●彦根城にて、その2
ョークがどれだけ通用する武家社会であったのだろう。彦根城にひこにゃんという猫が兜を被った着ぐるみが現われれば、武士たちは刀で斬り刻んだかもしれない。



d0053294_145428.jpgそう思う一方、江戸時代には着ぐるみと同じような笑いを誘う「ちょろけん」があったから、着ぐるみのゆるキャラは突然変異で生まれて来たものではない。そう考えると漫画やアニメもそうで、時代が変わって大きく光が当たっているだけと思えばよい。そういうことを分析して今後何が流行るかを予想する人があるだろう。それは昔のことをよく知るしかない。そして、最近よく思うのだが、昔のことはみんなわかっているかと思えば全くそうではなく、忘れられていることが多い。あるいは、いつの時代でもどのようなことでも知っている人は稀で、世界のごくごく一部のことしか知らないままに死んで行く。つまり、今この瞬間起こっていることはごくわずかな人だけが知った状態のまま、過去となって行く。そして未来においてそれを発掘する形で知る人があれば、未来で大きく認知されることにつながる。つまり、過去のことはいつでも未来に蘇る可能性を秘めていると言える。これは、過去であるから終わったとは言えないことを意味する。だが、常に過去は生産されるから、過去が発掘されて新たに知られることはごくわずかだろう。それには何らかの記録、記憶が必要だ。そういうものがなければ未来において蘇ることはない。ということは、物は大事ということになりそうだ。物だけが大事ではないのは、記憶というものがあるからで、それを他者に口伝えて行けば、未来のいつかに多きく光が当たることがあるかもしれない。それで、話をこのブログに戻すと、彦根城の写真をたくさん撮って来たはいいが、こうしてブログに3,4枚の写真を載せながら何か書くことが時に億劫になる。これが写真が少なければうんと楽だが、せっかく撮って来たからには没にするのは惜しいという「もったいない」の気持ちがある。たくさん撮ったのは、初めて訪れる彦根城で、目の前に次々に現われる景色が珍しかったからだ。だが、それは筆者個人の話で、彦根城をよく知っている人には退屈だろう。あるいはそうでない人にしても、まだ花が咲かない冬景色の写真は何の面白味もないと思うに違いない。そういうことを考えつつ、今日も』何か適当なことを書き連ねるが、この行為は、そのままでは過去に埋もれてしまう行為を記録しておいて、将来に発掘に賭けることかと言えば、筆者自身が発掘して何かに役立てるという、ごく個人的な思いにおいてはそう言える。
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 このブログの記録は写真と文章だが、前者はネットを見ればいくらでも見事な写真がある。後者にしても情報は溢れているから、筆者がそれを引用してもほとんど意味がない。ではどうすべきか。それは思いつくままとにかく書くことだ。それが個性になるし、そこに他者が読んでも退屈しない何かが含まれ得る。それは小説でも論文でもない、適当な随筆とでも言うべきものだが、そんなことも考えずにとにかく好きなように書く。そうして記録されたものは、たちまち過去の中に埋没して行くが、いつでも発掘出来る態勢にあると言える。ただし、それは筆者が生きている間のことで、死ねばその可能性は著しく低くなる。それでもとにかく記録しておくと、筆者の思いは他者に伝わるし、そのことにおいて筆者は死なないと言える。それはあまりに楽観的であることはわかっているが、記録せずにはおれないタイプの人と、そんなことは何も考えない人がいて、筆者は前者であるということだ。そのため、筆者は文章にほとんど無縁な人のためには書いていない。そういう人がいるかと言えば、筆者が知る限りでは、人間の9割はそうだ。そういう大多数が悪いと言いたいのではない。そういう人のことを記録で残すのは残り1割の人で、その1割と残り9割は持ちつ持たれつの関係にある。その9割は残り1割の人にとってどうでもいいような存在に近いが、そうとも言い切れないところがあるのが面白い。1割と9割の人たちがそのように厳密に分けることが出来ないからでもある。1割の中に入ると自惚れている人がどうにも鼻持ちならない俗物であることはよくあるし、9割の中に入る人が、とても眩しい存在である場合はよくあるからだ。「彦根市内を歩く」の投稿で書いた名古屋のNさんは、字は下手で、文章も全くでたらめな人であったが、心はとても温かい人で、またそれだけに傷つきやすかったのだろう。今どうしておられるかと思う。息子と娘がもう成人し、Nさんは定年退職してのんびりと畑仕事でもしていると思うが、それなりに幸福で過ごしていると想像しておこう。
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 さて、一昨日の写真だが、最初のパノラマは2枚を左右につないだ。城に向かっての一本道で、左手の濠に確かNさんと訪れた時に小石を投げた。音を立てて向こうに転がって行ったが、そのことだけ鮮明に覚えていて、その後どうしたのかほとんど記憶にない。それはさておき、なぜNさんは名古屋駅前ではなく、彦根まで送ってくれたかだが、当時息子は夏休みの研究として城について調べていた。筆者は姫路城には連れて行ったが、もっとたくさんの城と考えていたところ、Nさんは息子がNさん宅に数日泊まった時、名古屋城や清州城に連れて行ってくれた。そのほかにもいくつか名古屋近辺の城に連れて行ってもらったようだが、Nさんは彦根城が残っていることを知っていたのだろう。それで息子が帰る時に送ってくれたが、中に入らなかったのは、おそらくそこまでは予定していなかったからで、また城の内部を見るほどの時間はなかったからでもあるだろう。そして、筆者にバトンタッチされた形になったが、息子はすぐに中学高校と成長し、いつしか城のことは忘れてしまった。覚えていた筆者は築城400年祭に出かければよかったものを、当時はその気持ちの余裕がなかった。高松城を見た勢いで彦根城も考えたことは先日書いた。ここで家内の感想を書くと、彦根城は思っていた以上に規模が大きいことに驚いていた。天守閣が小振りなので、もっとこじんまりとしているのかと思っていたが、庭がとにかく立派で、また琵琶湖を臨む立地も申し分ない。広大な敷地なので、隅々まで巡ると、かなり時間を要し、Nさんと訪れた時に観覧料を払って中に入らないでよかったと思う。駆け足で見てしまうには惜しいからだ。駆け足でも一度見てしまうと、「ああ、あれか」との思いを誰しも抱きがちで、彦根城に関してそのようなことにならなかったのがよかった。ではもう一度訪れることがあるかと言えば、今のところ全くそのつもりはないので、一期一会かもしれない。そう思えば、たくさん撮って来た写真をこのブログで順にすべて掲げ、他者にとってはどうでもいい筆者の個性で文章を綴っておこうという気になる。一昨日の2枚目は、1枚目の突き当りの少し手前で右手を向いて撮った。車の進入路で、写真の奥に駐車場がある。1枚目の突き当りは鉤型に道が曲がっていて、馬屋などの建物があるが、馬屋は工事中でシートで覆われていた。馬屋をぐるりと曲がると濠があり、その橋をわたると彦根城博物館があり、その横手に山道があって、そこを上り詰めると3枚目の写真の光景が眼前に広がる。上空に架かる橋を越えて振り返って撮ったのが4枚目だ。今日の4枚の写真はそこから天守閣に至るまでの100メートルほどの坂道で撮った。ほとんど観光客がいないと思っていると、先日書いたようにたいていの人は車で訪れるから、今日の4枚目のように後方も、そして前方も人がそれなりに多く目についた。明日の「その3」で天守閣の外観の写真を載せる。
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by uuuzen | 2016-02-17 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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