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●ブログ作成歩録61(滞る投稿)
れはそれ、これはこれと明確に区別出来ることがパソコンにはどうも適用されないようで困る。筆者はやるべきことを頭の中で分け、ひとまず休止していることは、何か月、あるいは何年も経ってからでもまた続きを始めることが出来ると思っているし、またしているつもりだが、パソコン内部のことはどうもそのように区分け出来ないことがあるらしい。



つまり干渉することが多い。ある何かを削除すると、残りのものがすっきりとした形になって事がうまく運ぶかと言えば、全然そうではない。そのことをよく実感する。それで思うことは、パソコン時代になって便利なことはあるが、よけいな気苦労も増えたことだ。そのことをよく知るので、筆者はケータイ電話を持たなかった。それが今ではスマホ時代になり、ますます時代に取り残されるが、スマホはケータイ・パソコンだと聞いて、それなり不要だと思った。筆者はあまり外出しないからだ。数週間一歩も外に出ないこともあるほどで、そんな人間にスマホは必要ない。ケータイ電話もだ。必要のないものは持たない方がよい。これは何度も書いたことだが、昔ある年配の女性から言われたことがある。筆者が広い家に住みたいと言うと、人間はだんだんと年を取るから、逆に小さなところに住む方がいいと返された。部屋が広く、あるいは増えると、物が増えるだけのことで、それは際限がないというのが理由だ。確かにそのとおりで、筆者は隣家を買ったが、たちまちそこが倉庫になった。もう一軒買ってもまた同じことになって、結局物を買い続ける癖を改めた方がよい。もうそろそろ物を処分していった方が気も楽だろう。一昨日であったか、TVで60代半ばの男性が妻に先立たれ、さびしさからある物を買ったが、場所をたくさん占めるので手放したいと思った。買った時は60万円ほどしたが、業者に見積もらせると、1、2万円だ。それでは当然手放せない。そこで業者はネット・オークションに代理で出品する話を持ちかけたが、数万円までしか上がらず、終了間際に出品を取り消した。60万円のものが数万円とはとうてい譲れないという気持ちはわかる。その業者は落札価格の7割を自分が取り、3割を売り主に与えると言っていたが、1、2万にしかならない落札価格のさらに3割と言えば、なおさら馬鹿にしているのかという気にもなるだろう。だが、それが現実で、誰かに何かを頼むと、高くつく。だが60代半ばでパソコンを扱ったことがない人にすれば、ネット・オークションで処分することは出来ない。筆者より1歳年長のその男性を見ながら、憐れを感じたが、数年前に亡くなった奥さんの遺影は、なかなか美人で、夫婦はそれなりに幸福な年月を過ごしたのに、それがある日、急に事情が変わった。人生とはそういうものだが、60代なかばとなって、さびしさのあまり、心を慰める物を買うという気持ちはよく理解出来る。ところが、それを処分して金に換えたい時に困る。筆者はネット・オークションをよく利用するし、パソコンについても息子よりはるかに詳しいが、それでもわからないことの方が圧倒的に多い。これは誰でもそうだろう。それにパソコンのことをすべて知っている人は地球上には皆無のはずだ。
 ここ数日急にパソコンの動きが悪くなった。不要なファイルを削除せよという指示が何度も出る。いつの間にかディスクの135GBの容量が満杯になっていて、全部青に表示されている。去年は3分の2は紫色であったのに、知らない間に不要なプログラムやファイルがダウンロードされている。それで何度もディスク・クリーンアップを何度も繰り返すが、一向に空き容量が増えない。そこでプログラムを削除すべきと考えるが、入っているプログラムは全部で35で、10GBを占めている。それらのどれが不要なのかよくわからないが、新たなプログラムをほとんど取り込んだことがないのに、いつの間にか数十GBが何らかのデータが占めている。それらを削除したいが、どこにどのように紛れ込んでいるのかわからない。それでグーグルのクロームやそのほかの、あまり使わないプログラムを削除しても、全く空き容量は増えずに相変わらず動作がきわめて遅い。そのことで思い当たったのは、筆者の物が増えることだ。パソコンも全く同じで、いくら容量の大きいものを買っても、すぐに勝手に知らない何かがいっぱい入り込んで動作を妨害する。今はVISTAを使っているが、動作の感覚はWIN95やXPを使っていた頃と何ら変わらない。確かに最初は動きが速かったが、次第に遅くなり、今ではパソコンを窓から放り投げてやろうかと思うほどのろい。言っておくが、筆者はそれなりによく調べて原因を自分で突き止め、手段をこうじるタイプで、ネット検索でわかる限りのことはした。それでも空き容量が増えないのは、使っている間に自動的にゴミが溜まって行ったからであろう。そのゴミはディスククリーンアップではどうにもならないらしく、これは新たなパソコンを買い替えろとの指示かと思わないでもないが、買い替えたところで、1、2年のうちにまた動きは極端に鈍るはずで、パソコン・ライフとはそういうパソコンのトラブルとつき合うことにほかならない。これはパソコンの便利さを享受するうえでの宿命で、それが嫌ならパソコンを使わないことで、そうして生きても何ら困らないだろう。ただし、前述の60代半ばの妻に先立たれた男性のように、物を処分する時にほとんど無料同然で、他人に儲けさせることになる。繰り返すと、筆者がケータイ電話を持たないのは、新たな煩わしさを抱え込みたくないからで、スマホ時代になってLINEとやらを使って不倫がばれて仕事がなくなった女性タレントを見ていると、便利さに復讐されたことを思う。つまり、便利に近づくのはいいが、そのことでとんでもない災難に遭いかねないことを自覚しておくべきだ。
●ブログ作成歩録61(滞る投稿)_d0053294_1974054.jpg

 パソコンの動きが悪い話に戻ると、不要なプログラムが何かないかと思っていると、ワードとエクセルに目が行った。筆者のパソコンにはオフィス2007というのが初めから入っていた。これが何のことかわからなかった。そこに2007年のワードやエクセルが入っていることは知っていたが、そのアイコンがない。そこで仕方なしに、ワードは98、エクセルは97をインストールした。それで問題なく文章などを書いて出版社とのやり取りもしていた。だが、今日はパソコンがほとんど動かなくなり、何かを消去して空き容量を増やす必要に迫られた。パソコンには画像や音のデータなども入ってもらず、ほとんどWIN95時代と同じようにスカスカの状態であるはずなのに、これ以上何を消せばいいかわからず、そこで初めてワード98とエクセル97を消して100MBほど空きを作ろうと考えた。そしてそうしたが、パソコンの中に入っているオフィス2007のワードやエクセルで以前のワードやエクセルのファイルが見られるかと思えば、そうではなかった。開こうとすると、「オフィス2007を構成します」と表示が出て30分近くうんともすんとも言わない。これでは仕事にならない。そこでまた消したワード98とエクセル97をインストールすると、以前の状態に戻ったかと言えば、もっと悪くなり、2007も動かず、98や97も動かない。つまり、これらは相互に干渉し合っていて、片方を消した後、もう一度入れ直しても以前の状態に戻らない。これがパソコンの非常に厄介なところで、ネットでどうにか時間をかけて調べて、2007を修復しようとするが、それも不可能となっている。これは本当にパソコンを買い替える必要がありそうだが、買ったところでまたトラブルが起きることは充分わかっている。そこで筆者はよく思うのだが、スーパー・コンピュータの「京」並みとは言わないが、普通の家庭用の100倍くらい容量が大きいパソコンであれば、1、2年使った程度の不要なデータの勝手なダウンロード程度では動きが鈍くならないはずで、そういうパソコンを100万円くらいで市販されないだろうか。一部屋占めるくらいの巨大さがあってもいい。とにかく「ディスク容量不足」というわけのわからない表示がしばしば出ることを避けるために100万の出費は安いだろう。それにしても、インターネットをするだけで、またワードで文章を書き、画像などいっさい取り込まず、音楽をダウンロードしてパソコンに保存することもないのに、150GBの容量がなぜいっぱいになるのは不思議でならない。パソコンは人間と同じく、使っていると垢が溜まるということなのだろうが、その垢がどこにそのように溜まっているのか知る術がわからない。
 それはさておき、今日メールを開くと、ヤフー・メールが20周年とあって、そこをクリックすると、筆者の利用歴は13年6か月と26日という表示が出た。ヤフーの大型コンピュータが勝手に計算している。もう13年かと思わないでもないが、筆者はちょうどパソコン時代が始まった時を生きて、これから100年後、200年後の人たちが感じる必要のない不便さに悩まされていると考える。100年後には「ディスク容量不足」でパソコンが動かないということなど、もうほぼ解決されているだろう。あるいはその時はその時で、また新たなソフトの開発のために、よけいな容量を使い、今と同じようにパソコンのフリーズに悩まされる人はいるか。そのようなどうでもいい将来のことをふと思いながら、パソコンの便利さとはいったい何かと思ったりもする。ネット・オークションで買った物ばかりが増えるのであれば、それはあまり誉められたことではない。またブログを続けることで、自己主張するという気分も筆者にはほとんどなく、それが理由ではないが、最近は投稿が停滞している。別に誰も読んでいないので、筆者がやめても誰も心配もしないから、投稿しようがしまいがどっちでもいいような気がしているが、ヤフー・メールを使い続けて13年6か月26日と言われると、毎日投稿して来たブログも区切りよい頃までもう少し続けるかと思わないでもない。その区切りは年内にあるはずで、それまでに「おにおにっ記」の最後のまとめもいよいよ投稿を始めようかという思いもある。つまり、このブログに関して決めたまま何年も中断していることは、それなりにまた再開してけじめをつける必要は思っている。他者にはどうでもいいことでも、誰しも自分のちょっとしたこだわりはある。それがある間は、元気に生きられるということなのかもしれない。
by uuuzen | 2016-05-11 19:07 | ●ブログ作成歩録
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