●『ROAD TAPES #3』その1
んなが納得出来る内容の新譜かどうか、ゲイルが亡くなってから初の発売と厳密には言ってもよいアルバムが今日届いた。『#2』が2013年11月であったので、2年半ほど空いた。



ゲイルが本作の発売を決めていたかどうかだが、おそらくジョー・トラヴァースとの話し合いでかなり先の発売まで俎上に挙げていたであろう。本作のライナーにゲイルの言葉なく、ジョーが書いているが、だからと言ってジョーひとりが発売を決めたとは言い切れない。それでもゲイルは自分の肺癌を何年も前から知っていて、重要なものから先に発売したと考えていいのではないか。となると、この一会場丸ごとステージのCD化はどれほど続くかわからないが、重要なものほど最初の頃の発売となるように思う。もっとも、ファンによっていつの時代のマザーズの演奏が好きかは分かれるから、本作を第一に挙げる人もあるかもしれない。筆者はまたフロ・アンド・エディ在籍時ということであまり期待しなかったが、筆者はこのふたりのヴォーカリストがいた時代が最も好きかもしれない。最初に聴いたアルバムの影響が大きい。それは『フィリモア・イースト‘71』であり『チュンガの復讐』であったが、ふたりが抜けて最初の『ワカ・ジャワカ』も同じほど、しかも同時によく聴いた。筆者のザッパ体験は以上の3枚から始まった。それで、そのどれが一番好きかは甲乙つけがたいが、秋になると『チュンガの復讐』が聴きたくなる。「シャリーナ」が秋風に似合う失恋の曲であるからだ。またそのアルバムのA面の最後には「ザ・ナンシー・アンド・メアリー・ミュージック」という長い即興曲が入っていて、そのライヴ感がとてもよいが、3つのパートから成り、その結合具合が巧みなのはいいが、気分が多少削がれるところに渇望感を覚える。そして、その実際の演奏はどうであったのかとそのアルバムを聴くたびに気になっていた。それが今日ようやく夢がかなった。しかもあまりに突然それが訪れたので、小躍りしている。筆者は21か22歳でそのアルバムを買ったが、それから42,3年ぶりだ。相変わらず同じことを書くが、長生きはするものだ。亡くなったジョージ・デュークはその演奏では重要な位置を占めているが、今日届いたCDやまたその録音テープも聴くことはなかったはずで、そう考えるとなおさら長生きすれば長年望んでいたことがかなうことを実感する。だが、すべてのザッパ・ファンは筆者とは同じようには思わず、本作の売れ行きは『#1』や『#2』より各段にいいということにはならないだろう。
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 さて、CD2枚を一度だけ聴いた。本作については3回ほど投稿を予定しているが、まず書きたいのは前述の長年望んでいた曲の全貌だ。まさかそれが本作に入っているとは予約段階ではわからなかった。ただし、演奏会場の「タイロン・ガスリー・シアター」はどこかで聞いたなと思っていた。それが「ザ・ナンシー・アンド…」が収録された場所であることを、ディスク1の12曲目「キング・コング/イゴールのブギ」を聴いていて思い出した。そうなると本作が1970年7月5日の録音であることに改めて気づく。『フィルモア・イースト‘71』やその続編『アナザー・バンド・フロムLA』はいずれも1971年のライヴで、ザッパはフロ・アンド・エディを迎えてマザーズの演奏がこなれた頃の演奏をアルバム化した。これは当然で、初期はまだぎこちなく、粗が目立つからだ。少しでも質のよい演奏をアルバム化することをザッパは常に考えていたので、フロ・アンド・エディを迎えた1970年のライヴ・ステージはまだそれを主としてアルバムを構成することは無理と考えた。だが、スタジオ録音だけでは素材が不足し、それで『チュンガの復讐』にライヴ素材の「ザ・ナンシー・アンド…」を含めたが、そのことは同曲が70年の演奏の最も良質な部分を選んで構成されたと考えてよい。つまり、CD2枚で146分の演奏時間の本作で最も価値ある部分は「ザ・ナンシー・アンド…」ということになり、生前のザッパは本作をそのままアルバム化することは考えなかったであろう。ではなぜ本作を『#3』としてジョーが発売しようと考えたかだ。それはザッパがいかにしてひとつのステージから最重要部分を抽出し、ひとつの曲としてアルバムに収めるかの具体的な例を示したかったからであろう。ザッパの編集思想がわかるとの思いだ。ザッパ没後のアルバムはすべてそのように生前のアルバムをより理解するためのもので、その意味で研究に役立つ素材と位置づけられる。
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 ディスク1の12曲目は「キング・コング」と「イゴールのブギ」の主題を使った20分半ほどの演奏だが、2曲目は「キング・コング」の主題のみで3分40秒ほどだ。同じディスクの最初と最後に「キング・コング」が二度登場するが、12曲目の主題は2曲目の本来の主題ではなく、いわば副主題で、この2曲に挟まれた全体がひとつの組曲のようになっていると考えるとよい。また副主題から始まる12曲目はすぐに「イゴールのブギ」の主題につながり、ザッパはそれを元に変奏を始める。それは速度を増して行くが、突如「ザ・ナンシー・アンド…」で聴き慣れたパートが始まり、全体に耳新しい素材はないなと思って聴いて来たディスク1が突如宝物に変貌することを認識する。もちろんザッパは12曲目の中間部の即興から部分的に使用しているが、その切り取り方は見事だ。だが、一聴して不思議に思うのは、「パート2」のザッパのギター・ソロが12曲目にはないことだ。42年も聴き続けて来た『チュンガの復讐』であるので、12曲目を一度聴いただけでそのことはわかる。では「パート2」はどこから引っ張って来たのか。そこで初めてジョーが書くライナー・ノーツを読むと、ディスク2の最後すなわち12曲目「ザ・クラップ(チュンガの復讐)」という13分の演奏から移植したことがわかる。そしてディスク2はまず12曲目を聴くと、ちゃんと「ザ・ナンシー・アンド…」に使われるザッパのギター・ソロが出て来るではないか。つまりザッパは「ザ・ナンシー・アンド…」を1曲の即興演奏から抽出したのではなく、ステージ前半のほとんど最後、そしてステージ後半の最後からそれぞれ最もよい部分を厳選し、それを1曲としてつないだ。このことを知るのに42年要した。ああ、長生きして来てよかった。ともかく本作は『#1』や『#2』よりもいい。『チュンガの復讐』を作った当時のマザーズの演奏がどういうものであったかがよくわかる。そしてフロ・アンド・エディのヴォーカルはまだ完全に実力は発揮されておらず、むしろジョージ・デュークやイアン・アンダーウッド、それにドラムスのエインズリー・ダンバーの活躍が目立つ。つまり即興演奏部分に聴きどころがある。このことは、フロ・アンド・エディが抜けた後、ザッパはまた即興演奏を重視するジャズに向かうことをよく表わしている。それはそれでいいのだが、フロ・アンド・エディの歌の才能がザッパによって最大限に発揮された『フィルモア・イースト‘71』はやはり筆者のザッパ愛聴盤としてほとんど最高位になっていることを再確認する。
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by uuuzen | 2016-06-01 18:16 | ●新・嵐山だより(特別編)


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