●『ROAD TAPES #3』その3
な感想を連ねるだけのザッパ新譜紹介だが、今日も思いつくまま書く。これは先ほど気づいたが、本作はショー1と2に分かれている。1が昼間、2が夜で、間に1時間以上の休憩があったのかもしれない。



と思うのは、ふたつのショーでは曲にだぶりがあるからだ。それは「シャリーナ」と「コール・エニィ・ヴェジタブル」だが、他曲でも部分に注目すると、ショーの1と2で似た演奏がある。また、ショー1は65分ほど、ショー2は80分ほどで、差は大きい。そのため、ショー1は切れ目なしの演奏になっているが、曲や曲間の拍手などを省いているかもしれない。不自然なつながりは確かにあり、2枚のCDに収めるために無理をしているところが多少感じられる。昨日書いたように冒頭35分は以前のテープの音がかすかに逆回転で混じっていた。その35分をCD化に際して使わないことには格好がつかないが、全部使う必要はないとジョー・トラヴァースは判断しかかもしれない。それで、ショー1と2がそれぞれディスク1と2に分かれて収まっていればいいのに、ショー2の最初の2曲はディスク1の最後に入っている。これが多少気分を削ぐ。その2曲の最初の曲の後半でザッパはジョージ・デュークが奏でるキーボードのスローなメロディを「サイレンス!」と言って止めさせ、メンバー紹介を始め、そしてメンバー全員を「ラリー・モンデロス」と同じ名前で次々に紹介し、観客を沸かせる。これは観客にとっては見慣れないマザーズの新体制であり、煙に巻く思いがあったのだろう。ジョージが奏でていたスローなメロディの断片はジャズっぽく、何度も口ずさんでようやく「スターダスト」のメロディの一部であることに思い至ったが、それは「ホワット・カインド・オブ・ア・ガール」の一部にも感じさせ、ザッパやジョージ・デュークがジャズのスタンダードを熟知していたことを想像させる。ともかく『フィルモア・イースト‘71』の語り調の曲につながるもので、メンバーの打ちとけた様子が伝わる。そう言えばザッパは70年5月中旬にズビン・メータ指揮のロス・フィルとマザーズの共演を行ない、それを見ていたフロ・アンド・エディがマザーズに参加し、その初めてのまとまった録音が本作だ。2か月に満たない新結成のバンドで、全員プロであることをつくづく感じさせる。ロス・フィルとはロンドンのアルバート・ホールで共演する予定があったのがイギリスの良識派の抗議によってキャンセルされ、ザッパは残念がったが、本作の演奏はその代替と位置づけてもよい。またロス・フィルの演奏部分がどういうものとなったかは、71年の『200モーテルズ』から想像するしかない。さて、ふざけたメンバー紹介の次に他人の短いロックンロール曲「ジャスティン」を演奏する。おそらくフロ・アンド・エディが参加した最初の頃はこのような単純な曲を試したのだろう。聴き方によってはこの最後の2曲はショー1のアンコールにも感じられるが、ディスク全体を占める「本番」の対する腕ならしの「序」だ。
 ディスク2の1曲目「パウンド・フォー・ア・ブラウン」はギター・ソロ曲で、ディスク1の12曲目「キング・コング/イゴールのブギ」のそれかと思わせるほどに似ている。「パウンド・フォー・ア・ブラウン」はズビン・メータとの共演でもレパートリーになった。演奏するたびにザッパは自分のソロに工夫を加えて行った。そのことが後年の『黙ってギターを弾きな』に結晶化するが、本作でその思想があらわになっている。それは、ディスク2の最後12曲目「クラップ(チュンガの復讐)」の最も良質な箇所を、ディスク1の12曲目から選んだギター・ソロやキーボード・ソロとつなぎ合わせてアルバム『チュンガの復讐』の「ザ・ナンシー・アンド・メアリー・ミュージック」としたことだが、『チュンガの復讐』のギター・アルバム的側面を考えると、同作にはスタジオ録音の「チュンガ」と本作から抽出したライヴの「チュンガ」が同居し、しかも後者は別の曲の断片と結合され、別の題名で収録されている。この工夫は後年のザッパを考えるには重要だ。同じギター曲のソロであるのに、片方を別の曲とすることをザッパは初期から行なっていたが、これは断片の輝きを重視し、それを別の断片と結合することでより輝きを増加させるという考えによる。そこで前述したディスク1の15曲目、すなわちショー2の最初の曲で即興で気軽に奏でられるジョージのソロを思い起こす。同様のジョージのザッパの語りの背後でのBGM的ソロは、73年のロキシーでも行なわれるが、本作ではその断片はザッパが演奏を遮ったこともあってやけに印象的で、またそのごく短いメロディにザッパの本質の美しさが凝縮されているように感じる。もっと言えば、ザッパの曲の何気ない断片が宝石のように輝いて聞こえる瞬間がある。耳慣れたメロディであるはずなのに、本来の曲から剥がしてメロディ単独で聴かせられると、意外な新鮮さと驚きをもたらす。
 ディスク2の2曲目「スリーピング・イン・ア・ジャー」もアルバム『アンクル・ミート』に収録されるが、最後にストラヴィンスキーの「アゴン」の冒頭部に似た、おそらくザッパが手で合図や指揮をする複雑なリズムの短いパッセージがある。これはショー1で「アゴン」を演奏し、今度はそれをネタに似たような現代音楽的な演奏を提示しようという意欲だ。ここには伝統的なジャズではもはや面白くないという改革の思いがある。デューク・エリントンが貧困に苦しんだとすれば、同じようなジャズを目指したのでは同じ境遇に陥って当然だ。そのことで初めてザッパは考えたのではなく、現代音楽の強いエネルギーには10年前の子どもの頃から魅せられていた。それを学んでジャズ、ロックにどう結合させ得るか。それを70年に入っていよいよ自覚したと言ってよい。ただし、現代音楽がそう簡単にジャズやロックと結びつけて咀嚼出来るはずのものではないことをよく知っていた。それで現代音楽の複雑な構造を概観し、そこから新たな現代音楽を書くというのではなく、その現代性を自分が思うそれとどうミックスさせるかというところに留まったと言ってよい。ただし、そう限定するとザッパを侮ることになる。現代音楽に関しては、それはそれでその土壌で勝負したい思いが60年代からあり、それは少しずつ結実して行く。その一方での大衆向きの音楽においても独自性の追求による結果として、現代音楽的な味つけがなされたということだ。3曲目「シャリーナ」はディスク1の14曲目よりも『チュンガの復讐』に近いスロー・テンポとなっている。この曲を気に入っていたのだろう。穿った見方をすると、せっかくのフロ・アンド・エディを加えてのヴォーカル主体のロック・バンドとしてのマザーズを70年春に結成したからには、ヒット曲がほしい。ザッパはラヴ・ソングを好まないと語っていたが、この曲は失恋を扱う典型的なラヴ・ソングだ。だが、ザッパらしくもありながら、月並みではなく、『クルージング・ウィズ・ルーベン・アンド・ザ・ジェッツ』のような50年代の古きラヴ・ソングとは全く違う雰囲気で書くことが出来たことをよく示す。それはディスク1に収録される「ユー・ディドント・トライ・トゥ・コール・ミー」ともまた違って、確実に新しい時代を感じさせる。
d0053294_12203648.jpg

 4曲目「現代音楽の断片」は原題ではダブルクォーテンション(“)で囲んだ表記で、これはザッパがテープの箱につけておいた題名ではないだろう。ザッパの即興指揮による演奏だが、必ず演奏するといういくつかの決まった断片を用意し、それらを組み合わせながら、計画したとおりに即興を進めさせた。ディスク1の12「キング・コング/イゴールのブギ」の「ザ・ナンシー・アンド…」で収録された部分と同じヴォーカルによるドラミングを模倣した演奏を含むこともそうだ。完全な即興とは、予め綿密に練習したことを基礎とする。そしてザッパは自分の厳格な統制下でメンバーの即興を許容した。ヴォーカルによるドラミングは、「シャリーナ」と「コール・エニィ…」以外にもショー1と2とでだぶる箇所があると最初に書いたことにも該当するが、どちらかを採るとなると、「現代音楽の断片」は練習的過ぎる。その後、デューク・エリントンの「キャラバン」が演奏される。これはツアーでエリントンと一緒になったことや、またそのことでザッパは新たなジャズを目指したことを思い出したためと捉えられるが、60年代半ば、結成した当初のマザーズの舞台で客が即興で同曲を演奏したこととも概念継続している。また次の5曲目「ザ・リターン・オブ・ザ・ハンチバック・デューク」の題名にも「デューク」は出て来る。同曲は『フィルモア・イースト ‘71』の冒頭曲の初期ヴァージョンで10分の長さがあるが、驚かされるのは最後の2分のザッパのギター・ソロだ。それは「インカ・ロード」のソロと同じで、本作がギター・アルバムの「序」になっていることをここでも感じさせられる。そこで改めて「インカ・ロード」を思い返すと、同曲はもうひとつ全く違うメロディに対して最初はその題名が与えられた。その題名は結果的には75年の『ワン・サイズ・フィッツ・オール』収録のギター・ソロを中心とするヴァージョンに使われるが、メロディはギター・ソロが終わった後のヴォーカル部に使われた。つまり、70年の時点では、75年に公式発表となる「インカ・ロード」の前半のメロディしか完成しておらず、また「インカ・ロード」という名称もなかった。70年に演奏したギター・ソロの主題を温存しながら、一方でそれとは無関係の別のメロディを書き、お互い別の曲としてもよかったのに、ザッパはギター・ソロを主体とする曲として合体させ、またそのことを自然に聴かせるために双方のメロディに歌詞をつけ、全体をまとまった、しかし複雑でどこか落ち着かない1曲とした。その落着きのなさは、「インカ・ロード」前半、つまり本作のディスク2の5曲目の最後2分間が、さらに発展し続け、幾多のタイトルの異なったギター・ソロ曲となって行くことに表われている。そして、それぞれの曲には結晶化した断片が含まれ、それらはさらに別の曲に変容する可能性を含み、実際変容する。
 ディスク2の後半はディスク1と対になるように『ウィア・オンリー・イン・イット…』のヴォーカル曲をフロ・アンド・エディが担当する。そのことでショー1と2はお互い補完的の様相を呈しているが、『ウィア・オンリー・イン・イット…』の組曲的なところを、フロ・アンド・エディを迎えたことでライヴでも演奏出来るようになったことを歓迎するザッパの思いが見える。そしてその組曲はフロ・アンド・エディ時代にはさらにいくつかが書き下ろされ、『200モーテルズ』へとつながる。前述したように、その組曲は断片を集めた曲をいくつか組み合わせたもので、その断片は別の断片とつながり、組曲自体もそうなっている。ザッパの音楽の面白いところは、その多くの細部に耳馴れ、それが時代によってどう変容し、また組み合わされて行ったかを知るところにある。そしてその作業はこれまでの公式盤を全部熟知してもまだ不明なところがある。それを知るたとえばジョー・トラヴァースは、その誰も気づかなかったザッパの考えを録音によって伝えようとしている。そのため、今後の新譜にも目が離せない。さて、ディスク2の11曲目は「モンデロの復讐」と題されるが、ここでザッパは初めてメンバーの名前を架空のモンデロではなく、まともに紹介する。そのことを「復讐」と題するのは次の「チュンガの復讐」を思ってのことだろうか。だが、ザッパは観客に向かって「THE CLAP」と曲名を紹介し、また笑わせる。同じ題名の曲はアルバム『チュンガの復讐』に収録されるが、そこではザッパひとりが多くの打楽器を演奏する。では、本作ではどうかと言えば、最初から同アルバムの「チュンガの復讐」と同じギター曲だ。同アルバムのスタジオ・ヴァージョンは春に録音済みであったが、その時につけられた題名は確か「チュンガ」で、「ザ・クラップ」ではなかった。ではこの「クラップ(拍手)」は何を意味するか。筆者が想像するに、それは演奏が終わった後の拍手ではなく、演奏の一部としての観客の参加だ。ここまで書けば誰もが思い当たるだろう。ディスク1の12「キング・コング/イゴールのブギ」の中間部では観客の手拍子が重要な役割を演じている。それで「ザ・ナンシー・アンド…」にもその部分が収録されたが、ザッパは観客にも指示を出し、即興演奏に巻き込んだ。『200モーテルズ』ではこつこつと書き溜めたオーケストラのフル・スコアを100人以上の管弦楽団に演奏させる。ザッパは意のままにあらゆるものを自分の思いどおりに動かして行こうとした。それで独裁者と呼ばれたが、それくらいでなければ、アメリカでは名声を保持することは難しい。
[PR]
by uuuzen | 2016-06-03 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編)


●『ROAD TAPES #3... >> << ●『DWEEZIL ZAPPA...
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
ご指摘どうもありがとうご..
by uuuzen at 12:22
Frank zappa ..
by ザッパ at 08:30
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.