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●嵐山駅前の変化、その399(マンション)
のないブログを自覚していても特にこの駅前の変化シリーズはそうかもしれない。自己満足というのでもなく、半ば義務で埋め草をしておこうと思っている。



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毎日書いていると認知症になりにくいのではないかと勝手に思っているが、認知症になるかならないかは遺伝が大きく関係するだろう。22、23日と連続で市バスに乗って母の家に久しぶりに行ったが、連日訪れたのは、22日は1時間しか滞在出来なかったからだ。もう少し話しておきたいというのでもなかったが、出かける用事があるならば、ついでに立ち寄ろうと思った。そういうついでを母は嫌うが、80代後半になって最近急に認知症が悪化し始めたようで、ついでに訪れたと言っても以前のように気分を害しない。まだ筆者や家内の顔がわかるし、昔のこともよく覚えているが、昨日のことが思い出せないという。そういう状態になったのはこの数か月だろうか。妹から聞いたが、出町に買い物にひとりで出かけ、帰宅出来なくなったそうだ。それで母はタクシーに乗ったが、家の方角や住所がわからない。それでタクシーの運転手は警察に連れて行き、そこから妹に電話があって、妹は迎えに行ったという。それはまだ一度だけだが、今後増えるかもしれない。身体はまだ健康で内臓もきれいだが、最近のことが覚えられなくなった。その次は何を忘れて行くのかと思うが、今の調子ならもう10年ほどは身体は元気で、ひょっとすれば100まで生きるかもしれない。母方は長命の筋なのだ。長命は何よりもいいこととされて来ているが、認知症がひどくなると、本人は毎日が楽しいだろうか。母がそのようになって来たのは、ほとんど人としゃべらないからだ。妹は50メートルと離れないところに住んでいるが、母に言わせると、毎日やって来ず、またやって来てもほとんど会話がない。母のその言葉は信用出来ないが、妹に言わせればあまりべたべたするとかえって認知症が悪化すると言う。認知症の原因が不明で、またその進行を遅らせるにはよく話す方がいいのか、逆に何でもひとりでさせる方がいいのか、医者によっても意見が違うだろう。昔から老人は嫌われる存在で、『和漢朗詠集』にもそんな歌が収録される。それはおそらく身内であってもそうだろう。母の認知症がもっと悪化すると、妹は老人介護施設に入れると言うが、月30万ほどするらしい。それを妹が全部負担することは出来ないので、筆者もということになるが、筆者は妹のように億万長者ではない。それで筆者はわが家で面倒を見るか、数年前に買った隣家の1階に住まわせるかするしかないが、認知症の悪化というものがあまりイメージ出来ない。いろんな場合があるはずで、母が今後どのように認知症が進むかはわからない。昔から認知症はあって、みんな自宅で面倒を見るしかなかったが、そう考えると、筆者はもし母の面倒を見ることになっても、なるようにしかならないと思い至るし、また実際そうだろう。それで、22日は母は元気でいつものように笑顔で談笑し、別れたが、翌日訪れると、筆者と家内が昨日も来たことを全く覚えていない。ちょっとしたプレゼントを持って行ったが、それも誰からもらったものか記憶にない。母が自ら言うように、昨日のことをすっかり忘れている。ではいつ頃のことからをよく覚えているかとなると、10数年前ではないだろうか。特に若い頃のことは鮮明に覚えていて、懐かしむ。そして、そういう昔の話をしていると、とても機嫌がよい。
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 それは家内の父もそうであった。家内の父は90代で亡くなったが、晩年はなおさら頑固になって、同居している者との会話もなくなった。それでたまに筆者が訪れると、筆者は本人が一番よく覚えている満州時代の話を訊くことにした。すると、表情が一変し、滔々といろんなことを話してくれた。だが、同居していた者たちはそういう話は昔から聞き飽きている。筆者は数か月か半年に一度くらいなので、同じ話でもまた初めて聞くように接したが、家族ではそれは難しいだろう。だが、老人が昔話が好きというのは真実ではないか。若い頃に苦しい生活をしたとしても、半世紀以上も経つと、それも懐かしい思い出に変わる。また、老人は昔のそうした話をくどくどと何度も語ることが好きで、若い人たちはそれを鬱陶しがらずになるべく聞いてやる方がよい。筆者は母に訊ねたいが、恐いのでこの年齢になるまで効いていないことがたくさんある。今ならまだ覚えているはずで、訊いておくべきと思うが、母を前にすると、過去を蒸し返しても仕方がないと思ってしまう。母の弟もきわめて元気で、1年に二度くらいは会うが、幼少時、あるいは青年時代の経験をあれこれと話してくれて、それは戦前の京都市内のことであるから、筆者にはとても面白い。だが、筆者が母に訊きたいのは、母が20代の頃で、筆者を産むことになった経緯などだ。妹はそういう話を母の姉から昔に聞いて知っているようだが、筆者は詳しいことは知らない。それは関心がないからではない。むしろ大いにある。だが、先に書いたように、今から蒸し返しても仕方ないような気がしている。それはどういうことかと言えば、こうして筆者が元気で生きていて、また母も筆者の顔がまだわかるし、昔のことをよく覚えているからで、それで充分ではないかと思う。つまり、現在がよければ過去はどうでもいいではないか。それにしても母が昨日のことを全然覚えられなくなってしまったことは心にずしりと来る。筆者もいずれそうなる可能性があるからというのではない。そういうことは筆者はまだ全く思わない。だが、母の年齢に達するのはもう25年ほどで、それはあっと言う間であるし、またその25年は今と同じ状態ではなく、動くことがもっと億劫になっているし、誰からも顧みられない、それどころか嫌われる老人になっている。老人であっても自分のことは自分で出来る元気さがあればまだいいが、寝たきり、あるいはひどい認知症となると、本人が一番つらいだろう。母も昨日のことを思い出せないので歯がゆいと言った。そういう自覚はあるのだ。また、母は何年か前から、同じことを何度も訊くようになった。これが同居ならば、鬱陶しくて、しまいに腹立たしく思いをぶつけることもあるかもしれない。だが、筆者はたまに母に会うから、母が何度も同じことを訊ねても、そのたびに同じように答える。母は筆者に同じことを質問しているとは気づいていないからで、筆者が母の態度に立腹することは許されないし、また筆者は少しも腹立たしくない。会っている間は笑顔で気分よく話すというのが、母の認知症には一番いいと思う。認知症であろうがなかろうが、会話とはそういうもので、その場が盛り上がって後々まで楽しく思い返されることが理想だ。
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 そうそう、売茶翁の近くに一時期住んだことのある書家の亀田窮楽という変わった人物がいる。売茶翁より年配だろう。筆者の想像ではたぶん10か20くらいは上と思う。その窮楽は右京区の花園辺りに住んだようだ。JRの花園駅より南は今では民家が密集し、また下町だが、たぶんそういうところに売茶翁も窮楽も住んだ。窮楽は子どもがなかったので養子をもらった。その子は養父に倣って書家になることを夢想したが、窮楽は才能がないと悟ったようで、商人にならせる。ただし、一番儲けが少ない商売がいいと考えた。そこが窮楽のすごいところで、現在ではそういう人格者はほとんどいないだろう。それどころか、少しでも金が儲かることを願う。そのために勉強し、いい企業に入ろうとするが、一方では極力要領よく世の中を泳いで行きたい。つらいこと、面倒なことは一切やりたくなく、ただ金と地位と、おまけに名誉もほしいという図々しい連中ばかりが跋扈し、また実際有名人になって行く。話を戻して、窮楽は母を同居していた。その母が認知症を患い、やがて寝たきりになった。そして下の世話をすることにもなるが、汚れた下着を窮楽はすべて自分が洗った。それは、母と自分は血のつながりがあるが、妻はいわば他人で、最初は嫁の立場として義母の下の世話をするが、やがて心の中に、なぜ自分ばかりがという恨めしい気持ちが涌く。そういうことが窮楽には耐えられなかった。それは妻にも母にも悪いからで、また自分のつらくなるからだ。さて、その話を思い出しながら、筆者は今後母と同居し、母が筆者のこともわからなくなって寝たきりになった時、下の世話をし、下着を毎日洗うことが出来るかどうかだ。そんな時、筆者は窮楽を思い出そうと考えている。窮楽ほどの親孝行は無理としても、そういう人物がいて、また江戸時代では誰もが自宅で老いた老親の世話をしたことを思えば、自分にも出来るだろう。昨日、身障者をたくさん殺傷する事件があったが、身障者でなくても老人は肩身の狭い思いをする。特に金のない者はそうで、社会の迷惑にならないように慎ましやかに生きようと思っている。そうでない老人も多いかもしれないが、たいていは自分に負い目を感じているものだ。そして、若者でもそれがわかる人があるが、たまに想像力が乏しいのがいる。身障者が社会にとって用のない存在どころか、社会の重荷であって、国家のためにはいない方がいいという考えは、まずどこが間違っているかと言えば、社会の無駄とは何かを誰にも決められないことだ。無駄を言えば、人間が、宇宙がそうだ。話をそこまで広げなくても、たとえば東北の大震災の後に出来つつある巨大防潮堤もそうだ。社会は無駄で回っている。無駄が社会なのだ。無駄は芸術でもある。社会の無駄と勝手に決めつけて人を平気で殺す者こそ大いなる無駄で、さっさと死刑にすればいいが、死刑台に立った時に自分の人生が無駄であったと悟って涙も流さないだろう。無駄なものと感じることをそう主張するのは自由だ。だが、それを消し去ろうとして殺人までするのは人間的価値は皆無だ。いや待てよ。まだ若いのであるから、臓器も含めて身体のあらゆる部分を、それを求めている人に移植するのがよい。脳だけは傷つけず、殺さないようにして、少しずつ臓器などを他人に移植して減らして行き、最終的に本人が重度の身障者の思いを噛みしめればよい。そうすればまだ少しは社会の役に立つだろう。さて、今日は駅前マンションの写真とは関係のないことを書いたが、このカテゴリーへの投稿は明日、明後日と続ける。今日の写真は去年7月26日の撮影だ。
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by uuuzen | 2016-07-27 23:59 | ●駅前の変化
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