●『二条城ライトアップ2016』その2
工中のような二条城の東大手門で、昨日載せた写真は2枚の大きな看板がなければ二条城とは思えない。二条城の東北の角であったか、樹木を何本か切って駐車場に改める案が出ていて、市民が反対している。



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世界遺産を無闇に改造するなということだ。同じ問題は下鴨神社でも起こっていて、こちらはもう住宅が建つことが決まったのではないか。二条城の西北にあった出世稲荷神社は経営困難になって土地を売って大原に引っ越したが、京都の古い遺産が虫食いのように少しずつ減って行くことがここ10年ほどの間に目立って来ているのではないか。多少土地が削られてもすぐにみんな慣れるし、またひとりずつの観光客はごくわずかな時間しか訪れないから、以前がどういう状態であったかわからず、こんなものかという思い出で去って行く。つまり、京都市にとってはたとえ二条城を半分ほどの規模にしてもほとん問題はないと考えているだろう。半分を民間に売ってマンションを建てれば市の職員の給料が上がるし、ボーナスも出る。その方がいいと思っているのではないか。民主主義とはそういうもので、封建時代の遺産で飯を食いながら、一方ではその遺産は維持管理の面からも最小限の規模でよい。二条城は天守がないが、それがあった場所に徹紺コンクリートでもいいので復元しようかという声は上がらない。そうしなくても観光客はたくさん来る。じっとしているだけで潤うのであるから、よけいな費用をかけて話題作りをする必要はない。また、費用をかけるならわずかで済み、また儲かることが条件だ。そう思っているのかどうか、二条城では桜の季節にライトアップを行なって大勢の人に来てもらおうと考えた。それは一方ではその収入を維持管理に使いたいからでもあろう。市民しんぶんであったか、二条城の修復に大金が必要で、募金中であるといった記事を読んだことがある。2月には北側の壁にボール大の凹みが40箇所ほど見つかったという事件があったが、壁に落書きされるなどの被害はよくあって、それらの修復のための費用もかかる。それでというのではないだろうが、敷地の隅っこの木を何本か切って駐車場にするという考えも出て来るのだろうが、木と車のどちらを優先するかとなると、京都市民なら誰でも木というだろう。車でやって来なくても便利なところに二条城はあるから、コンクリートを敷き詰めた駐車場にする必要はないが、それで金が儲かるなら、またその金で維持管理が多少でも滞らないで済むならとの考えもわらないでもない。維持管理は重要で、荒れたままでは観光客は遠のくし、そうなればさらに荒れる。京都を代表する施設でまさかそんなことはないと思っていると、それは甘い考えというべきだろう。他県が洒落た建物をどんどん建てるのに合わせて、観光客がたくさん訪れるところはそれなりにきれいに保っておく必要がある。二条城はすべて作られたもので、自然のままという部分はない。ならば今後もそれなりに作り変えて行くことは悪いこととは一概に言えない。
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 さて、昨日の写真の3枚目は、有名な唐門を少し西に行ったところにあった光のトンネルだ。チケットの写真にはその唐門が写っているが、これも修復中で、布に覆われて見えなかった。ということはチラシやチケットの写真は嘘をついていることになる。それでというのが理由でないだろうが、30メートルほどの長さの光のトンネルを設置したのかもしれない。これはイルミネーションに慣れた人にとっては実にしょぼいものだが、筆者はそれなりに面白かった。その理由は、7月に二条城前の堀川で実施される『京の七夕』のイルミネーションを連想させたからだ。またその堀川上の空に架かるイルミネーションはもっとたくさんの電球を使ってより華麗だが、電球をたくさん使うほどに場所の感覚がわからなくなる。それがこの二条城の光のトンネルでは夕暮れの空がとても広々としている。当然ビルや電線が視界に入らず、いわば江戸時代そのままの空間に、江戸時代にはなかったイルミネーションが合体し、現代ならでは娯楽というものが享受出来る。そんなことを思ったのだが、その現代的な光の演出の娯楽はここ20年ほどの間に急速に普及し、夜の繁華街のネオンが歴史的建造物にまで入り込んで来て、手放しで喜ぶべきこととは思えない人もあるだろう。古い空間はそのままにしておくべきとの考えもわかるが、墓場ではないし、前述のように意外な演出によって大勢の人が訪れ、それで利益があれば維持管理に役立つ。『京の七夕』は無料で見られるが、それが年々たくさんの人が集まることに目を留めた京都市は二条城の桜もライトアップすればいいのではないかと思ったのであろう。夜の城はこれまで見せたことはなく、また魅力はないものと思われていたが、ライトアップすることで見違えるように見えると考えられた。その思惑が当たったことは、チケットを買うのに長い行列が出来ることからもわかる。それに二の丸御殿の内部までは見せないから、客は闇に乗じて悪さをすることも出来ない。ライトアップによって意外な光と影の演出を見られるとはいえ、庭の美しさは当然昼間楽しむもので、ライトアップを訪れた人はまたじっくり昼間に御殿の内部を含めて見に来ればいい。ということで、筆者の投稿する写真も二条城らしい庭のライトアップのよさを伝えるものにはなりにくく、虹色の光があちこち灯っているというものになるしかない。とはいえ、やはりたくさんの桜はあるし、また前掲の小さな光のトンネルから見える夕暮れの空はなかなか乙なもので、昼間訪れたのでは味わえない風雅があった。
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 午後6時はまだ多少明るいが、みるみるうちに日は翳り、ライトアップの光がよく見えるようになった。昨日の最後の写真は桜にわずかに下から光が当たっている様子がわかるが、写真の加工具合によっては早朝にも見え、またライトアップの光に頼らずにどうにか桜の色合いはわかる。これは城の南東角辺りで、そこから南辺の中央辺りまで歩くと今度は北へ向かうように順路が定められている。北に向かって歩くと、左手に濠がある。それを撮ったのが今日の2枚目の写真だ。似た写真を場所を変えて2,3枚撮ったが、最も光がよく見えるものを選んだ。また濠の水の揺らめきが石垣に反映してアニメーション効果もあった。濠を過ぎると右手に折れて二の丸庭園の中を歩く。そうして撮ったのが今日の残りの写真だが、この庭園は城の東半分をおおよそ占める。本来なら濠を越えて本丸の区域に入り、その中にある庭園も見せてくれればいいが、夜のことなので濠をわたらせるのはまずいと考えられているのではないか。二の丸庭園だけでは少し見物は少ないように感じるが、本丸庭園には桜が植わっていないかもしれない。二の丸庭園の中をぐるぐるとどう移動したのかわからないが、次々と景色が違って見えるのはさすが日本庭園で、その効果を最大限に考慮したライトアップであるだろう。あるいは毎年光の位置や色を変えているかもしれない。そうそう、色は固定ではなく、瞬時に赤から緑に変わるなど、予想のつかない変化を見せ、撮影するのに多少困った。青が長く灯っているかと思えば赤になった次の瞬間、緑に変わるといったように、ネオンの意識が活かされ、これは江戸時代のように石燈籠の中に蝋燭を灯すということからはかなり遠い。それは現代特有の面白さを現代人は得ることが出来る点で、このライトアップは批判を浴びにくいし、また浴びることはあり得ないとも言える。では江戸時代のようにところどころにある石燈籠だけを点火して大勢の客を呼び込もうとなると、足元がまず危険で、とても現実的ではない。古い遺産が現代の技術によって傷つけられることなく、新たな楽しさとして活用されることは観光資源の活用からはなかなかよいことで、清水寺や高台寺なども同じことを10年ほど前からやっている。この調子では伏見稲荷大社の千本鳥居も夜間に通り抜けることが出来るようにライトアップされるのではないか。またそうなると、桜に限らないから、年中ということになるが、そうなればなったでまた具合が悪い。
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 ライトアップの色は桜にはなるべく桃色、苔には緑、水辺には青と、現実的な色合いを意識しているが、全くそうとは限らない場合があることが今日の写真からわかると思う。たとえば、真っ赤なライトを当てると、秋の紅葉を思わせることも出来る。そしてそういう色合いの光は使われていないが、光の印象が強く、どういう樹木がどういう形で植えられているかといったことには目が行かず、また見えない。それは「ライトアップ」の看板に偽りがないことであって、文句は言えないし、また昼間見るより各段にいいことがある。それは前後をびっしりと歩く人も真っ黒な影となって見えないことだ。つまり、純粋に光だけを楽しむことが出来る。確かに誰もが話をしながら歩くが、姿や顔がほとんど見えないことで庭園とその光の演出だけに意識を集中出来る。これは予想外のことで、こうして書いていて、次々に目に留まった意外な眺めがどれも強く印象に残っていて、それは昼間訪れては味わえないことに思う。嵐山の法輪寺では毎年冬の花灯路の期間中は、本堂その他をスクリーン代わりに抽象模様の光の映像を写し出すが、いつも同じ映像作家が担当し、その人の顔写真入りのパネルを麓の車の乗り入れ口に立てるが、二条城のライトアップもそうしたいわば光を扱う作家が担当しないことには効果が出ないはずだが、その名前はチラシにはない。庭にライトせ設置するのであるから、庭師との綿密な打ち合わせが必要なはずで、またそのためには時間も費用もかかるが、『京の七夕』での関係者が協力しているのではないか。神戸のルミナリエはイタリア人の作家がデザインしていて、その人物にそれなりの費用を支払っているので、経済的効果がそれに見合うほどでなければ続けることは難しい。その点、この二条城のライトアップは、庭、桜、そして光が主役で、ルミナリエほどには光だけに負っておらず、その点は経済的は安くつくだろう。それは清水寺た高台寺でも同じで、伝統的な遺産の強みを感じさせる。
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by uuuzen | 2016-04-06 23:59 | ●新・嵐山だより


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