誤りであってほしいと思うことがある。変わってほしくない存在の変化だ。近年は昭和レトロという言葉が珍しくなくなったが、それほどに昭和を感じさせるものが少なくなって来た。
200年もっと前のものとなると保存するのが当然との考えがあるが、戦後のものはどんどん壊されて新しくなる。明治大正のものはどうかとなると、フランク・ロイド・ライト設計の東京の帝国ホテルは60年代の終わり頃に建て替えられて、元の建物のごく一部は犬山の明治村で展示されることになった。それはまだましな方で、有名でない建築家の建物は設計図も残らない。その考えからすれば、昭和のものが消えて行くのは有名でないからということになりそうだが、たとえば東京オリンピックで最も象徴的であった聖火台が付随した国立競技場もさっさと解体され、昭和らしいものはさっさと平成らしいものに取って変わる。その平成らしさも次の元号らしさでほとんど跡形もなく消えて行くのだろうという予想を抱くのは、筆者のように昭和生まれであろうが、70年代生まれではまた違うかもしれない。筆者は回顧趣味はないと自分では思っているが、意識しなくても生まれ育った時代の感覚が染みついているのは確実で、昭和の古いものを見た時には心が温まる気がする。ほっとすると言えばいいか、無闇に壊さずにそっとしておきたいとの思いだ。昭和であるので100年は経っておらず、ましてや筆者が生まれ育った時代のものとなると半世紀ほどで、歴史的価値はないに等しいが、人類の歴史の前に個人のそれが意味をなさないかとなると、個人からすれば人類などどうでもいいという意識がある。個人がなくて人類の歴史だけ残っても仕方がなく、誰でも自分だけの大切にしたい思い出を持っている。それはまた古いほどに大切と老いるほどに思えるように、人間の脳の仕組みがあるようで、筆者もそうむきになって反論せずに、素直に昭和レトロと呼ばれるあれこれに愛おしさを覚えるということに同意したい。だが、断っておくと、自分にとって新しい事柄に関心が持てなくなったことはなく、新しいことはどれも面白くないとは思わない。だが、少しは古いものはそのまま残しておいてほしいと思うのは、自分が無視されたくない、居場所をどこかに残しておいてほしいとの自己愛からで、何もかもが真新しいものばかりという環境には耐えられない。
数日前から阪急嵐山駅内の自転車倉庫際の空き地がうるさかった。新緑の季節の後、毎年雑草が刈られるので、そのチェーン・ソーの音が鳴り響いていた。毎年のことなので別に気を留めることもないが、今年は使われていないプラットフォーム北沿いの並木がかなり伐採され、見通しがよくなった。そして今日の写真のように、南側の小さな空地と道路を隔てる緑色の金網フェンスの一部が切断され、蛇腹型の門扉が取りつけられた。これは今後中に頻繁に出入りすることを意味するだろう。どういう工事が行なわれるのか知らないが、内部には鉄板が数枚積まれた。ということは重機が入るのだろう。そして大きな工事が始まるのかもしれない。そうであれば地元住民に告知があるが、今のところそれはない。筆者は雑草は始末してほしいが、空地はそのままであってほしい。この空地に何かが建つということは、このブログで写真を載せたことがある。今それを調べると、
「駅前の変化、その7(脇道)」で、6年前のことだ。狭い中にプレハブ小屋が建った。駅前広場を整備する工事がその後あり、そのための現場監督の詰所としてそれは設置された。その時、緑色の金網フェンスが今回のように一部切り取られたかどうか記憶にないが、そのプレハブが撤去された後はフェンスは元通りになっていたから、フェンスを切り取らずに重機で釣りあげて設置や撤去をしたのだと思う。となれば今回は同じようなプレハブを建てることはないだろう。それにそれが必要な大きな工事の計画は聞かない。それはともかく、この空地に何か変化がありそうで、それが気になりながら、出来れば現状のままにしてほしいと思う。だが、阪急は6年前から続々と駅前を改造して来ているので、駅内部をもっと近代的に、あるいは儲けにつながるような何かを新たなに建てることは充分に考えられる。