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●神戸北野美術館
場料500円は安いが、展示される絵画はポスターや印刷で、建物の内部の雰囲気を楽しむだけだ。それでもけっこうこの施設は面白い。昨日取り上げたモランディ展を見た後、三宮に出て昼食を済まし、それから北野に向かった。



●神戸北野美術館_d0053294_075185.jpgそう言えば神戸にはしょっちゅう訪れているのに、北野はめったに行かない。かなり昔、どの異人館か忘れたが一度入ったことがある限りで、北野はほとんど知らない場所だ。筆者はもっぱらJRや阪急の三宮駅から南を歩き、北には足が向かない。山を上って行くような急な坂が続くからでもあるし、美術館もないからだ。それが北野美術館と名のつく美術館があることをたまたま知った。この建物は明治31年(1898)に建てられた異人館で、戦後から1978年まで旧アメリカ領事館の官舎として使用された。そして1995年の阪神淡路大震災の翌年から美術館として使われるようになったが、最初は永田萌の絵本原画を常設展示から始まった。確かのそのことは当時何かで読んだことがあるが、永田萌の原画は当時切手にも何度か採用されるほどの大人気で、震災直後の人々の気持ちを癒すにも最適と思われたのであろう。だが関西に入れば永田の絵は珍しくなく、筆者も百貨店の展覧会を見たことがあるし、女や子ども向きという気がしてわざわざ神戸の北野にまで行って見る気は全くなかった。何でもブームは過ぎるもので、さすがの永田の絵もここ10年ほどはほとんど見なくなった。本人は活動をやめたはずはなく、相変わらず新作を描き続けているであろうが、同じ画風ではもう以前のような人気を保つことは無理なのだろう。毎年新人の絵描きは登場するし、きれいでかわいいイラストとなると、旬なものが歓迎される。それでおそらくこの美術館でも永田の絵を常設していては客の増加が見込めないと悟ったのではないか。また永田との間で契約もあったと思える。ともかく、常設展示をリニューアルし、2011年4月から「モンマルトルの丘の画家たち~神戸北野異人観・パリ市モンマルトル地区 友好交流展~」を開催し、今に至っている。永田の展示は6年であったから、その伝で言えば2017年にまたリニューアルが行なわれるかもしれないが、それはその頃の世の中の動きを見てのことだろう。ともかく、永田の絵を見るよりは、複製であってもパリのモンマルトルの丘になぞらえる方が神戸らしくていい。
●神戸北野美術館_d0053294_084787.jpg この建物の斜め向かいには同じような建物のフランス館やイギリス館があり、またもう少し北西には最も有名な風見鶏の館もある。つまり観光客がそぞろ歩きするのに最適の異人館密集地域で、そう言えば韓国ドラマでチェ・ジウが主演でこの北野界隈を歩き回るものが数年前にあったが、筆者らが歩いた2月12日は半分が中国、韓国を含むアジア人で、欧米人は少なかったが、観光客に混じって見慣れない地域を歩くのは楽しい。それでこの美術館は筆者らが入っていた40分ほどの間、訪れた客は10名ほどで、少ない方かもしれない。見るべきものは少なく、また喫茶室も広くないので、みんな10分もおらずに出て行く。木造モルタルで、床も多少ぶかぶかする箇所があり、老朽化が感じられるが、それが人間的と思えば却って好ましい。何しろ100年以上前に建ち、震災をくぐり抜けて来たのであるから、そういう建物の内部を味わえるだけでも貴重な時間だ。そして、あまりにたくさんの人が訪れては建物によくないので、せいぜい現状の暇かなという程度でいいのではないか。ただし、人件費や維持管理費が賄えるかと言えば、それはかなり怪しい。ではどうして経営が成り立っているかだが、北野の異人館は横のつながりがあり、神戸市も援助しているのではないだろうか。三宮から北野坂を上って行く時、途中で女性がひとり中に入った宝くじ売り場のような小さな施設があった。その少し手前の路上に、異人館地図が汚れて落ちていたが、その小さな施設で異人館共通券のようなものを買った時に手わたされたものだろう。筆者らはたくさん異人館を見て回るつもりもその時間もない。それで美術館と称する建物を目指した。先に書いたように美術館と呼ぶにはおそまつだが、モンマルトルの丘を説明する写真つきのパネルがたくさん壁にかけられ、ちょっとしたパリの同地区の紹介コーナーになっている。今さらモンマルトルの丘の紹介もないと思うが、この建物は道から石段を多少上ったところにあって、館の内部からは南側の外の庭やその向こうが見え、山手つまり丘という雰囲気に満ちる。異人館地区という異国情緒に満ちた場所であるから、モンマルトルと言われると、違和感はなく、むしろフランスに来たかのような錯覚に陥る。それで逆にモンマルトルでこの施設が紹介されているかと言えば、おそらくそれはないだろう。フランス人が日本に来て、こうした異人館を喜ぶかと言えば、それはないはずで、純日本風の施設にみんな向かうのではないか。そう考えると、この地域を訪れる欧米人が少ないようであることに納得が行く。日本に来てまで西洋的な建物や文化を見たいとは思わないだろう。日本人が外国に行った時のことを考えればよい。となると、異人館ブームというのは日本人ないしせいぜい東洋人までで、今のままでは異人館もやりくりが大変になって行くだろう。一度は訪れてもリピーターがないというのでは致命的で、やはりこうした美術館と名乗る施設も定期的に展示をがらりと変えた方がよい。6,7年に一度は長過ぎて、せいぜい2年ではないか。
●神戸北野美術館_d0053294_09164.jpg 最も大きな部屋から窓の外を見て撮った写真を今日は最初に3枚掲げ、4枚目にその部屋のTVで紹介されていたロートレックの生涯についての場面を写し込んだが、この広い部屋の椅子に座って、映像を全部見た。ロートレックの生涯は知っているが、それを映像で見るとまたわかりやすくてよい。一番印象に残ったのは、ロートレックが2,3歳の頃の女の子のように見える顔のアップ写真だ。とてもかわらしく、人形のようであった。だが、すでにその顔に寂しげな気配が漂っていて、将来を予感させてもいた。ロートレックはフランスの古い貴族の息子として生まれたが、10代半ばに、落馬して足に大けがをし、それから下半身の発達に障害を来した。だが身長が低いままとなったのは、遺伝子の欠陥であろう。絵の才能はもっと若い頃から発揮し、親からも認められて先生に就いて学んだ。だが、身体のハンディから差別を受けたこともあって、長じてからは娼館に出入りし、娼婦のスケッチに明け暮れ、また石版画のポスターの原画を描いて大喝采を浴びた。有名なポスターに大きな男で帽子を被り、赤いマフラーをした俳優のアリスティード・ブリアンを描いたものが2点あるが、映像ではその男優の顔写真が映しだされ、あまりにロートレックの表現が的を射ていることに驚いた。ロートレックは風刺家であり、女優で歌手のイヴェット・ギルベールを描く時もあまりにも滑稽に誇張して描いたため、本人はもう少し美人に描いてほしいと言ったが、実際のイヴェットはロートッレクが描くほど醜悪ではないが、それでも写真と見比べるととても特徴を捉えていることに気づく。ブリアンもそうだが、実際のブリアンはかなり男前で、また貫禄充分で、今では見かけないほどの顔と言ってよい。また今なら映画に出て巨万の富を築いたかもしれないが、当時は映画にはまだ早かった。ロートッレクの絵には、教育的観点からは子どもに見せられないかなり赤裸々な作品もあるが、頽廃的と言えば当たっているかもしれないが、むしろ真実を見ていたと言った方がよい。美化することを嫌い、かといって描く対象を貶めるのでは全くなく、娼婦が置かれた現実を凝視していた。それは自分を省みることでもあったのだろう。また伯爵の息子ということで、当時の娼婦や俳優らも一目置いたと思うが、絵の才能で充分稼ぎ、自立していたのではないだろうか。だが、もともと頑健な体ではなく、また娼婦との交わりではいくらでも病はもらってしまう。生活ぶりが祟ったこともあって30半ばで死んでしまうが、そのデッサンの才能は天与のものであった。入院中の絵が映像で紹介されていて、それはモデルもいないのに、サーカスを描いたもので、動体視力に優れていたのだろう。体のハンディがある分、健常者にはない特別の才能が具わったのかもしれない。ロートレックはまた美食家で、その方面の著作もあるらしいが、ムーラン・ルージュなど、ロートレックが描いた世界が今もモンマルトルの丘にあり、それでこの小さな美術館ではロートッレクを紹介しようということになったのだろう。ほかにも同時代の有名画家はいるので、そういう紹介もなされればよい。またこの映像は日本で作ったもので、NHKの日曜美術館のように、コンパクトにうまくまとめてあった。
●神戸北野美術館_d0053294_09201.jpg

 さて、4枚目の写真の右奥に見える部屋は明治12年に神戸に出来たオリーヴ園の紹介に充てられていた。これはモンマルトルの丘とは関係がなく、北野地区にかつてあった日本初の広いオリーヴ園を顕彰するためのコーナーだ。筆者は初めて知ったが、国営のオリーヴ園は神戸に最初に出来た。それがどこにあったのか長年わからなくなっていたのが、古い写真や資料によって今はその場所が特定されている。それは生田神社の北東、トアロード沿いの山手、北野病院前辺りで、550本が整然と植えられていた。実から油を搾って産業化を図り、日露戦争後に北方の漁獲の缶詰事業にその油を使用した。だが次第に市街地が増え、明治41年には事業は中止となり、新たにアメリカから買い入れた苗木を鹿児島、香川、三重で栽培を試みた結果、香川の小豆島で成功したという。去年12月に高松市内を歩いた時、オリーヴが街路樹になっていることに驚いたが、香川に根づく前に神戸にオリーヴ園があったことを、この美術館を訪れて知った。またオリーヴな巨木になりにくいそうだが、神戸に育ったオリーヴはその後湊川神社と加古川の寺に移植され、湊川神社では境内の片隅に樹齢130年ほどの日本最古の木がある。そのことも同じコーナーの説明で知り、実は同じ日にその後同神社に向かい、写真を撮って来た。その紹介は「神社の造形」でいつか紹介する。オリーヴ園があったことの顕彰としては、風見鶏の館の前にもオリーヴを植樹したらしいが、それはその日に前を歩きながら気がつかなかった。今日の5枚目は、この美術館を出て下の道に降り立ち、東を向いて撮った。左手に玉垣が見えるが、そこも神社で当然中に入って写真を撮ったが、それもいつか投稿する。北野はとても雰囲気のいいところで、いずれまた天気のいい日に散策したい。
●神戸北野美術館_d0053294_093582.jpg

by uuuzen | 2016-03-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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