●『THE CRUX OF THE BISCUIT』その2
力な書き手と言ってよいサイモン・プレンティスさんの長文の解説がついているのは、昨日書いたように、ゲイルの依頼であろう。サイモンさんのメール・アドレスがわかっているので訊ねてもいいが、じっくり読み込みもせずに質問するのは失礼だろう。



サイモンさんの今回の文章は題名からもわかるように、洒落が随所にある。とはいは、最初の3ページを読んだだけで、全体の5分の1だ。これまでザッパの没後のアルバムはいろんな人が書いて来たが、今回はとてもふさわしい人選だろう。というのは、昨日書いたように、サイモンさんと1992年はわが家で、翌年はロンドンとフランクフルトで話をしたが、その時にサイモンさんが話題にしたひとつはアルバム『アポストロフィ』の題名だ。確か筆者はそれが何を意味するのか訊かれた。誰もが知るように、それは所有を示すか省略する時の記号だが、ザッパはどういう意味でその記号をそのままアルバム・タイトルにし、またそのアルバムの収録曲の題名にも使ったかだ。ただし、アルバム全体では歌詞がたくさんあるので、それらから題名が意味するものを汲み取るしかないし、またそうすべきだが、一方では「アポストロフィ」というギター・ソロ曲にも使われているので、そこで首をかしげてしまう。つまり、どういう意味でザッパが使ったのかよくわからないとうやむやにしてしまう。アルバムの歌詞つきの曲でアポストロフィがたくさん出て来るのは、「スティンク・フット(臭い足)」で、そこではプードルが登場し、その犬を飼う男であるザッパとの対話劇が繰り広げられる。ザッパはたくさんの犬を飼っていて、私生活の中で考えることをよく歌詞にしたが、歌詞の素材は一方ではTVなどのマスコミで聞き知ったことで、つまりは思いついたことを何でも歌った。そこからザッパの思想を研究することが出来るが、ザッパがラヴ・ソングを嫌ったというのは、どれもこれも同じようなそういう曲は人間の重要な本質のかなりの部分を担っているかもしれないが、もっとほかに歌うべきことがいくらでもあるだろうとの、自由を手にしている創造家であればたいてい誰でも考える。タモリが小田何とかという日本の歌手が昔は大嫌いであったというが、筆者も全く同じで、よくもまああのような恥知らずな恋愛ソングばかり、自己に酔ったような声で歌えるなと思う。大の大人が恋や愛などとロマンティックを装って歌う姿は、いい加減アホに見える。あるいは金儲けが見え透き、またそういう自分のイメージ作りに自分が精を出して来たので、身動きが取れなくなっていることの愚かさと憐れさを感じ、なおさら聴くに堪えない、また見るに堪えないのだが、タモリもたぶんそんなことを思っていたのだろう。だが、日本ではその小田何とかという歌手に似た歌い手でなければ人気を得ることが出来ない。そのため、筆者はこのブログの月末に投稿する思い出の曲は日本の歌は今後も取り上げないつもりで、それほどに日本の曲は自由を自ら狭めていて少しも面白くない。だが、アメリカでも似たようなものだろう。それでザッパはラヴ・ソングは嫌いと言ったのだ。繰り返すと、嘘と不自由を感じるからだ。逆に言えば、嘘をつき、不自由を我慢すると、日本では有名になり、金持ちになれる。政治家と同じだ。
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 ザッパの歌詞はアメリカでも変だと思われた。たとえば『アポストロフィ』には「黄色の雪を食べるな」という曲がある。これがシングル・カットされて大ヒットし、ついに『アポストロフィ』はゴールド・ディスクを獲得するが、なぜヒットしたかと言えば、黄色の雪とは、犬がそこに小便をした証拠で、そんな雪を食べてはいけないとエスキモーの母親は子どもに注意する。下ネタは世界中で笑いを得るのに最も便利な手段だ。ザッパはそれを狙ったわけではない。ザッパは狙ってヒットを得ようとするような、つまり自分の声に惚れてラヴ・ソングを高らかに歌い続けるような低能ではない。黄色い雪については10年ほど前か、NHKのドキュメンタリー番組でも紹介され、エスキモーなら誰でもそのことを知っている常識で、ザッパもおそらくTVでそれを見たのだろう。そして歌詞に使ったが、その箇所よりもこの曲にはもっと考えさせる部分がある。それはエスキモーの子どもがアザラシの赤ちゃんを密漁するところを見て、黄色の雪をそのおっさんの目に擦りつける下りだ。それも笑いを取るための創作と言えるが、実際そうだ。だが、ザッパが密漁者を懲らしめる歌詞を書いたことは、たとえばラヴ・ソングばかり歌う、あるいはヘヴィ・メタで悪魔がどうのとどうでもいい妄想を歌うのとは違って、きわめて現実的で、また環境保護に関心があることも伝える。そして、そういうザッパの姿勢は後年まで変わらず、たとえば『ザ・イエロー・シャーク』ではクストーの番組への曲など、海洋汚染問題に関した曲をたくさん書いた。ラヴ・ソングばかり歌っているミュージシャンとは全然創作についての意識が違う。ザッパは『アブソリュートリー・フリー』つまり完全に自由ということをデビュー当時から意識したが、それはレコードがよく売れるように、耳触りのよいラヴ・ソングを優先させるという、自らの自由を狭める行動ではなく、自分が日常生活で思ったことを何でも歌詞にするという態度だ。そのため、セックスから政治、環境汚染から笑い話など、どんなことでも歌に出来ると考えたふしがある。ただし、歌詞は詩であるので、単語の量は散文のように多くなく、当然ラヴ・ソングよりはるかに何について歌っているのか、よくわからない部分が混じる。もっと言えば、難解だ。以上のことから、ザッパが変態で難解であることが多少はわかるはずだが、筆者は反語として言っているのであって、ラヴ・ソング主体で歌う人気歌手こそが変態で、またあまりにアホ過ぎてその行為が難解ということだ。いや、これは筆者の言葉ではなく、ザッパがそう言った。ザッパは自分のことを変態と言う奴が変態と言ったが、そのことがわからない奴がザッパの音楽を間違って聴くのがまたアホの見本だが、いつの時代でもそういうのはいるし、またすぐに消える。
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 そうそう、先ほどサイモンさんの解説を読んでいて、ひとつ驚いたことがある。ザッパがやったことは「immensity」だとある。これは「広大」と訳すが、筆者は昨日同じことを書いた。それでだが、ザッパはサイモンさんをとても気に入って、ファクスで質問することを許可し、サイモンさんは歌詞など、わからないことをどんどん質問した。また、ザッパもそうだが、ゲイルにはより好かれたようで、そのことからもサイモンさんの人柄がわかるだろう。また、サイモンさんは個人的なザッパとの会話などの録音を持っていて、それらの存在をドキュメンタリー映像をまとめようとしているアレックス・ウィンターは知っているのだろうか。アレックスのプロジェクトが始まった時、筆者が最初に思ったのはそのことだ。世界中の埋もれている録音を調査することは全く不可能なことで、また可能であっても、全部は作品に使うことは出来ない。99.999パーセントは没になるはずで、アレックスが考えているのは、未発表のものを中心にするということだろう。だが、それがザッパ像を正しく伝えることにいいのかどうかという問題がある。というのは、今回の新譜を考えればよい。これは『アポストロフィ』を聴いた人が聴くべきで、そのアルバムが出来上がるまでにザッパはどう格闘したかのドキュメントになっている。つまり、通向けだ。ザッパ没後のアルバムはすべてそうだと言ってよい。生前のアルバムですら、難解で変態であるのに、それに没後に発表され続けるアルバム群を加えると、その総体はもう通でも何が何かわけがわからないほどの迷路になって来ている。そのため、それを限られた文字数で解説するとなると、通向きであり、難解で変態なものとなるのは必然だ。そうでないものがあれば、それはザッパを誤解しているか、思考があまりにも足りない。ザッパは大勢の人に自分の音楽を聴いてもらいたかったであろうが、そのために魂を売るようなことはしなかった。ラヴ・ソングが嫌いという時点でそうだろう。一番重要なことは、自分の自由だ。それには金が必要だが、世の中には必ず自分に同調してくれる人はいるもので、そういうファンをつかめばよいと考えた。それは正直であれということだ。徳は弧ならず、必ず隣ありという言葉があるが、ザッパはその言葉そのものの人生を送った幸福な音楽家であった。もちろん、ザッパに徳があったので、徳のあるサイモンさんのような人に解説を詳しく書いてもらえるのだが、サイモンさんにすれば、ザッパの音楽が広大無辺で、しかもザッパがオミットした音に、ファンとしては限りない楽しみを味わえるという、ファン冥利を与えてくれるザッパの音楽に感謝すればこそだ。ま、そのようなことが3ページ目には書いてある。また、「アポストロフィ」の題名についてサイモンさんはザッパにただひとり直接質問したが、返って来た答えは所有を意味するという月並みなもので、そのとおりに受け取ることは出来ないとある。そこで「スティンク・フット」に戻るが、この曲は今回はオミットされている。つまり、アポストロフィ(省略)の扱いだ。それが何とも面白いのだが、CD1枚ではその曲の別ヴァージョンを収められなかったであろう。あるいは適当なテイクがなかったかだが、ともかく本作にはその曲はない。その欠如はアポストロフィということになるのだが、一方でその曲の歌詞には、本作の題名を犬が語る。「ビスケットの十字」と訳せるが、これが何を意味するのかまた難解だ。そして、プードルのその言葉に対して飼い主はアポストロフィ多用の短い言葉を連発する。犬は人間の言葉を理解しないが、そのようにアポストロフィだらけの省略形の連発ではなおさらだ。そこには、犬と人間がどう理解し合えるのかという哲学的とも言える命題の提出があるが、犬に限らず、ザッパの音楽を聴こうという人間にもある。それで昨日は最初の頃に「犬」という言葉を書いた。さて、なかなか本題に入れないと思いながら、実は本質的なことを書いている。先に「アポストロフィ」はギター・ソロ曲と書いたが、本作ではそのロング・ヴァージョンや別ヴァージョンが収められている。つまり、1973年の『アポストロフィ』では「アポストロフィ」はアポストロフィ(省略)されていたのであった。そのことが40数年ぶりに本作でわかった。ということは、サイモンさんがザッパに「アポストロフィ」の意味について質問した時、所有を示すとの答えはそうではなかったということになるが、それは早計であろう。ザッパの音楽は広大無辺で、そう簡単にああだこうだと言い得るものではない。そして、そういうことが面白いと感じる人しか熱烈なファンにはなれないし、また誰もがファンになる必要は全然ない。
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by uuuzen | 2016-07-22 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


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