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●嵐山駅前の変化、その396(脇道沿いの空地)
札口がどのように改造されるのか、あるいはそうでないのか、秋の行楽シーズンまで工事するのではないだろうか。6月は風風の湯は梅雨時で客足が鈍く、それで10日ごとにスタンプを3個も捺してくれるサーヴィスを設けたようだが、昨日ネットで今月の風風の湯のカレンダーを見ると、相変わらずスタンプ3個デーが3日ある。



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6月と同様、客が少ないというデータが過去2年の実績で判明しているのだろう。夏場に客足が減少するのは、嵐山にやって来る人が少なくなるからでもある。それに、7月に入って早速猛暑で、1日に二度はシャワーを浴びなければならないほどの蒸し蒸しする。そんな状態では、風風の湯でさっぱりして来た途端、また汗だくになる。温泉はやはり冬場のものだ。それはさておき、あまりの暑さでブログに投稿する気分が起こらないが、今日はまた嵐山駅の工事を見物に行き、写真を撮って来た。南側の空地は相変わらずムンクの木の切株が逆立ちのまま放置されている。土、日は工事は休みでもあるからだが、てっきり今日はその切株やそれに生えて出ていた大量の根をトラックで運び出すと思っていると、そのままで、代わりに業者は北側の空地で作業している。それが同じように伐採、また根こそぎした木をユンボでトラックの荷台に積んでいたから、明日は南側をやるのだろう。つまり、嵐山駅改札口側の南北の空地で同時に大きな木を切り、根を掘り起こした。どちらの空地にもスロープを設置し、車椅子での利用が便利になるようにする。先日南側の空地での工事に張りついていた警備員に何の工事か訊くと、「バリア・フリー」とだけぶっきらぼうに返事された。同じ警備員が今日は北側の現場に退屈そうに座っていて、また同じ質問をした。筆者はサングラスをかけていたが、先日と同じ人物とわかったのだろう。今度は先日以上にぶっきらぼうに、「バリア・フリー」と言われた。だが、南北両側の空地にスロープを取りつけるのはなぜだろう。どちらか片側だけで充分と思うが、これは工事が終わらないことにはわからない。警備員にそのことを質問しても知っているはずがない。それにしても、工事は3,4人でやっていて、あまり急がないようだ。お盆くらいに出来上がればいいという予定ではないだろうか。それにしてもバリア・フリーの工事は利用者の数から言えば、とても高くつく。多くて1日に数人程度しか車椅子は出入りしないのではないか。京都の市バスでも筆者は10回に1回も車椅子の人は見かけない。そういう人がバス停で待っていると、あるいは次のバス停で下ろすとなると、運転手は外に出て特別の硬い折り畳みの板を保管場所から引っ張り出し、それをバスの床と地面との間に架ける。そこを車椅子の人が上り下りするのだが、数分はそのためにバスは停まったままだ。そして、別にそのことに他の客は何とも思わないが、運転手は御苦労さんなことだ。車椅子を利用する人は昔もいたが、あまりで歩かなかったのかどうか、近年は多くなった気がするし、また交通機関その他も車椅子利用のために設備をどんどん改造しているので、車椅子の利用者は出かけやすくなった。
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 日本は未曽有の高齢化社会を迎えようとしていて、バリア・フリーは自宅でもあたりまえのようになって来ている。つまり、高齢化に伴う出費がある。そのことを半世紀前の日本はどれだけ予想したであろう。現在あるいは今後の高齢化は予想出来たはずで、それに伴うさまざまな出費もそれなりに考えられていたと思うが、自国内だけで何事も計画どおりには行かない時代になっている。それで、悪く言えばその日暮らしに似たような国の経済の運営で、数年後、10年後にどうなるか全くわからない。とりあえずは楽天的でなければストレスが溜まって損をするので、筆者はどちらかと言えばどうにかなると考えてこれまでやって来たし、これからもそうだが、先日の土曜日に見たNHKの関西熱視線はいろんなことを考えさせられて面白かった。大阪のしかもディープな場所に関心のある人なら面白かったと思うが、京都人の大半はそうではなかったのではないか。「釜ヶ崎のまっちゃん」と題して、深夜のうちに空き缶を自転車で拾い回る男性を主に紹介していた。広島出身で筆者より一回りほど年下だが、なかなか好感が持てた。若い頃にギャンブルで大きな借金を作り、離婚して釜ヶ崎に流れ着いたのだが、無料で食事を配ってくれる列には並ばないという矜持がある。自分の体で稼げる間は絶対にそうするというのだが、深夜2時半に釜ヶ崎を出発して10キロほど先の現場で缶を集め、昼前にそれを買い取ってくれる会社に持ち込む。荷台に山のように積んで2500円程度で、それで1日の宿代や食事代、そしてやめられない煙草代に充てる。その日暮らしと言ってよい。筆者が驚いたのは、深夜2時半から拾いに走ることで、まっちゃんの頭にはどこに行けばどれくらいの缶が出ているかがしっかりと記憶されているが、最近は商売仇が増え、先を越されることもある。それだけ不景気になって来ているのだ。若い頃に多額の借金を抱えるほど、アホなことをするというのは、それはそれで仕方がない。そういう人間の集まるところが釜ヶ崎で、普通の人には関係のない場所だが、そういう場所がなくては生きて行けない人がある。それに、ギャンブルで人生に躓くのではなく、会社の倒産やリストラもある。誰でもいつどうなるかわからない。まっちゃんはなかなか真面目で、まるで僧のような生活だが、生臭坊主よりよほど健気な人生だろう。自分の人生を誰にも邪魔されずに自由に生きているというプライドがあり、先日あった事件のように、東大出が何人か集まって女を酔わせて強姦するという連中よりナンボ清潔な人柄と言ってよい。売茶翁が遺した漢詩を集めた本が、売茶翁の没後に編まれたが、その最初に掲載される七絶に、「都来栄辱亦何管」という下りがある。まっちゃんの人生は栄辱で言えば誰しも辱と思うし、東大出は栄と持て囃される。当然売茶翁が生きた時代の京都でも栄と辱はあったが、売茶翁は辱と思われるような生き方をしながら、それを恥じることはなかった。それは、漢詩を作るほどの秀才で、栄として持ち上げられる人たちの本質や程度を知っていたからとも言える。その点、まっちゃんはおそらくそういう知識人的な頭はない。だが、それがどれだけ大事かと思う。「栄も辱もやって来るすべては何をつかさどるというのか」、つまり「栄辱が人生にどんな意味があるというのか」。ま、番組を見ながら、いろんなことを思ったが、今日の続きはまた日を改める。はははは、今日の冒頭の字「改」でうまく落ちがつく。今日の3枚目は、最初の2枚を撮った後、ふと気づいた。5年前にこのカテゴリーで同じ駐車場の写真を載せた。「嵐山駅前の変化、その78」だ。その駐車場の一部が駐輪場になり、また管理する会社も変わったことが看板からわかった。5年間、そのことに気づかなかった。身近な場所でもほとんど歩かないところはそういうものだ。
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by uuuzen | 2016-07-04 23:59 | ●駅前の変化
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