電信柱が倒れ、電線が地面に垂れている映像を見ると、地震がつくづく怖い。建物や家具で圧死する人は少なくないが、感電死する人もあるかもしれない。
1日の3分の1は横になって眠っているから、大地震で寝ている間に死ぬとしてその確率は3割あることになって、これは少ないのか多いのか、深夜に布団に入る時に翌朝無事に目を覚ますことが出来るかとふと考えたりする。熊本で大地震が立て続けに起こっていっこうに収まる気配がなく、被災者は車やテント暮らしが長丁場になりそうだ。14日の深夜に震度7の地震があったとネットで知った時、熊本の田舎でありそうで、たぶんそう大きな被害はないだろうと思った。大災害はいつも最初はそのようにさり気なく報じられる。被害が深刻であることは後々にわかって来るが、今回の熊本の地震はそんなふうであった。一方では南海トラフの大地震の可能性も数年前からにわかにTVでは何度も言及されるようになったが、京都盆地はその巨大地震からはひとまず多少は離れているのでさほど心配しないでもいいかと考える。5年前の東北大震災の後、梅津の従姉は大阪で大地震が起こったとして、大阪湾に発生した津波は淀川を遡り、梅津までやって来るのではないかと心配した。大阪湾から梅津までは数十キロはあるので、絶対にそんなことはないと筆者は言ったが、それほど京都盆地は自然災害の危険性は少ない。せいぜい桂川の氾濫だが、浸水で済むならまだいい方だ。活断層が樫原に走っていて、その延長上にわが家があるので、地震の心配が最も大きいが、なるようにしかならないと思う。先月向日市に用事があって、電車でも行くことが出来たが、JR駅の近くで、阪急ならばわが家からは便利だが、それで諦めて自転車で行くことにした。樫原からもう少し南、そして東宝だが、樫原の交差点辺りから東を見ると、広大な畑が広がっていて、その中に中学校た3,40年前に建ったらしき木造の家屋が居並ぶ地域がある。まだまだ開発が進んで人口が増えそうだが、それはもっぱら阪急の駅に近い場所で、数年前に巨大なマンションが出来てそのすぐ南にイオンもオープンした。駅は新しく阪急が造ったもので、どうやらその周辺がこれからどんどん開発されて行くようだ。その地域から少し北西に前述の畑が広がっているが、その畑を見下ろす道路に立つと、樫原断層が動いて大地震が起こった時のことを考える。それは物集女街道沿いの古い住宅が一斉に倒壊することで、広大な畑がまだほとんどそのまま残されているのは、家を建ててはまずい地域であるからだろうと考える。そして、その大地震の可能性を考えてイオンは樫原断層から2キロほど西に建ったのではないかとも思う。
それはともかく、樫原交差点からイオン、そしてその南東の工場地帯を先月二度走り、つい先日も走ったが、三月末日に家内は自転車に乗ったまま倒れ込んで顔面に怪我をしたので、自転車に乗ることを怖がっていたが、また出かける用事が出来たので、明日家内と出かけるつもりでいる。筆者もようやくその方面の道を覚えたし、天気がよくて明るいうちにゆっくりと走れば問題ない。さて、今日は先週に続いてちょうど1年前に撮影した桂川の距離標だ。去年の今日の投稿に書いたが、その日も家内と一緒に自転車で嵐山から南下した。物集女街道ではなく、桂川沿いだ。行き先は鳥羽上下水場の藤の花の一般公開で、そこに行くには電車は不便で、自転車が手っ取り早い。わが家から南東の方向にあり、最も近い道は桂川沿いの道だ。物集女街道を下がると、三角形の二辺を走ることになる。ただし、去年は帰りはそのルートを選び、出来て間もないイオンに立ち寄った。自転車を停めるのにいちいち係員から指示され、かなり面倒であったので、明日はイオンの前を通るが、入る予定はない。ほかにもスーパーはいくらでもあるからだ。鳥羽上下水場へ向かうには桂川の河川敷の自転車道路を利用すると大型トラックに悩まされることはないが、去年はそれがわからず、桂離宮際つまりずっと右岸を走った。途中とても土手上の道幅が狭くなり、そこをダンプ・カーがよく走る。あちらも心配だろうが、こっちもひやひやだ。筆者は家内の30メートルほど先を走ったが、後で家内はもう少しで土手の下に転がり落ちる恐怖を何度か味わったと文句をしきりに言った。その右岸の土手上の道路からは眼下に自転車道路が見えず、仕方なかったのだが、右岸ではなく左岸にそれがあることを帰宅後にネットで確認して知った。次回訪れる時はそこを走ろうと思うが、今年はもう行く気がない。一度見れば充分と言うか、ほかにも行っていない場所はたくさんあり、1年のうちの今頃の季節は瞬く間に過ぎ去ってしまう。そのようにして5、6年はすぐに去り、気づけばかなり老けていて、もう体力も気力もないと思うだろう。それはともかく、鳥羽まで自転車で行こうとしたのは、去年の1週間前、渡月橋から梅津まで左岸を歩いた時、距離標を見かけたからだ。それが下流に向かってどういう地点に設置されているのかを確認したくなった。本当は三川合流地点まで行くべきだが、そう言えばまだその目的が残っていた。だが、それだけのために自転車道路を片道17キロも走ることを家内は絶対にうんとは言わない。ひとりで行けばいいが、ついで主義の筆者は河川標の撮影だけのために往復34キロを自転車で走るつもりはない。そこが前にも書いたように筆者は徹底主義者ではなく、広く浅くだ。だが、自転車道路ならトラックにおののくことはなく、適当に休みながら走ればよい。往復4,5時間もあれば走れるだろう。自治会のFさんの長男は自転車好きで、よく三川合流地点まで往復するらしい。それも驚くほど時間が短い。ということは、自転車道路はトラックの心配はないが、猛速度の自転車に注意する必要がある。
桂川距離標は右岸と左岸にあるが、前述のように筆者らは右岸を走り、しかもトラックがぎりぎり通り過ぎて行くところを探しながら、また探し当てればそこで自転車を停めて撮影したので、身落としがあったと思う。ヤフー・ボックスに京の4枚の写真を保存しておいたが、つけた名前を見ると、最初がCで4枚目はFになっているから、AとBは去年投稿したのかもしれない。調べるのが面倒なのでこのまま書くが、今日の4枚を撮影順に見ると、合流点から15、13、12、10キロとなっていて、14と11が抜けている。注意して走ったつもりだが、道路際は雑草が多く、それに隠れていたことも考えられる。また狭い道路では道路際ではなく、少し下がった堤の斜面の場合もあるだろう。帰りに同じ道を走っても探し当てられなかった。というのは、道路の左端を走るから、この距離標の設置される側からは道路幅だけ遠くなり、より見えなくなる。今日の最後の写真の三川合流地点から10キロ上流に鳥羽上下水場があるかと言えば、そうではなく、この標を過ぎて間もなく橋を東にわたり、今度は街中を南下した。これも地図を調べるのが邪魔くさいのでこのまま書くが、橋をわたって2キロほど走ると藤が見られる門があった。ということは、片道9キロほどか。より運動を考えるのであれば、それくらいは歩いた方がいいかもしれないが、殺風景な場所では楽しくない。その様子は今日の写真からもわかると思う。当然のことながら、店や民家はなく、自販機もない。それで帰りは遠回りにあるが、イオンに立ち寄り、また大阪が発祥のスーパーで買い物をするなど、あちこち寄り道をした。不思議なもので、そのことで疲れを感じない。ところで、この河川距離標はその後気になり、地元つまり松尾橋から渡月橋の間でもそれなりに目に留まったものを撮影した。来月になるがその写真を載せる。もっと徹底するならば、右岸と左岸の両方を1キロずつとなると、おそらく合わせて34個ある計算で、それらを全部撮影している人は当然あるだろうし、またそうなるとほかの河川もと思いは広がり、距離標の専門家がいるに違いない。筆者は中途半端で、それは気が多いということなのだろう。