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●神社の造形―電光稲荷神社
製のカップを冷やしてアイス・ココアを飲むとおいしいが、どこの喫茶店で最初にそれを飲んだか記憶にない。飲み物は容器が大切だが、そんなことを思わない人もいる。



●神社の造形―電光稲荷神社_d0053294_2394052.jpg死んだ友人Nは料理の器に関心がなかったのに、美酒美食だけは毎日求めた。Nが亡くなる2、3年前に、日本酒を飲む時に使ってもらおうと思って錫の酒器を百貨店で買って贈った。1万円から2万円の間であったと思うが、そういう器に関心のないNは価値を知らなかったかもしれず、また使ったとしても一度か二度だろう。家で飲むより外で飲むことを好んだNなので、それも仕方がないが、Nが死んだ後、家族は錫製の酒器とも気づかずにゴミとして処分したのではないか。そう言えば、20年近く前、Nに日本酒を2本贈った。中元か歳暮か忘れたが、普段奢ってもらうばかりなので、そういう機会には何か贈ることにしていた。その日本酒関西のどこか小さな酒造メーカーが新聞で宣伝していて、注文すると白い紙を送って来る。そこに購入者は好きな絵や字を書いてメーカーに送り返すと、メーカーはそれを一升瓶に貼りつけ、贈り物として届けてほしいところに配送してくれる。Nは外で飲まない時には家で飲み、また家には酒は欠かさず買い置きしてあった。筆者が贈った2本の酒は、筆者が毛筆で、Nの社名の二文字と、もう1本にはNの名前の二文字を書いた。当然Nはすぐに気づくはずと思ったのに、半年ほど経ってもNはそのことについて話題にしない。ところがある日、ついにNは気づいた。Nの奥さんがNに酒を出すために一升瓶を手に取り、燗をするための容器に酒を注いだ。そのそばでNはその様子を見ていて、ラベルに気づいたのだ。Nは言った。「それ、どうしたんや」「大山さんからの贈りもの」「なんでもっと早う言えへんのや」。そういう事の次第をNから聞いたが、家庭内別居のような形であったので、奥さんも言いそびれたのだろう。Nは筆者に謝ったが、かえってNに悪いことをしたような気になった。家で飲んでも面白くないので、Nは毎晩飲み歩くようになり、月に一度か二度は筆者が相手になった。そういう生活では体を壊すのは目に見えている。それはさておき、Nと飲み歩いた店などをふと思い出すことがある。以前にも書いたが、大阪の天六にあったスナックだ。それがどこにあったか記憶にない。10数回は連れて行ってもらったが、そこはNの父親のいわば2号さんのような女性が経営する店で、Nはいつも代金を支払わなかった。つまり、父親につけておけというわけだ。そうであったので、Nの父が亡くなってからはぱたりと行かなくなった。その店の内部は今もよく覚えている。店のあった周辺もそうだが、何しろいつも真っ暗な時刻に訪れたので、商店街からどの方向にあったかわからない。天六界隈であることは確かなので、当時の職業別電話帖を見ればすぐに住所がわかると思う。その電話帖は大阪府立図書館にでも行けばあるだろうが、いつもそのことを思っているわけではないので、その図書館に行く段になった時にはすっかり頭にない。経営者の女性の顔もよく覚えているが、もう40年近い昔のことで、亡くなったかもしれない。当然店もないだろう。だが、月に一度くらい天神橋筋商店街を訪れると、商店街を横切る東西の道の東奥にそのスナックがあるのではないかとの錯覚が襲う。それほど商店街の様相や、また夜の匂いは変わっていない。うらぶれたようなスナックで、いつ行っても金魚か熱帯魚を飼うカウンター上の水槽前で、人のよさそうな50代ほどの男性がうつぶせ同然になって酔っていた。それもいつの時代も見かける光景だが、客にすれば居心地のよいそうしたスナックを見つけて常連になることは、せめてもの慰みだ。だがNは決してそのようには酔わなかった。筆者もそうで、Nも筆者も酔いつぶれて羽目をはずすような者とは飲まなかった。ま、これも何度も書いたことだ。
●神社の造形―電光稲荷神社_d0053294_2395587.jpg

 その天六のスナックともうひとつNがらみで場所を知りたい場所があった。それが去年11月15日に家内と大阪に出た時、ついに判明した。これもブログにかなり以前に書いたが、Nが一時住んでいた西成のアパートがあって、そこに筆者は二度泊まったことがある。六帖一間で、小さな窓があるだけの超格安の一室だ。Nはそこで学生時代からサラリーマンになってからも、合計で4,5年いたと思う。西成のジャンジャン横丁を南に下り、狭い、そして古ぼけた商店街を歩き、それを右折したところに朱塗りの神社の玉垣のような塀があった。その右折した道がわからなかった。それを探すために、数年前に家内とその商店街を抜け、左折して飛田新地に迷い込んで往生した。Nは筆者をアパートに連れて行く途中、「この先には飛田新地がある」と言ったが、女を買うことも含めて、女にあまり関心のなかったNは、飛田新地には踏み込まず、また真面目な筆者は絶対にそんなところには行かせないという意志がその言葉には込められていた。筆者も飛田新地には関心がないが、記憶に残ったのは朱塗りの塀だ。それは記憶の中ではかなり背が高かった。2メートルはあったような気がする。そして、そのような塀があること自体、飛田地区にふさわしいと思った。40年近い前のその朱塗りの塀が今もあるとは限らず、ほとんど探すのを諦めていたが、去年の11月、その塀が神社の玉垣かもしれないと思った。そしてネットで地図を調べると、そのうらぶれた商店街を右折、つまり西側に神社があるではないか。それが今日紹介する電光稲荷神社だ。だが、その場所は筆者の記憶とはかなり違う。商店街をもっと南に下がったはずで、しかも商店街を西に曲がってすぐに朱塗りの塀があった。また、朱塗りでは弁柄色で、祇園にあるような茶屋の雰囲気だ。去年11月15日は大阪の堀川戎神社に行き、その足で天王寺に出た。市立美術館で展覧会を見たかもしれない。調べればわかるが、面倒なのでこのまま書き進む。ジャンジャン横丁からJRの関西線の高架をくぐると、そこは山王という地区で、ディープな雰囲気が一気に増す。山王の信号を南にわたって商店街の入り口で橋下市長が選挙カーの荷台に上ってマイク片手に演説をしていた。それをしばし鑑賞し、写真も撮ったが、まだブログには載せていない。演説が終わってすぐ、家内と一緒に商店街に入ると、人どおりはほとんどない。地図を持って出かけなかったので、どうしたものか思っていると、NHKのTV番組でも紹介された有名な喫茶店がすぐ左手にあり、そこを外から覗くと、若い男性が笑顔で出て来た。中に入れと誘われたが、そういう時間がない。まずはNとの思い出を探す必要がある。それで近くに神社はあるかと訊くと、猫で有名な猫神社かと言われた。そうかもしれないが、それはどこかと訊くと、少し先に行って右に折れたところと言う。だが、正確な場所は知らないとのことで、とにかく歩いて右に折れる道を探した。すると、すぐにその道があり、右に折れると、やはりすぐ先に筆者の記憶とかなり近い朱塗りの玉垣が現われた。高さは2メートルもないが、半分くらいは記憶と合っている。Nがいたアパートはそのすぐ先であった。その正確な場所は覚えていないが、その電光稲荷神社のすぐ奥は安アパートだらけで、そのどれかであったことは間違いない。それにしても思ったよりジャンジャン横丁から近い。すぐ近くの場所だ。そして、今ではそうしたアパートは半分ほどは外国人の若者専用になっている。一泊1500円から2000円で、しかも地下鉄の駅まで徒歩1分、そこから梅田まで20分だ。そういう便利さであれば、多少柄が悪い地域であっても全く厭わないだろう。それにしても、40年近く前のままの雰囲気が漂っていて、それはそれでなかなかよいと思った。橋下市長の演説では、「ここは東京で言えば六本木のような場所で、新たに地下鉄を引いて見違えるような場所にします」と笑顔でしかも大声で言っていた。その言葉を半ば苦々しく思ったような、やくざな雰囲気丸出しの50代の恐いおじさんが肩で風を切って筆者の傍らを去って行ったが、山王が東京の六本木のような場所になれば、格安アパートがなくなる。そうなれば困る人たちがある。
by uuuzen | 2016-04-17 23:59 | ●神社の造形
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