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●神社の造形―菅原院天満宮神社
属するのが嫌で会社勤めを辞めたのではなく、長年会社にいてもどこまで出世するかはだいたい目に見えているという部長の話でかなり腹をくくった。



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ま、大昔の話だが、直属の上司が言った言葉は、「全く別の分野に行くのであれば、これまでの学校で学んだことや会社で経験したことなどは、役に立たない」で、なるほどと思った。それは、別の世界に行くと、そこからまた一から学ばねばならず、結局どこへ行っても一人前になるのは苦労するので、最初に入った会社で我慢しろという一種の親心だ。だが、自分の人生は結局自分が好きなようにして行かねば、そのうち心か体がおかしくなる。その意味で、筆者は好きなことをしてこれまで生きて来たつもりで、それでもう還暦を越えているのであるから、先のことを心配しても、大事なことはとにかく自分で納得出来る好きなことをして生きて行くことだ。息子にも幼い頃からそう言い聞かせて来たが、驚いたことに、何が好きなのかわからない人が大勢いる。好きなこととはつまりは趣味で、趣味で生きて行くことなど到底無理と考えているのだ。だが、それは正しいだろう。人間にはそれぞれ役割がある。極端に言えば、奴隷がいれば王様がいる。みんな王様にはなれないし、みんな奴隷では社会が動かない。だが、誰もが王様でしかも自分の奴隷になるべきで、出来る限り早い年齢で好きなことを見つけることだ。話は変わるが、上田秋成が、見知らぬ人に俳諧でも嗜めばどうかと勧められて苦笑したことを書いている。今なら有名人は顔がわかっているので、秋成ほどの人ならば、すぐに気づかれる。だが、江戸時代では顔が知られる有名人は歌舞伎役者や相撲取りといった程度で、知識人はまずほとんど誰からも顔は知られない。そのため気安く行動出来たが、今ではTVに出て顔を売りたい文化人が無数にいて、そういう連中が政治家になりたがるから、ろくな政治が出来ない。アメリカも日本もそうで、そういう国はいずれ必ず滅びる。TVに出る知識人だけではなく、芸人と呼ばれる連中もさもしさ丸出しの顔で、さっぱり面白くないが、顔を売る、有名になりたいという思いは内面を腐らせ、そしてそのことが顔や態度に出る。それはともかく、上田秋成は俳諧でも嗜むような知識人と思われたのだが、秋成は俳諧の流行を苦々しく思い、趣味に財産を傾けて家庭が崩壊する例を挙げている。どういうことか言えば、結局は趣味でやる人は趣味人で終わり、さっぱりものにならずに、つまり、作品も作者の名前も後世に全く残らないのに、本人は自分をいっぱしの芸術家と思っている滑稽さと悲惨さをあげつらう。これは、秋成が自分のことを本も出し、有名な知識人であると自覚し、そのことを誇っての思いかと言えば、それもあるだろうが、本当のところは、人を見ぬく力があり、ものにならない人がいくら努力しても無駄であることを言いたいのだ。同じことは現在も言える。そして、先に書いたように、TVが出来てから、才能がない者までちょっとした有名人になってしまう愚かな世界が現出し、秋成の時代より今はもっと駄目になっている。
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 さて、本題に入る。気になっていた神社があったので、去年11月21日に出かけた。それは、大山崎に住む郷土玩具愛好家のMさんから耳にした話で、本人にまた質問すれば済むことだが、その機会がないまま、とにかく出かけてみようと考えた神社がある。Mさんが言ったのは、「御所の神社」だ。それはどこを指すのか。それで地図を見ると、御所の中にいくつか神社がある。また、護王神社が西にあるのは昔から知っているが、それも訪れたい。行ってみるとMさんが言ったこともわかるかもしれない。そう考えたのだ。何がわかるかと言えば、絵馬だ。Mさんから聞いた話は、たぶん昭和40年頃のことではないだろうか。Mさんがまだ20歳前後のことだろう。Mさんのその話については以前に書いたが、Mさんの知り合いが御所の神社である絵馬を勝手に取り外してコレクションにしていたが、その中に女の生首を描いたものがあって、その知り合いはMさんその他の郷土玩具収集の仲間に珍品だと自慢していたらしい。ところが、その知り合いはそれからとんでもない不幸の連続に見舞われ、またその人の絵馬コレクションを一括で譲り受けた人も同じ運命になり、結局みんな死んでしまったのだが、郷土玩具の仲間はそれは生首の絵馬を取って来たことの祟りであると噂したらしい。生首の絵馬というのは、手作りで、そういう絵馬を描いて神社に持参する人というのは、女でだが、またよほど憎らしい女性がいたのだろう。そういう絵馬をかけておくにふさわしい神社が御所のどこにあるかだが、それは実際に訪れて順に神社を見て行くと感じるものがあるのではないか。筆者はそう思ったのだ。そして、市バスに乗って烏丸丸太町で下車した。そこから北に向かってまずご護王神社を目指した。すると、その手前に別の神社があったので、境内に入った。それが今日書く菅原院天満宮神社だ。地図を見ながらその神社には気づかなかった。南北に細長い神社で、烏丸通りに面した鳥居をくぐると、奥行きは少ない。菅原道真が生まれた邸宅があったというが、伝説の多い道真で、同じように主張する神社はほかにもいくつかある。だが、やはり京都だろう。とはいえ、菅原家が代々この神社の地に屋敷をかまえたはずはなく、どこか田舎から出て来たであろう。この神社は道真の父、祖父が暮らした場所で、道真は三代目で、そして出世をねたまれて大宰府に左遷になり、そこで死んでしまうが、なぜ神として祀られるようになったかは、怨念の祟りが恐れられたからだ。というのは、道真が還暦前の年齢で死んでから、都にはいろいろと禍が続いた。これはひょっとすれば道真が怒ってのことだろうということになり、道真の霊を慰めることになった。無念のうちに死んだ人を後で讃えることは世界中で、大昔から行なわれている。生きて大成功し、世界中の春をひとり占めしたような人は、死後はあまり名が残らないもので、それでこそ平等というものだ。道真を陥れた公卿は道真と対等の格を持ちながら、道真のあまりの出世ぶりに危機感を抱いたのだろう。今でもどの世界でもあることで、謀略が巡らされ、純真な人は失脚する。それが世の中というもので、相手を蹴落とした人は後ろめたさもあって、相手に花を持たせる。これは、結局は現世しか信じていないからで、現世の春こそがすべてで、それを謳歌出来れば、失脚させた相手を讃えても別に自分の腹は痛まないとの思いがある。つまり、名前など残らなくても、生きている間に大金を得て、大勢の女をものに出来ればよいとの考えで、現在でも全くそれは同じだ。死んでしまえば死んだ本人は何もわからないから、道真の神社が日本中に出来て、その像を象った人形が無数に作られても、誰も道真のように左遷の憂き目に遭って死にたいとは思わない。
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 それはさておき、怨霊を鎮めるために神社を造って祀るという考えはなかなかよい。今の日本はそんなことは考えもしない。死後の世界など誰も信じておらず、とにかく生きている間にどれだけ金を稼ぎ、有名になるかだ。すべてはそのために仕組まれ、また人々は動く。結婚や出産、学校、就職、すべてがよりよい幸福を求めるためで、その幸福とは、他人より上に立つということだ。それはとてもわかりやすく、まず収入で、その次は家柄や肩書きで、とにかく誰よりも上に行く、つまり勝つということだ。そういう単純でまた誰もが納得するような序列社会にあって、道真の存在はとても奇異だ。天満宮にお詣りする人は、だいたいは学生で、道真のように学問に秀でたい、字がうまくなりたいといった思いを託すが、道真のように左遷されたまま無念のうちに死にたいとは絶対に思わない。なのに、日本中に神社があるのはなぜか。それを言えばキリストがいい例だ。磔刑で死んだ人を神とするのは、人間は古今東西変わらぬもので、純粋な者を崇めるというより、為政者が現世で好き放題することのささやかなうしろめたさがあるからだ。あるいは、為政者の周囲の参謀が、為政者に対立して憤死した人の霊を慰める形を庶民に示すことが、為政者の徳を高め、より政権が長続きすると意見するからで、為政者自身はうしろめたさのかけらもないのが実情だろう。それくらいの根性がなければどの世界でも生きて行けない。その点、道真は純真であったのか、あるいは才能が足りなかったのか、筆者から言わせれば「役人生活はつらい」だ。これは天皇があるからには従属のみの人生で、本当に自分の好きなようには生きられない。和歌を嗜み、能筆家でもあるのなら、人生の早い段階で自分の好きなことに邁進すればよかったのに、当時の公家はそうも行かなかったのだろう。優秀であれば人の目につき、そうなれば引き立てがあって、出番が多くなる。そしてその次は必ずそれを妬む者が出て来る。これは会社や役所勤めでなくても同じで、自由業の世界でもある。それどころか、誰もが意見を発せられるネット社会でもあって、たとえばこうしたブログの世界もそうだろう。筆者は他者のブログを妬んだことはないが、それは他者のブログにほとんど全くと言っていいほど関心がないからで、そのような状態であれば、他者から怨まれることもないと思っていると、これはあまりにおめでたいはずで、こうして書いていることをたまたま読む人が筆者を敵視することは大いにあり得ると思っておいていい加減だ。
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 それで女の生首の絵馬の話に戻ると、今日の3枚目の絵馬の図柄を見ると、どれも天神さんか牛だ。水色を使って島のようなものを描いたものが2種類、何枚かあるが、何を描いたものはわからない。ともかく、道真に因む神社であるから、怨霊には関係が深く、誰かを怨むために、特に女がたとえば自分の夫の不倫相手を呪い殺したければ、その女の生首を描いた絵馬を架けておくことはあり得る。神様は願いの質を問わず、恨みであっても聞いてくれるとするのが常識で、道徳観は入り込まない。先のMさんの話だが、絵馬を収集していた郷土玩具愛好家は、神社に通うことを日課のようにしていて、絵馬に関しては誰よりも詳しかったであろう。そういう人が「御所の神社」で見つけたとても珍しい女の生首を描いた絵馬を神社に無断で持ち帰るというのは、泥棒ではあるが、いずれその絵馬は神社によって処分されるから、本人にすればそこから救うという思いが強かったであろう。そして、あまりに珍しい絵馬であったので、愛好家仲間に自慢して見せたわけだが、郷土玩具というものは以前誰がどういう思いで所有していたものかわからず、以前の所有者の怨念を受け取ってしまいかねない。そこには、霊を信じない人でも、どこかでそれをわずかに意識することもあるだろうという一般常識的な思いがあるが、女の生首の絵馬を持ち帰った人は、そのような意識が皆無であったと言ってよい。したがって、その後に生じたさまざまな不幸をその絵馬には結びつけなかったと思うが、傍から見れば何か理由を探したいもので、それには祟りを持ち出すのが最もつごうがよい。そういう意識は普遍的なもので、それで道真が死んだ後にその霊を祀るようにもなった。それはさておいて、筆者が多少関心のあることは、たとえば菅原院天満宮神社を訪れる外国人観光客が、霊的なものをどれほど感じるかだ。聖なる雰囲気と言ってもよい。外国人には神社は関係がないので、神社にあるものを壊したり汚したりしても、祀られる霊から祟られるとはあまり思わないだろう。だが、神社は長い間、同じ雰囲気を伝えて来ていて、そこには日本独特でありながら、人間であればほとんど誰でも感じる共通の思いに対応する造形があるはずで、道真や神社のことを知らずに訪れた人でも異空間であることははっきりとわかるはずだ。そういう異空間では騒がしくするのはよくなく、また汚すことがあってはならないと思うはずで、そういう空間を日本の津々浦々に持っている日本は、そのことを誇っていいのではないか。ただし、八百万の神という考えをどれだけうまく理解してもらえるかは別の話で、そのための努力は必要だ。今日の5枚目は梅丸大明神は末社で、癌封じに霊験があるとされる。そのためか、祠の脇に絵馬が何重にも架けられている。
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by uuuzen | 2016-04-24 23:59 | ●神社の造形
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