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●「NATURAL MYSTIC」
のない方が物事に集中出来るかもしれないが、音楽となるとそうとも言い切れない。筆者は昔から仕事中にラジオを鳴らし続けたり、レコードをかけたりし続けて来た。



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手と目と頭は使うが耳は空いているからだ。作業にきわめて熱中している時はそうしたBGMは頭に入って来ないが、熱中するために音楽が効果的な場合がある。それは言い訳に過ぎないかもしれないが、そうとばかりは限らない。筆者は2月1日から、これまでにない熱中を要する作業を始めたが、その時にボブ・マーレイの音楽を選んだ。もっぱらYOUTUBEで、家内が3階にお茶を持って来る時、いつもその音楽が鳴っているので、「それだけよく同じものを聴き続けられるね」と言う。今日で丸2か月になるが、まだ熱中すべき作業の終了の見通しは立たず、最低でももう1、2か月は聴き続けることになるだろう。別の音楽を聴いてもいいが、2か月間聴き続けたその習慣がなかなかか心地よく、それを乱したくない。一種のまじないだ。YOUTUBE以外に所有する3枚のCDをたまに挟むが、YOUTUBEでは2時間ほどのライヴがいくつかあって、CDのように早く終わらないのがよい。つまり、BGMとして聴き流している。そういう役割に使われることにレゲエの神様のボブ・マーレイは顔をしかめるだろうか。BGMではあっても2か月も朝から晩まで同じ演奏を繰り返し聴き続けると、それなりに極上の瞬間が把握出来、仕事に没頭していてもそういう箇所が近づくとわくわくする。そのことは仕事に対していい影響を与えるのかそうでないかだが、わくわくした高揚感は仕事に影響するはずで、いい影響を与えると筆者は信じている。だが、そういう音楽はそう多くない。ボブ・マーレイの音楽は暑くなり始めると毎年聴きたくなるし、実際聴くが、このカテゴリーに取り上げたことがあるのではないかと思って調べると、まだであった。それで本当は6月か7月に投稿するのが音楽の雰囲気に似合っていいが、まだ1,2か月は聴くつもりでいる今がちょうどいいと判断した。それほどに今の多忙な仕事にボブの音楽は癒しとなっている。
 ボブの音楽を初めて耳にした時のことは覚えていない。LPは買ったことがなく、CDはライヴ盤を最初に買った。ラジオから流れるのをよく耳にしたのはもちろん70年代半ばだが、どの曲もレゲエのリズムでその点で似ていると思い、アルバムを買うほどではないと思った。ただし、1曲だけとても耳に残る曲があり、音楽好きと話をする時にはその曲のことを筆者は話題にした。だが曲名がわからない。透明感があり、レゲエのリズムをカットするギターが虚空に響き続ける中、ボブの歌声が静かに流れるという程度の表現しか出来なかった。その曲名がわからないまま、ひょっとすれば収録されているのではないかと考え、それで『バビロン・バイ・バス』のCDをまず買った。レゲエはライヴがいいと思ったことにもよる。そのアルバムには目的の曲はなかったが、リピートで終日聴くには持って来いの内容で、毎年夏が来れば聴いた。その後、3枚目に買ったCD『ナチュラル・ミスティック』のタイトル曲が長年気がかりであった曲とわかり、別のアルバムを買い続けることを止めた。それはさておき、『バビロン・バイ・バス』のLPは2枚組で1978年に発売された。CDは92年と帯に書いてある。筆者が買ったのはその頃と思うが、それから2,3年後かもしれない。このライヴ盤は日本公演の前年に発売された。筆者は当時ザッパ三昧で、他の音楽は何を聴いていたのだろう。レゲエ絡みならポリスだ。当時本場のレゲエよりもイギリスの3人組のポリスの方が日本では圧倒的な人気があった。NHKの夜9時のニュースでも1980年の来日公演が報じられたほどで、それを改めて思い返せば、チャック・ベリーなどの黒人ロックンローラーとビートルズの関係に似て、相変わらず黒人音楽から剽窃する白人音楽が莫大な利益を得る。これは日本の白人崇拝と白人以外の人種への蔑視と絡む問題と言うより、世界的に今までそうであり続けて来た。本家が割りを食うというのはその本家にすれば悔しいことだが、模倣する白人にすれば本家にない味を付加するので、自分たちは黒人から奪ってはいないと主張するだろう。ジャズは黒人のものだという考えは根強いが、白人もその発展に寄与したのは事実で、黒人と白人をことさら分けて考える必要はないのかもしれない。とはいえ、スティングが昔のイギリスの貴族のような豪邸に住み、30半ばで死んだボブ・マーレイはおそらく貴族のような豪奢な生活とは縁のないままであった。生まれ落ちる国によって人生が大きく違うことを思うが、筆者は今はもうすっかりポリスの音楽を聴く気になれず、変わってボブの音楽を飽きもせずに2か月間毎日聴いている。ポリスを偽物と言うつもりはないが、より本物がボブではないかと思う。スティングはボブの音楽を初めとするレゲエやまたスカなどをこれからは世界的に流行すると感じ取り、それを経済的な3人バンドで実行したが、ジャマイカの粘つくような暑苦しさではなく、洗練された都会のセンスによって自分たちの音楽がビートルズ並みに世界的に人気を得ることを予想した。現実にそうなったが、ポリスの全盛時代は案外に短かった。ボブはポリスの二度目の来日公演の1981年に死んだが、残された映像や録音からは、頂点に達していたことを思う。そういう絶頂で死んだのは、それはそれでよかったのではないか。
 『バビロン・バイ・バス』を毎年聴き続けて来たにもかかわらず、その音楽性に本当に感心したのは2月1日以降、改めてYOUTUBEでいろんなステージの様子を見たことによる。YOUTUBEの検索窓に「BOB MARLEY LIVE」と入れて表示される上位の演奏はどれも何十回となく聴いた。仕事しながらであるので、演奏の様子を見るのはたまにだが、それでもステージで動き回る様子はCDを聴くだけではわからなかった面白さを伝えてくれた。そうしたライヴ演奏でベストと呼ばれているものは79年11月25日、カリフォルニアのサンタバーバラでのもので、死ぬ16か月前だ。これはDVDになっている。確かにいい演奏だが、筆者は80年6月13日、ドイツのドルトムントにおけるロックパラストでの演奏の方が好きだ。最後のライヴがいつであったのか知らないが、死に向かってますますよくなって行ったように思う。そのほかの会場の演奏もYOUTUBEでは聴くことが出来、ザッパのライヴでも有名なロキシーや、また日本公演もアップされている。会場が違えば音の響きやまたボブの思いが違い、それぞれの会場でそれなりの特徴があって面白いが、あれこれ聴いて最後に戻るのはロックパラストでの演奏だ。最初にジー・アイ・スリーという女性3人組が前座として数曲歌う。これがまたよい。3人は時にはふたりとなってボブのステージに欠かせない声色となったが、この女性の声に支えられたライヴの音はCDで収録されるスタジオ録音とは違った楽しさがある。ボブのアルバムが何枚あるのか知らないが、アルバムごとに特徴があるはずで、それなりにどれも楽しいと思うが、ライヴとなるとそれぞれにアルバムから選んだ名曲を揃え、しかも同じメンバーによって演奏するので、音色が均一化される。つまり、各曲は最初にアルバムに収録された時のスタジオ録音とはかなり違う。そして、ライヴ・ステージではその均一化された多くの曲の連なりが、息をつかせない運びと絶えざるレゲエのリズムによって観客を酩酊状態にいざなう。ボブにすれば長年歌い続けて来た名曲ばかりで、歌に専念すると同時に自らもその音楽に酩酊し、舞台で激しく踊る。そのあまり、時には歌い始める機会を逃し、バックのメンバーはヴォーカルなしで、次の歌い出しまで演奏し続けることもあるが、そうした演奏ミスがあるほどにボブは忘我に境地に達しながら歌う。そして、そういう様子を80年のステージに感じると、もうその後はない気にさせられる。ボブは信仰心から足指の怪我の手術を拒否して死んだが、80年のライヴを見る限り、もうそれ以上の演奏は無理で、思い残すことはなかったように感じる。それほどに80年の演奏は鬼気迫る。
 それは曲とその演奏がいいからであるのは言うまでもないが、それは同じ曲を何年も演奏し続けた結果だ。アルバムには含まれるがライヴでは取り上げられなかった曲があるだろうが、それでいい。79年から80年のライヴは会場が違えば音の響きが違うが、レパートリーはほとんど変わらない。それはたとえばビートルズ、またポリスを思い出させる。聴き手はたいていは初めて演奏に接するから、演奏者は飽き飽きしていても同じようなレパートリーを保つ必要がある。そして、ボブの曲はビートルズやポリスと同じように、ヴォーカルが中心でまたアドリブがほとんどなく、どの曲もレコードに収めたスタジオ・ヴァージョンとさして変わらない演奏時間だ。これは即興演奏を好むジャズ・ファンからは物足りないが、ボブは曲に完成度の高さを求めた。これは誰が演奏しても立派に聞こえるということで、曲の最初から最後までどういう歌詞をどういうメロディに載せるかを決めた。ボブはギターを奏でながら歌うが、実際はそのリズムの刻みは背後のミュージシャンの音が大きい。またその背後のギタリスト2,3人は、ひとりがリード・ギター担当で決められた小節の数の中において即興演奏を繰り広げるが、そのことによって楽曲全体の印象が大きく違うことにはならない。これはボブのステージの魅力はレゲエのカッティングのリズムとボブの歌に大半があることを意味している。女性ヴォーカルや管楽器セクションはいわばおまけだ。また特徴的なのはドラムスで、単調なリズムをほとんど終始叩き続けず、リズムの合間を狙って予想外に叩くことが多い。その絶妙の間の取り方はボブの歌を邪魔せず、ボブのステージの魅力は何よりもボブの歌であることを納得させる。ロックパラストのステージは、キーボードの多少ワウワウがかかったレゲエのリズムがかなり特徴的で、筆者はそれがあるためにサンタバーバラでのライヴよりも好きだが、リズムはギターも担当するから、ステージによって、またミキシングのエンジニアによってどの楽器のリズムを強調させるかはかなり違ったであろう。ロックパラストのライヴはDVDされているかどうか知らないが、DVD化する際にバックの楽器の音量はどうにでも調節出来るだろう。
 ボブの最晩年のヘア・スタイルは、髪が短い頃と比べると同じ人物かと思わせるほどだ。どちらがいいかとなると、神がかったようなドレッドロックスと呼ばれる、あのホームレス同然の髪型がよい。近づけばどれほど臭ったかと想像させるが、髪をあのように伸ばして束ねたのは信仰心からだ。曲にも書いているように、それは「ラスタファリ」という。「ラスタカラー」という言葉もあって、これは赤、黄、緑の3色だ。これも歌を聴いていると出て来る言葉に「エチオピア」がある。ラスタファリは同国に関係する。エチオピアに回帰しようという考えで、ジャマイカの黒人はエチオピアから連れて来られたと説くが、その歴史は18世紀のアメリカに遡るようで、またエチオピアはひとつの象徴で、他のアフリカは無関係という意味ではない。アフリカ回帰ないし憧憬は奴隷として連れて来られた黒人の普遍的な思想であろう。だが、そうした考えはおそらくいろんな派があり、また指導者もいるはずで、日本にいては実態が把握しにくいだろう。ボブの歌を聴いていると感じるが、ラスタファリは過激な運動とは縁がなさそうだ。憧憬という言葉を先に使ったが、おそらくそうで、エチオピアやアフリカに還ることが無理なことはよく自覚しているだろう。アイデンティティの自覚を強固にするために、どこに帰属するか、またそのためにはどのように生きるべきかという思いがボブにはあったのだろう。髪を切らず、菜食主義を守り、また自分の身に刃を立てないといった教えに忠実であったため、足の指が化膿して手術をする必要があったにもかかわらず、それを拒んでそのまま死んだ。それを馬鹿だと笑う人は多いだろうが、信念に忠実であることはそれはそれで立派で他がとやかく言っても始まらない。それにボブの場合、30半ばというまだまだ若い絶頂期の録音を遺した状態で逝ったのであるから、才能が後退した惨めな姿をファンは見ず済んだ。ライヴで演奏される曲はどれも真に名曲と言ってよく、またその数は20曲程度だが、それで充分ではないかと思う。ポール・マッカートニーのように長生きしてもっと多くの名曲を書くことも出来たかもしれないが、夭逝は夭逝なりに神々しさが付与される。
 さて、「NATURAL MYSTIC」はロックパラストでのライヴでは前座が終わった後、「マーレイ!」とのメンバーの演奏と連呼による掛け声の後に登場するボブが最初に歌う。この曲は最初はアルバム『エクソダス』に収録されたが、筆者は同アルバムを買うつもりがそのままになっている。最初にこの曲をラジオで聴いた時は、他のボブの曲と違ってかなり静かで、それが印象深かった。どういう内容を歌っているかと言えば、題名に凝縮されている。「自然の神秘」で、「耳を澄ませば空中にそれが漂っているのがわかる」という歌詞がある。「これは初めてのトランペットでずっと鳴り続いてくれればいい。もっと多くの人が苦しまねばならず、もっと多くの人が死なねばならないだろう。訊かないでほしい。物事は今までどおりとは限らない。嘘は言わない。ひとりずつみなが現実に直面しなければならない。」と続くが、これがラスタファリの思想というものかもしれない。またここにはどのような現実も受け入れる覚悟があり、ボブが手術をせねば死ぬと言われてもそれを拒んだことを説明する。自然に漂う神秘とは残酷なもので、それは時に高らかなトランペットでもありながら、その音色が持続することはない。急に事情が変わることは人生ではよくあることで、そのような時でも自然の神秘として受け止めねばならない。阪神淡路や東北の大震災がそうで、何事も今までが安泰であったからこれからもそうだとは限らない。そのような思いを抱きながら、ボブはこの曲に優しいメロディをつけた。それは物悲しくもあり、またそのこととボブの早い死を結びつけると、なおさらこの曲の予言的なところを感じ、ボブが夭逝を予想していたのではないかとさえ思える。この曲の歌詞はたとえばスティングやポール・マッカートニーには書けない。短いポップスに過ぎないと言えるのに、そこには人生の美しさとそれとの別れが、静かに、また高らかに歌い上げられている。ボブのために心の中に神社を造りたい思いがする。
by uuuzen | 2016-03-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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