堤で、5年前の春に京阪電車で出かけた。わが家からそこまで行くのに、阪急でまず四条河原町に出て、そこから京阪に乗って八幡市駅まで行く。電車賃は合計で570円、また八幡駅から長い橋をわたるなど、10分は歩く。つまり、わが家からはなかなか遠いという感覚がある。これが自転車なら金がかからず、また電車に乗って行くのとさほど変わらない時間で着くだろう。そう考えると、背割り堤の桜を見に自転車でと考えないでもないが、5年前に行った時は自転車でやって来ている人を見かけなかった気がする。それにあの狭い背割り堤は、歩行者用の道で、自転車で走ってはひんしゅくを買う。あの堤の斜面に三川合流地点から0キロという距離標があるはずで、ま、背割りの桜を再訪した時にはその写真を撮り、またこのシリーズ「その5」とでも題して投稿しよう。そうそう、今日の最初の写真の左に見える標は「琴きき橋跡」とあるが、これは渡月橋から数メートル下流で、「琴聴き橋」が渡月橋の昔の呼び名であったように思われるが、実際はどうなのだろう。それはおそらく誰にもわからないのではないか。渡月橋は昔はもう少し上流にあって、その古い写真も残っているが、当然川幅が狭いところが橋を架けるにはつごうがよい。上流ほどに川幅は狭くなるから、琴聴橋ももっと上流にあったはずだ。琴聴橋は小督庵(こごうあん)とセットになっていて、小督庵跡の石碑は渡月橋上流100メートルほどにあり、たぶんその付近に琴聴橋はあったと思うが、現在の車折神社のお旅所前に小さな石の欄干が設置されていて、そこに「琴きき橋」と彫られている。だが、その欄干は最初からそこにあったかどうかはわからない。たぶん移設したものだ。また、その欄干は小さなもので、現在の桂川に架かっていたものかどうかとなると、天龍寺から桂川に注ぐ流れがあって、そこに架かっていたもののような気もする。ともかく、「琴きき橋」は平安朝に因む橋の名前で、桂川に架かる橋はもっと昔からあって、最初は法輪寺橋と呼ばれたというから、わが自治会内の法輪寺が、天龍寺が出来る以前に勢力を持っていて、その橋で嵯峨方面を行き来していたのだろう。その法輪寺橋があった正確な場所はわからず、今日の2枚の写真の距離標は渡月橋から下流を桂川と呼ぶことに倣ってのもので、また本当に三川合流地点からぴったり18キロかどうかわからない。たぶん区切りのいい18キロを記しただけで、実際はそれより数十メートルは多いか少ないだろう。
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by uuuzen | 2016-08-06 23:59 | ●駅前の変化


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