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●『琳派400年記念 新鋭選抜展―琳派FOREVER―』
続で展覧会の感想を書くが、今日と明日は特につながる。今年は琳派400年とやらで、京都ではどの美術館でも琳派に関する展覧会を開いた。今さら琳派でもないと思うが、区切りより年となればそれを記念しておくという気持ちはわかる。



●『琳派400年記念 新鋭選抜展―琳派FOREVER―』_d0053294_2323785.jpg今年は若冲生誕300年で、それより100年前となると、琳派の「琳」の光琳生誕400年かと言えば、それは違う。光琳が死んだ年に若冲が生まれたからだ。琳派は光悦から始まったと筆者は10代で知り、20歳頃に光悦寺にも行ったが、今調べると1558年生まれで、琳派400年はいったいどこから考えたことかと思えば、家康から光悦が鷹峯の土地を拝領した年から数えている。ちょっとこじつけがましいが、光悦や光琳の生誕年から数えての区切りのよい年度にまた展覧会を開こうというわけであろう。鷹峯に因む400年であれば、同地で、たとえば光悦寺で記念のお祭りがあればよいが、その話は聞かない。それに琳派400年といっても光悦のことを知る人は多くはないだろう。光悦から始まるのであれば、「悦派」にすればよかったのに、光悦は光琳より地味で、どうせなら派手に活躍した光琳にあやかろうということになったのだろう。それは別の言葉で言えば、名作をどれだけ残したかだ。光琳は紅梅白梅図屏風や燕子花図屏風という教科書に載る作品で有名度では光悦をはるかに凌ぐ。また琳派と言えば宗達も有名で、風神雷図屏風があり、昨日書いた金澤翔子にもそれになぞらえた書がある。歴史に名を残すには、多くの人に知ってもらえる作品すなわち名作を生むしかない。それは狙って出来るものではなく、宣伝も含めていろんなことが重なって評価が築かれる。また一度出来上がった評価は変わらないかと言えば、全くそうではなく、変わらない方が珍しい。それでも日本美術の代表格として宗達や光琳は今後も評価は揺るがないだろう。その証拠に400年展が開催される。それはなぜか。琳派の特質が今も日本美術の大きな特質とされているからだ。それは簡単に言えば装飾性だ。それこそが中国美術にはない日本独自のもので、絵画に限らず、工芸にも見られる。そしてそれが京都の特質だが、そのためにも今年は京都のすべての美術館が琳派関係の展覧会を開いた理由でもある。それは東京に対する優位性の表われでもある。つまり、京都で琳派展をやらねばどこがするという自意識だ。そのことから、琳派をさして意識していない作家まで琳派の文脈で語られる。あるいは京都で創作活動をすれば、無意識でも琳派風の表現をしているということかもしれない。また、琳派は絵画だけではなく、工芸を含むもので、その工芸は今は商品のデザインと分かち難くなっていて、ネット文化にも馴染む。ヴィジュアル・デザインすべてが琳派につながるとの見方で、それはかなり当たっていると言える。だが、光悦や宗達、光琳にそのような明確な意識があったかと言えば、さてどうだろう。当時は今のような印刷技術がなく、グラフィック・デザインの意識はもっと違ったか、低かった。それでも皆無ではなかったところに、現代性を認め、琳派400年という名称で改めていかに京都が絵画を含めてデザインに関して長い歴史を誇っているかを見ようというのが本年なのだろう。だが、筆者は京都に来てずっと琳派はあたりまえのように意識して来ていることもあって、今さらという思いがして、全部の美術館の琳派展には行かなかった。これからいろんな美術に親しむという高校生や大学生にはいい機会だが、筆者からすれば大半はもう知っている作品だ。
 だが、若手の作となるとほとんど知らない。それでというのでもないが、本展に行った。1月31日のことで、文化博物館でついでに映画を見るためでもあった。本展は予想したとおりと言えばいいか、印象に強く残った作品は皆無であった。チラシやチケットに印刷される作品は山本太郎のもので、何年の作か知らないが、いつものようにパロディだ。400年経ってパロディ作品が琳派の代表とは情けない話だが、話題になる作家がいないということだろう。それほどに琳派はもう意識されていないということでもあるし、もう琳派からは新たな何かを生み出しようがないとも言える。光悦や宗達、光琳が他人の作を参考にしなかったかと言えば全く違う。参考にしながらそれをより印象深いもの、つまり完成度を高めた。そこに琳派が偉大とされる理由がある。だが、山本太郎のパロディでは、元になった絵を凌駕する意識は最初からない。パロディとはそういうものだ。ちょっといじくって笑いを取るという態度であるからそれは当然だ。真正面から挑戦する気概がない者がパロディ作家になる。そう考えると、筆者の予想どおり、今年の琳派400年展は何の実りももたらさず、ただ累々たる死骸の山を提示しただけと思えなくもない。それがわかっていたので行くつもりはなかったが、たまたまほかの用事もあったので本展と明日取り上げる展覧会は見た。感動しなければわざわざ感想を書く必要がないが、琳派400年という区切りであるから、何かそれに対して書いておくのもよい。
 光悦がやったことは、手仕事の工芸村だ。産業革命以降、手仕事から人間を解放し、人間はもっと優雅なことに時間を費やして幸福になれると信じられ、また今もそれは続いている。工業化礼賛者と話をしていると、どうもかみ合わないところがあるが、それは相手が不器用で、何か自分で作るという楽しみを持ち合わせていないからだ。筆者のように手仕事で収入を得る人間は、逆に毎日手先を動かしていないと不安だ。機械にすべて任せるなど言語道断で、機械は絶対に人間のすべての技術を引き受けることが出来ないと考えている。機械に人間以上のことが出来るのであれば、どんどん国宝を量産し、海外に売ればいいではないか。だが、機械が今後も国宝を作ることはあり得ない。これは、国の宝は人間の手仕事に限るという意味で、全世界共通している。もっと言えば、そういう作品を生み出せる人間は幸福でありということで、機械に任せられないと思っている。もっと言えば機械相手にこき使われている人間は不幸ではないかということだ。だが、機械礼賛者はそうは思わず、手仕事は惨めで、効率が悪く、少しも儲けにならないと主張する。案の定そう考える人は美術などに全く関心がないが、現実はそういう人が圧倒的大多数だ。そうであるから機械化文明がここまでやって来て、手仕事が廃れた。そして、そうなると、つまり手仕事に携わる人が減少すると、手仕事の質は確実に落ちる。そのために、今では光悦や宗達、光琳のような国宝を生む才能がない。鷹峯は高い峰で、高い峰を素晴らしい技術と才能を持った人がたくさんいた時代とすれば、今は限りなく平坦な土地しかなく、そんなところから出て来るのは団栗の背比べの小粒ばかりだ。その現実がたとえば本展に如実に表われていた。だが、それは当然のことであり、出品者のせいだけとは言えない。日本は必然的に今に至って来たから、時代の流れとして諦めるしかない。ではいつからそんなことになったかと言えば、やはり戦後で、しかもバブル以降だろう。バブル前はたとえば京都ではまだ美大生が携われる染色のアルバイトがあった。それが数年で皆無となり、かくして京都の芸術大学で染色を学ぶ学生は、キモノの染めるという、琳派に直結した手仕事に無関係にパネル作品を作るようになった。それが悪いとは言えないが、伝統を感じる場が激減したことは影響が大きい。そう考えると筆者は最後の友禅作家に弟子入りしたと言えるが、そのためにバブル以降は方向転換を余儀なくされた。それも自分の売り出し方によればまだまだ友禅作家で飯は食えるだろうが、いつの時代でも商人の考えることは、一作家、一職人の地味で素朴で慎ましい思いとは天地の開きがある。彼らの目的は金儲けであり、芸術を広めることではあり得ない。そんなことはどうでもよく、ただ金儲けに携わることが聖職と考えているし、そこには一理ある。そして、そういう金儲け主義は今や日本中に広がってブラック企業という新たな言葉が跋扈している。そしてそんな時代に琳派400年と言われても、どこまで光悦、宗達、光琳を相手にして不足のない作品が生まれるかと言えば、目も当てられない状況であるのは誰の目にも明らかだ。そういう幻滅の時代であるから、山本太郎のパロディがもてはやされると言えなくもない。
 では今後そういう仕事を踏み越えて、真に琳派の栄光を再燃させる作家が登場するかどうかだが、手仕事が廃れたからには不可能だろう。手仕事はなくならないが、峰は低いままだ。そんなところからはちょっとした才能くらいしか生まれようがない。このことは京都に未来がないことでもある。実際そのとおりで、TVでは毎年京都特集番組が放送されるが、どれも昔の遺産を映し出す。遺産で食べている京都は奈良と同じことになっていて、100年後にはおそらく東京のみが日本を代表する文化都市になっている。京都は美術工芸で明治に名を馳せたが、それは琳派の遺産があったためで、それから1世紀以上経った今、明治からは比べようのない貧弱な美術工芸の都市になってしまった。もちろん今でも京都では美術工芸作家は日本一多く、公募展もたくさん開催されるが、その内実はごく狭い仲間うちに見せるだけのことで、一般人には何の関係もなく、また関心も呼び起こさない。完全な趣味と堕し、京都の経済を活性化させる具にはほど遠い。それでもないよりましかもしれないが、あっても別に一般人の意識に上らない。これは作家の才能が悪いのか、それとも世の中の仕組みのせいかと言えば、あまりに多くの要素が絡まって現状があり、どこかだけを改良しても無理だ。ひとつの方法として、まず京都のキモノ文化を活性化させようという試みがあり、京都の街をキモノすがたで歩く人には入場料をただにする公共施設が増えている。何と言っても京都はキモノ文化の総本山で、そこが疲弊してしまえば工芸全般が低調になることは明らかだ。だが、キモノ文化が昔のような状態に戻るかと言えば、もうそれはないだろう。今街を歩く若い女性のキモノはすべてプリントで、機械生産だ。手仕事の友禅染めとなるとあまりに高価で、常識外れだとの意見を言う物知り顔の外国人がいるが、それほど高価になるほどに膨大な手間を費やすのであるから仕方がない。江戸時代のキモノはそうであった。今は民主主義の世の中で、そんなに手間をかけられないという人があるが、それでは技術の劣るものしか生まれようがない。機械でプリントすれば安価になるし、また手で染めたものと変わらないという人があれば、その人は手仕事の何たるかを何を理解していない。つまり、見る目がない。現在の不幸はそうした人が世の中の経済を牛耳っていることだ。とにかく話題になりさえすれば、どんなものでもよい。TVタレントと同じで、売れればいいものとされる。そんな時代には悪意のあるパロディこそがいいのであって、山本太郎の行為は正しいのかもしれない。それにもう彼は有名になっていて、これからはもっと持ち上げられるだろう。本展は新鋭選抜展と題されているが、本物の新鋭は隠者のように隠れているのではないか。だが、用に供する工芸ないし美術工芸では隠れていては意味がない。大いに宣伝することだ。そういう方法は今の若者は巧みだろう。となると、本展の副題にあるように、琳派は形を変えながら永遠に続くということなのかもしれない。だが、もう琳派という言葉は死語にし、別の何かを使う方がいいのではないか。
by uuuzen | 2016-03-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『小川千甕―縦横無尽に生きる』 >> << ●『琳派降臨 近世・近代・現代...

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