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●嵐山駅前の変化、その397(マンション)
る価値のあることは何もないが、思いついたまま頭と指を動かすのもよい。今日はちょうど1年前に撮った写真を載せるが、4枚目に家内が写っている。



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筆者の撮影位置はバス停で、そこで家内が少し遅れてやって来るのを待っていた。今しがた家内にその写真を見せると、すぐに1年前の今日、バスに乗ってどこに出かけたかを調べてくれた。簡単なメモ書き程度の日記をつけているのだ。工芸繊維大学と細見美術館に展覧会を見に行っている。主な目的はそのふたつであったが、ふたつとも展覧会はよく覚えていない。後者はよく出かけるのでなおさらだ。前者はカラー印刷のちょっとした小冊子をもらった。だが、ブログにはその展覧会については書かなかったと思う。同大学の前の喫茶店で休憩したことや、またバス停まで歩く途中で撮った写真は載せた記憶があるが、そのほかにも使うつもりでいながら、まだヤフー・ボックスに保存したままになっているものが何枚かある。1年以上載せないままの写真は没になる可能性がどんどん大きくなるが、そうした写真はたまる一方だ。撮った写真はそれなりに旬があるから、早く載せるに限るが、その写真だけでは話題が少ないと思うので、投稿の機会を待つことになり、そのうちに保存したままでほとんど忘れてしまう。それはさておき、今日は雨で、終日家にいる。暑いので散歩する気にもなれず、ま、出かけるのは明日か明後日とする。それで今日は1年前の駅前マンションの建設現場写真を使いながら、何か書くことにする。まず、嵐山駅のバリア・フリーの工事だが、ムンク木の切株はやはり撤去され、その後工事は止まったままとなっている。切株を除去した穴は直径5メートルほどの巨大なものになっていて、その中央に1本の細い鉄骨が埋められたようだが、それがどういう役割をこれから果たすのかは想像出来ない。バリア・フリー程度の工事は簡単なので、鉄筋や鉄骨はさほど使用されないはずだが、プラットフォームのどこからどうスロープを造るのか、現場を見てもまだそれはよくわからない。一方、現在の駅前マンションだが、もうすっかり完成しているが、玄関前に侵入禁止用の赤いコーンをたくさん並べて、工事がまだ終わっていない様子を呈している。それが撤去された状態で今日の4枚と同じ角度で撮影するつもりでいるが、それが「駅前マンション」としての最後の撮影になるだろう。つまり、現段階ではまだその写真を撮っていないので、今の調子では1年少々はブログを続けることになるが、それも実際のところはどうなるかわからない。先日阪急電車に乗って出かけた際、帰りの車内の吊りポスターに、大阪の上新庄駅前のマンションの広告を見た。上新庄駅は1日の乗降客数が確か特急が停まる次の淡路駅よりも多いのに、駅前の商店主らの運動のまずさから各駅停車しか停まらないようになったと、駅前のビルの所有者から昔聞いたことがある。現在淡路駅は大改造中で、その規模は阪急京都線では最大で、阪急前線でも梅田に次いで大きな駅になるのは間違いがない。近鉄の布施駅と同じような形で、また同じような規模だが、それに比べて上新庄駅は梅田側と京都側に改札があるが、田舎然としている。その駅前に新築マンションが出来るのは当然といってよいが、特急が停まらないでは不便だろう。60平米台で確か2700万円を切る価格で、駅前マンションの割りにかなり安い。大阪市内でそういった価格で買えるのであるから、マンションは安くなった。今日の写真の嵐山駅前マンションは最低が70平米ちょうど程度で価格は5000万円を少し切る。ということは、上新庄の倍とまでは言わないが、それに近い価格だ。嵐山という日本中に知られる名前のブランド力ということだが、生活の便利さで言えば、上新庄は数倍よい。嵐山は最寄のスーパーでも2,3キロ先で、車がなければとても不便だ。にもかかわらず、駅前マンションには全20戸のうち、駐車場は5軒分しかない。それほどに限られた土地でぎりぎり建てたわけだ。
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 金持ちはますますそうなり、経済格差が広がっていると言われるが、嵐山は金持ちが暮らす地域となって行くだろうか。嵯峨はそうなっているが、桂川右岸の西京区は嵐山の日陰になってどちらかと言えば貧しい感じの土地だ。何代も前から住む人もたくさんいるが、みな百姓で、洛中に住む、たとえば祇園祭りを支える町衆とは何の関係もなく、また見下げもされているだろう。最近『京都ぎらい』という本が売れているそうだが、そう言えばその著者の井上章一は何年か前まではNHKのTVによく出ていたのに、急にTVでは姿を見なくなった。ピアノが全く弾けなかったが、それを人前で洒落て弾いてみたいという気持ちから学習を始め、かなり上達したといったこともTVで発言していたのを覚えている。また、昔は眼鏡をかけていたのに、コンタクトレンズに替え、しかもファッショナブルになって学者臭の払拭に努力している様子がありありと見えたが、TVに出るということは、それなりのお洒落をする必要があって、TV向きとそうでない学者がいると思わせられたものだ。タレント並みに収入があるとお洒落で勝負も出来るが、そうでなければTVで顔を売るのもなかなか大変なことと想像する。だが、誰もが読みやすい本が万部単位で売れると印税が学者の収入以上に入り、TV用の、つまり人前に出た時のちょっと変わったお洒落代など、全く心配するほどのこともなく、学者ないし物書きというのは、売れたいという思いがあると、それなりにそうなって行くものと見える。それはともかく、『京都ぎらい』は筆者は読んでいないが、だいたい内容は想像出来る。洛中と洛外とでは同じ京都市内でも住民の意識は違う。大阪でも環状線の内と外ではそういう意識の差はある。京都以外の土地で生まれ育った人が京都に住む時、ほとんどは洛中ではなく、洛外だ。それは江戸時代から変わらなかったのではないか。上田秋成が京都にやって来て住んだのも洛外で、そう言えばもっと前の売茶翁もそうであった。よそ者はひっそりと洛外に住んだのだ。それは洛中に住めるほどの経済力がなかったということだが、今も事情は変わらない。ということは、阪急嵐山駅前に、最低価格で5000万円近いマンションが出来ても、そこに住むのはよそ者で、洛中や洛外の意識を知らない人たちだ。嵐山は洛外にすら該当しない僻地で、江戸時代であれば山奥だ。電車が走り、道路が出来たので、四条河原町まで20分で行けるが、それでも洛中住まいの人からすれば田舎であり、百姓が住む地域だ。そういうところからは偉人、異才は出て来ないし、また出て来たためしがない。それで洛中人に侮られるが、事実であるので仕方がない。筆者は京都に出て来た当初は、せめて四条大宮界隈に住みたいと思い、その夢をしばらく持ち続けたが、それは仕事上便利であるからで、洛中に住みたいという意識からではなかった。今でも四条大宮界隈には愛着があるが、筆者が住めるような家やマンションはないだろう。それによく考えると、庭つきの家など持てるはずがなく、自然の限りなく少ない四条大宮よりかは今の嵐山の方がましかと思う。そう言えば、駅前マンションは当然20戸全部が庭つきではない。嵐山や嵯峨でちょっとした庭つきのマンションとなると、億単位の販売価格になってしまう。つまり、そういう自然の豊かさを洛中人に誇ればいいわけで、せせこましい、家やマンションが密集した洛中に住む夢はもういいかと思う。
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 住む場所によって人を推し量ることが洛中人に多いとして、それは人間のひとつの本質でもあって、上には上、下には下があるという意識だ。そのことをほとんど自覚しない、あるいは自分には絶対にそうした人を見下げる、あるいは媚びるような意識はないと主張しても、本人が気づかないだけで、他人からはまるで差別主義者に見える場合がままあるだろう。学生時代に洛外どころか田舎の僻地の出と思われた『京都ぎらい』の著者も、大阪人を見下げてはいないにしても、あまり大阪のディープなところに行ってみたいとは思わないだろう。ここで先日書いたことの続きをやる。NHKのTV番組に『釜ヶ崎のまっちゃん』という面白いドキュメンタリーがあった。その中で、まっちゃんとは別にもうひとり、もう少し若い男性が紹介された。彼はまだ若いので、日雇い労働にありつけるが、いつかは釜ヶ崎を出て人生を再出発したいと思っている。その点は50歳を越えているまっちゃんとは違う。それはさておき、その男性の発言の中に、釜ヶ崎には、自分が勝ったと思えるような人がいくらでもいることが居心地のよさであるというのがあった。それだけ社会の最低辺の人たちが大勢住んでいるのだが、よほどいい機会か覚悟がなければ釜ヶ崎から出て元の生活に戻ることは難しいだろう。まっちゃんはその日暮らしで、体を壊せば終わりだ。それに今日のような終日雨の場合、午前2時半に起きて10キロも離れたところに空き缶を拾い集めることが出来るだろうか。まっちゃんの日銭は2000円少々だが、TVで紹介されたもうひとりの男性は日雇いの労働で1万数千円を受け取るし、スマホを所有していた。まっちゃんはネットとは無縁の生活のようで、そのもうひとりの男性とは世代間の大きな壁があるように思った。まっちゃんのほかに、70代の男性の集まりも映った。壁には亡くなった仲間の白黒写真が数枚飾ってあって、ある70代は自分の夢はいつかそこに自分の写真を飾ってもらえることだと言っていた。貧しい暮らしでも気軽に話せる仲間がいることで、それなりに楽しく生活出来ているのだ。釜ヶ崎を好きで訪れる人はきわめて少ないはずで、NHKのそうした番組は大半の人には何の関係もないと言えるかもしれなない。だが、日本では見えないところで貧困が拡大している。大阪や東京、それに京都や神戸など、大都会を歩くと、真新しい店や建物ばかりが並び、昔は見かけたボロをまとった浮浪者などまずいない。その一方、今は昭和レトロがブームで、建物でもいかにも昭和の安っぽい木造モルタル造りが若者に人気があるという。それは温かい感じがするとの理由が大きいだろうが、経済的に豊かにはなかなかなれない若者の貧しさに馴染むからでもあるだろう。いかにも現代風のピカピカの街並みは、どこかで人を寄せつけないところがある。釜ヶ崎の住民ならそういう場所には近寄らないだろう。ピカピカの家に住む住民の精神が腐敗していて、まっちゃんの心が、いい意味でいかにも人間的で、まっとうであることをNHKの番組制作者は匂わせたかったとまでは言わないが、ピカピカの物ばかりに囲まれて人間もピカピカかと言えば、全くそうではないことは誰でも知っている。日陰のような存在の建物、町並みはいつの時代でも存在するし、それはそれで意味がある。ま、語るほどの値打ちのあることではないが、筆者は昭和レトロの匂いのするような場所は嫌いではない。ピカピカよりははるかにいいと思っている。
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by uuuzen | 2016-07-08 21:56 | ●駅前の変化
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