●『二条城ライトアップ2016』その3
リーンな灯りのLEDと言ってもそう間違ってはいないだろう。熱を持たないので冷たい感じがし、そのことがクリーンという印象をもたらすとすれば、冷静であることを人間は賛美するということなのかもしれない。



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ともかく、LEDでどのような色の光でも作り出ることが可能となったことで、日本各地でLED照明を使ったライトアップが流行し始めたであろう。一方、江戸時代にライトアップがなかったとなれば、昨日書いたように燈籠があった。一昨日書いたように、5日は四条河原町に電車で出て、四条通りをまず八坂神社に向かったが、そこで目にしたのは、大きな枝垂れ桜の周囲に設置された篝火だ。まだ昼間なので、火は焚かれていなかったが、夜桜を篝火で楽しむことは、広い公園であるからいいようなものの、二条城の庭園では火の粉が建物に移る可能性があって、とても無理だ。となると、二条城では円山公園の夜桜とは違う演出が求められる。それがカラフルな光ということであった。つまり、京都の桜は円山公園の酒盛りの賑わいを身近に感じての篝火で楽しむことと、ELDの冷たい光に映し出される、しかも人々の喧噪のない静かな、冷たい光景を味わうことの二通りがあって、京都市としてもなかなかよく考えたものだ。本物の火は炎の揺らめきと、薪が爆ぜる音が混じり、間近に立つと火の粉で衣服に穴を開ける心配もあって、LEDよりもはるかにドキドキさせるものがあって、より印象深い。爆ぜる音と書いたが、円山公園では枝垂れ桜のそばで大勢が地面にシートを敷いて酒盛りをしていて、ほとんどその騒ぎが気になって夜桜の鑑賞どころではないが、その浮かれ騒ぎも含めて夜桜とも言える。つまり、夜桜は騒がしいものだ。その点、二条城のライトアップは暗闇の中に順路を歩く人の声は響くが、顔や姿はほとんど見えないので、庭の中で点るLEDの灯りの冷たさがまず印象に強い。それに飲食しながらの鑑賞は禁止されているので、円山公園のような酒盛りはなく、人々が歩き去った後は掃除の必要がないほどにクリーンであろう。そのことを京都市は意識しているのかどうか知らないが、円山公園ではたまに路上ミュージシャンが演奏するのに対し、BGMにせよ音楽は流れていない。この点でもとてもクリーンと言える。円山公園は今年はそういうミュージシャはひとりだけ見かけたが、本当は禁止されているのではないか。それでも隙を狙って音楽を演奏する者があり、それはそれで筆者は桜を楽しむ人々にはよいことだと思う。そうでなくても騒々しい公園であるから、それを打ち消すような音楽が演奏されるのはいいことだ。
d0053294_17291733.jpg 前言を翻すが、実は庭から出て東大手門へと南下しようとした時、琴の音が響いて来た。そちらに向かうと、扉をあけ放った内部で5,6人の女性がキモノ姿で演奏していた。黒山の人だかりの隙間から少しだけ見て露店が並ぶ方面に戻ったが、琴の演奏はせっかくの夜桜の鑑賞に花を添えようとの考えからだろう。そして、庭の中の建物ではなく、もう桜が見られない外側というのが、いかにも静かに夜桜のライトアップを楽しんでほしいとの考えが見える。その琴の演奏を録音し、庭園全体に静かに響きわたらせることは簡単だが、そこまでの光と音楽の饗宴といった演出は不要だろう。静かにしみじみと夜桜を見る方が印象深いとも言える。カラフルな色合いの光だけでも過剰に感じる人はあるはずで、そこにBGMまでとなると、やり過ぎという感じがするかもしれない。音楽には特に好き好きがあるからだ。琴は外国人観光客にとっては珍しいものであり、また日本情緒を感じさせるが、それの生演奏となればさらに評判はいいだろう。演奏する側も大勢の人が次々に見るということで気合が入る。今その演奏場所を調べると、台所であった。普段は公開していないと思うが、なかなか広々とした一軒家で、そこを演奏会場とすることは、ライトアップされた桜を楽しんだ後の人々にとっては意表を突かれる工夫で、順路はとてもよく計算されていると言える。今日の4枚の写真は庭園内のほとんど最後近くで撮り、その数分後に台所前に立ったが、順路の最後に至ってなかなか見栄えのよい桜が集まっていた。その様子は4枚の写真から多少は伝わるのではないか。筆者の安物のカメラでは実際の光の具合はほとんど忠実に再現出来ていないが、それでも絵になる角度があったことは伝わるだろう。
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 最初の写真は気に入っている。これだけ見ればどこにもあるような光景だが、庭園内でこのように光を当てられた満開の桜を見ると、篝火で照らされる光の揺らぎはなくても、夜桜を楽しもうとする人の思いがよくわかる。青い夜空と明るい桜色がとても似合うのだ。それは真昼に見る桜とは違って、空が暗い分、より桜に存在感がある。桜の本性が誇張されると言えばいいか、夜の梅とは全く違う妖艶さがある。梅は寒い時期でもあり、光を当てられた夜の様子に態妖艶といった言葉は似合わない。真冬の夜に寒さに縮み上がって梅を見に訪れる風流な人は少ないはずで、北野天満宮の梅苑では今後もライトアップをしないと思うが、嵐山の花灯路が年々盛況になって来ていることからは、いずれ北野天満宮も夜の観梅を始めるかもしれない。今日の3枚目は下の方に人の頭の黒い塊がいくつも見える。目を下に向けると、時々光るスマホ画面が見えたが、スマホで撮影する人が多いことと、また歩きながらツイッターでもしているのだろう。3、4枚目は庭の苔や水辺はない場所で、有名なシダレエンジュが両脇に続く小径近くで撮った。この木は枝の形が独特で、まだ葉を1枚も出していない時期で、その形がよくわかったが、主役は桜で誰もこの木の存在には気づいていないだろう。梅が主役の季節は梅に目が行き、紅葉の季節はまた別の木というように、庭は四季それぞれに楽しめるように植木が工夫されている。さて、今日の4枚目は北を向いて撮ったが、遠くにある1本の桜にスポットライトを当て、幻想的な舞台のようであった。すでに空はすっかり暗くなっている。見始めてからわずかな間に空の色合いは変わり、またそれに伴って見るべき庭も移動するから、次々と変化に富む光景が現出する思いがする。4枚目は特に変わった場所で、中央の桜は孤立して植えられている。このように見える箇所は園内でここだけで、さほど大きくない桜の木の今後の成長が楽しみだ。左手にある建物も邪魔にならず、却ってその白い壁の幾何学性が絵になる構図を作る。中央背後の黒い大きな木はその背後のビルなどの建物を隠しているかと言えば、背後に高層建築はないはずで、二条城は市内のど真ん中にあるのに、枳殻邸のような無粋な現代的な建物を見ないで済む。今後もそのようにあってほしいが、京都市はそのことを考えているのだろうか。さて、写真はもう1日分残っている。
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by uuuzen | 2016-04-07 23:59 | ●新・嵐山だより


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