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●ブログ作成歩録62(パソコンの滞る動き)
番大事なものは命で、次に財産というのが世間の常識らしい。その考えからすれば自殺は最大のもったいないことをしていることになるが、一方で命が紙きれのように軽く扱われることもある。兵士がいい例だ。



赤紙一枚で外国に連れて行かれ、そこで無残な死に方をしても骨さえ拾われない。これは国家が命を軽んじていることで、戦争とはそういうように人間の頭をおかしくする。だが、戦争するのは命より大事なものがあるからという理由であろう。戦前の日本ではそうだったのではないか。美しい国土を守るためには、また家族を大切にするには、兵士となって桜のように散っても惜しくないとの考えだ。死んで行った兵士はそのように教え込まれ、自らも信じたが、命令するトップ・クラスは前線には立たない。つまり、命には紙のように軽いものと、神のように重いものがあって、後者が前者を定め、死への危険を冒させる。一番大事なものは命というのは、そういう為政者だけのもので、彼らは他者はどうであってもかまわない。命のことを考えると、それが長ければいいのかという問題に突き当たるが、そこで思い出すのは三島由紀夫だ。長く生きたところで、輝かしい時代はもうおそらくないと考えたのだろう。一番大事なのは命ではなく、自分がどう格好よく見えるかという美学で、そういう生き方もあっていいだろうし、それは兵士とどこか似ている。大勢の兵士を死なせ、自分は畳の上で80歳まで生きて太ったまま死んだ将軍となると、かなり格好悪いではないか。さして用もないのにずるずる生きているのというのは無様だと思うが、今の日本はそのような世の中になっている。延命のためのあらゆる措置が考えられ、またそれを嫌でも受け入れるし、本人も望むというのが現代だが、そのことで人生本来の質が高まって来たかと言えば、さてどうだろう。1億総活躍社会と言うが、活躍出来る老人がどれほどいるかとなると、ほとんど生き恥を晒しているも同然といった人が多いのではないか。老害という言葉があるが、政治家に特にそれが多い。不細工な人間の代表が政治家で、そういう印象を払拭するには政治家にも定年を設け、50歳で引退させるべきだ。しかも残りの人生は地域で無料奉仕に従事させるという法律もセットにすればよい。それくらいのことをしなければ、日本は若返らない。だが、無理だろう。もはや日本の政治は自浄作用が利かなくなっている。このままでは大地震とセットで、あるいはそれとは無関係に本当に沈没するだろう。
 さて、命に次に大事な財産だが、財産を蓄えることは切りがない。先日親類の花見でそんな話が出た。そうして集まるわが親類はみな億万長者で、いつでも使える金として数億円の貯金があるらしい。それでそのうちのひとりが、遺産を譲る人物がいなければ国庫に収まってしまうという話をし、それではアホらしいので、生きている間にみんなに何かしてあげると言う。はははは、全くの大嘘で、億単位の金を持ったまま死ぬのは確実だ。それどころか、今後齢を重ねるほどに金に趣着するはずで、1円たりとも自分以外には使いたくないはずだ。それが世間の常識というものだ。生きている間にせっせと他者に施しする人に大金が貯まるはずがない。吝嗇であるから億単位の金が集まるのであって、また本人はそのことは自分に福があり、善行を積んでいるからと勝手な理由をつける。つまり、筆者のように金に無縁な人間は人間として能力がなく、アホということだ。それを否定はしないが、億の金を残して死ぬと、喜ぶのは子孫だが、その数が複数であると悶着の元だ。南洲が美田を残さずと言ったことをたとえに出しても、やっかみと思われるだけなので、筆者は黙っているが、子孫がなくて遺産が国庫に入るというのはなかなかよく出来た仕組みで全く賛成する。本題に入って行かねばならない。財産の話だが、財産を守るのに保険の考えがある。もしもの時を考えて先に何らかの手を打っておくということで、もちろんそれ相応に金がかかるし、その金は保険屋の生活費になる。命や財産はとにかく最も大事なふたつのものでるから、そのふたつを厳重に守るために保険をかけるべきとの考えは保険会社によって今は常識になっている。最後に残る商売は絶対に保険屋で、これは人間に不安があるからだ。命が惜しくない、財産もどうでもいいという考えが広まれば保険屋は大いに困る。それで政治屋と手を結んで命と財産が大事という一種の幻想を子どもの頃から徹底して刷り込む。その一方で戦争を睨んでいるとなると、笑い話のようで、政治家は兵士の命の軽さをどう説明するのだろう。筆者は生命保険に入ったことがないし、また火災保険は家を買う時に強制であったので入ったが、保険に金を使う気になれない。そのため、防犯に関しても同じと言ってよいが、これは奪われる財産らしきものがないからだ。ところが、今はそれでは駄目で、いつどういうことがあるかわからないということで、防犯や防災意識は自治会単位でも耳にタコが出来るほど毎月チラシが配布される。そんなに意識が高いのに、地震が来ればひとたまりもなく、耐震工事をした建物でも震度7の地震が二度あると倒れるというのであるから、全くいい加減な。地震保険に入っていても、保険屋はいろんな理由をつけてまず金を払わない。自分たちの会社のビルが倒壊すれば真っ先に建て替えるが、保険をかけていた人の建物は倒れてもいろんな理由をつけて満額は絶対に払わない。何しも金は命の次に大事なもので、他者に気前よく施すものではない。保険会社の考えはそうだ。いつもで自分たちのつごうのよいように支払いの仕組みを変える。それがわかっていれば保険には入らないが、たいていの人は不安に負ける。これはひょっとすれば高額の宝くじに当たるかもしれないという期待と全く同じ質の思いで、筆者は宝くじも買わない。
 保険に入ることが常識化して来た世の中であるから、どんなものでもその思想は入り込んでいる。これは一方では便利を追求することと深く関係している。オートマティック車になって女や老人でも運転が簡単になったとされるが、そうなると今度はうっかりしてアクセルとブレーキを間違え、店に突っ込んだり、孫を轢いたりする。便利になることは、今までになかった別の危険を抱えることだ。そして、そんないたちごっこは際限なく続く。その悪循環を断ち切るには、車に乗らないことで、筆者は免許を持っていないが、だからと言って車の危険から免れているかと言えば全くそうではない。否が応でも車社会に巻き込まれていて、普通に生活していても、うっかり運転の事故に巻き込まれかねない。そういう不安は江戸時代でもそれなりにあったが、今はあまりに複雑になっていて、事故に遭う確率は増えている。そして、どんなものでもそれを想定してもしも場合に対処しようとするが、そうなると、扉に10個ほど鍵を取りつけるのと同じことで、便利さが限りなく不便になって行く。同じことはパソコンに言える。インターネットとメール送信だけが出来れば充分の筆者は、長い間WIN95でやって来た。つい数年前までそうであった。確か1GBくらいしか容量はなかったと思うが、それが今使っているパソコンは150倍もあるのに、動きはWIN95の時より遅い。昨日からはワードで書くこの文章も1行ごとに文字の表示が5秒ほど遅れる。パソコン内部を徹底して掃除し、使わないソフトはみな削除しても、出来た空き容量は300BMにしかならない。パソコンに画像や文章など一切保管せず、メールもヤフーに溜め込んでいるから、なぜ150GBがいっぱいになるかさっぱり理由がわからなかったが、昨夜の3時、ついにそれらしき理由がわかった。すべてがその原因とは言えないが、かなりはそうだろうと思う。今のパソコンのVISTAを使い始めた時、数日に一度、WINDOWS UPDATEという表示が出て、強制的に更新プログラムが送信されて来た。脆弱な箇所を修正すために欠かせないものと表示があるので、自動的にダウンロードされるものは仕方がない。だが、ダウンロードしている間の時間が時に数時間に及び、仕事にならない日々があった。その後もたまに、もしくは1週間ほどは連日ダウンロードがあり、つい先日からも毎日のようにそれがあった。ダウンロードが始まる半日ほど前には急にパソコンの調子が鈍くなる。それでWINDOWS UPDATEをクリックすると、もう5,6分で強制的にダウンロードが始まるとあるので、そういう場合にはこちらからダウンロードを即座に始め、長い場合は30分ほどはパソコンがそのために使えない。
 昨夜初めてそのWINDOWS UPDATEの内部を覗き込んだ。これまでダウンロードしたプログラムがずらりと表示されたのを見て驚いた。300から400個はある。1個がどれほどの容量を占めるのか知らないが、たまたま昨夜はまた強制ダウンロードが始まりかけたので、その時に注視すると、そのファイルは50MBであった。それが平均かどうか知らないが、それが数百も集まればとんでもない量になる。そこでようやく筆者のパソコンの容量が限界に達した理由がわかった。ここ数年、アップデートのファイルを全部取り込んだからだ。そのファイル名を見ると、筆者はOUTLOOKを使わないのに、その更新プログラムが混じっていたりする。つまり、使わない部分を必要もないのに、セキュリティを厳重にしていたのだ。人間は一部屋だけの小屋に住む場合、鍵は1個でよい。これが邸宅となると、どれほど安全のためと称して多額の金がかかるかは目に見えている。電気代などの維持費も含めると、小屋生活の何百、何千倍だ。それでも本人は「わしは邸宅に住んでおるぞ」と満足だろうが、生活の質で言えば、気を使う分、却って悪い。ホームレスの方がよほど気楽とも言える。便利を追求して不便になることを大昔の人は知っていた。それが高度成長を遂げた日本では忘れられて来た。大きな家に住むことはそれだけ有能である証と大いに宣伝されるし、たいていの凡人はそう思う。100個の部屋があっても、使いのは1、2個だ。そういう家に誰が住みたいかと言えば、凡人は住みたがる。そしてどの部屋にも鍵をかけ、また耐震設計も施し、などなど限りなく金がかかる。それと全く同じことが今のパソコンにあって、大きな容量を持ったというのに、不安が同じだけ増え、内部はますます迷路になり、それをわかりやすくするためにまた新たなプログラムが必要といういたちごっこをしている。それはマイクロソフトの詐欺ではないか。広々とした大きな部屋がたくさんある邸宅に住んだというのに、すぐにいろんな人が押し寄せて不安を煽り、強制的に鍵をあちこちの取りつけ、いろんな装置や器具を置き、生活空間がなくなって蟹歩きさえも出来ない。それで文句を言うと、「命に次に大事なのは財産でしょう。ならばセキュリティをきっちりと何重にも施さねば」と言う。その口車に乗せられていると、永遠にその押し売りが続き、もはや収納する余裕の空間がなくなり、肝心の生活が不可能になる。それでも相手はおかまいなしで、まだ強制的にダウンロードを推奨して来る。「あれ、そうでしたか。これ強制とは言っていますが、選択は自由ですよ。その代わり、変なことになっても責任取りませんから」。「でもねえ、変なことになる以前に、もうパソコンが動かないくらいいっぱい押しつけられましたよ。これ以上どうするというのですか。」「ええ、わたくしはサディストですから、いくらでも強制し続けますよ。利用者はマゾですからね。今のパソコンが満杯になって使えなくなれば、新たな機種を買うべきですよ。そこにまた強制的にしかも永遠に更新プログラムを送り続けますから。パソコン・ライフはサドとマゾのいい関係なのですからね。そんなことはわかっているでしょうが。」 アップデートはパソコンを使う限り、つきまとう問題だ。それをなるべく少なくしないなら、常に最新のパソコンを出た直後に買い替えればよい。もっとも、それを推奨しているのが業界で、アップデートはいやがらせということだ。「あんたいつまで古いの使ってるの? なら、毎日更新プログラムをお見舞いするから。そらっ、これでも食らえ!」まさにそんな感じで、今またパソコンの反応が停まってブザーが鳴ったので、アップデートを調べると、重要プログラムが10個も届いている。何が重要だ! パソコンを使うのが命であるのに、その命より大事なセキュリティがあるとは本末転倒ではないか。保険のかけ過ぎで生活費がなくなり、餓死したというのと同じ図で、まるで漫画だ。だが、パソコンを使わないでも、他人が使っているので、パソコン社会とは無縁ではいられない。昨夜試しに以前アップデートしたOUTLOOKのひとつのファイルを取り除いた。だが、当然そのための時間はダウンロードに要したのと同じかそれ以上にかかる。ということは、数百も取り込んだ全部を消去するのに1か月や2か月はかかる。それに、消去していいのかどうか判断に苦しむファイルもある便利を追求するあまり、あまりの不便になっている世の中で、進化ではなくアホ化しているとしか思えない。ま、それで儲けている連中のなすがままということだ。他人を見れば儲けになると思えというのが、ネット社会にも引き継がれたということだ。
by uuuzen | 2016-05-13 12:39 | ●ブログ作成歩録
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