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●嵐山中ノ島復旧、その62(河床浚渫)
ろおろとはしないが、あまりの進捗具合の速さに驚く。2月いっぱいで予定の浚渫工事が終わるというのだが、もうほとんど終わったも同然ではないかと今日は思った。



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最初の写真からもそう見える。もう川の中にショヴェル・カーは入っていないし、その必要もない。思ったほどたくさん堆積していなかったのだ。川底は浅いから、それは予想出来た。それにおそらく水面すれすれまで浚えただけであろう。そのことは渡月橋の下を見ればわかる。雨が何度か降ればすぐに上流から土砂が流れて来て、砂洲を作る。水面から下の土砂を浚っても、誰にもそれはわからない。つまり、誉めてももらえない。それで水面ぎりぎりまでとするが、水面は雨が降ればすぐに上昇するから、なおさら工事する者にはつごうがよい。水面上の土砂だけ取り除けば誰でも川がきれいになったと思う。江戸時代は大坂の淀川下流の土砂を浚えるのに一種の祭りのように住民を駆り出して行なった。そうして浚った土砂が積もって天保山になったが、その頃は水面上に見える土砂だけ除けばいいという考えではなかった。船の時代で、船底が川底をこすってはならないから、人は川の水の中に潜って土砂を取り除いたはずだ。今は便利は重機があるのに、水面上から見える土砂しか取り除かない。ショヴェルカーを使うと、水面より1メートルほどはたやすく掘り下げられるはずだが、何か所はそのようにして土砂を取り除き、そして付近の土砂をその穴に多少埋めて表面を均す。必要以上に土砂を除くことなどせず、きれいに見えていればよれでよい。そうしておくと、数か月後にはまた土砂は堆積し、仕事が出来る。それはともかく、川中の土砂を浚える工程は終わり、河川敷に積み上げた土砂を搬出する工程に移っていることが今日はわかった。この調子では2月中ではなく、数日後に工事は終わるだろう。それではまずいので、ゆっくりと引き延ばしながらやるだろう。どうせ年末のあまった工事予算を消化するためで、誰も困らない。2,3月なると道路が掘り返されることがここ数十年の風物詩になっているが、それが西京区や右京区では河川の中に重機が入る風景が加わっただけの話だ。公共事業をどんどん増やし、経済を回転させることが日本の元気な証拠で、それは世界の役にも立つ。アメリカのように常にどこかで戦争し、砲弾を消費せねば経済が成り立たない国よりかはましだろう。世界が平和になってもらってはアメリカは大いに困る。というより、滅びる。そのため、弱い国を見ればいちゃもんをつけて攻撃し、砲弾の嵐のプレゼントだ。他国の不幸は自国の繁栄につながる。
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 桂川の浚渫工事が毎年のこととなれば、もうこのブログで取り上げる必要もなくなる。3日の天龍寺の節分祭で、この桂川の工事についての去年9月16日のシンポジウムの様子を紹介する看板があったことを先日書いた。そのシンポジウムに参加した筆者は感想をブログに書いたが、一言すれば呆気に取られた。毎年9月16日にどうやら天龍寺でシンポジウムを開催するつもりのようで、つまり河床浚渫工事と同じく、風物詩となったかのような物言いであった。いつの間にそのように方向転換したのか狐につままれたような気になったが、2年前はあれほど急務だと言っていた国交省の改修工事に対する要求を飲むのか反対するのかという議論がいつの間にか消えている。その説明もなく、2年前のシンポジウムと全く同じと言ってよい内容のシンポジウムが去年9月に開催された。つまり、今年9月16日に同じ天龍寺の塔頭で開かれるはずのシンポジウムも同じ内容ということで、一種のお祭りと化した。国交省が突きつけた改修工事案はいつの間にどうでもよくなったのか。筆者ら庶民の知らない間に、関係者が手を打ち合ったのだろうが、それでも誰も困らず、また文句も出ないからいいではないかとの考えだろう。このあまりにゆるい感覚は日本ならではのものだ。毎年重機が渡月橋付近の川の中を這いずり回り、ダンプカーがたくさん出入りして多少の土砂を持ち出してくれれば、それでみんな納得し、平和が保たれる。どうせ200年に一度の大雨が来て、多少嵯峨嵐山が浸水の被害を受け手も、人命にかかわる大きな事件にはならない。それに200年に一度なら、今生きている人の大半は遭遇しない。してもすぐに忘れる。豪雨がどのようにやって来るかわからないのであれば、浚渫工事もそう厳密になる必要はなく、そこそこ見栄えがいい程度にあちこちつまみ食いするような形で浚えばよい。これが電力が必要でダムでも造るかという話になればまた違って来るが、それは嵯峨嵐山には無縁の話だ。
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 日本は電力をどうするかの問題に今後も対処して行く必要があるが、原発は70年代のオイル・ショック後に必要性が絶対視され始めた。アラビアから不安点な原油を買い続けるより、原発の方が安上がりで安定供給が見込めるとの判断だ。便利なものには必ずその反対に何らかの不便なものが付属するが、原発もそうであった。それを知りながら、まあいいかと見切り発車で、その挙句に5年前の福島原発の大事故だ。つまり、一気につけが回って来て。それでも公共土木工事で景気がよくなると信じている日本で、原発事故があったお陰で大儲けしている業者がある。前述の2年前のシンポジウムでは気仙沼からパネラーが出席し、市民代表としてどのように自治体とわたり合ったかが話された。そこで耳にしたのは、巨大堤防だ。国立公園であってもおかまいなしに、高さ10メートルかそれ以上のコンクリートの防潮堤を海岸線沿いに造り始めた。住民は高台にずべて引っ越しし、もう巨大津波がやって来てもどこも言えが流されることがないというのに、なぜそんな巨大堤防が必要か。市民の中に必要と主張する人もあって、結局国や自治体に押し切られた形で工事が始まったが、全長数百キロになり、兆円単位の金が投下される。人口が少なく、津波の被害もないというのに、そんな無駄なものをなぜ造るのか。工事関係者を潤わせ、それで日本の景気が上向くとの考えだ。1兆円あれば、どれほどの充実した福祉が出来るのだろう。保育園問題はみな解決するのではないか。無駄な巨大防潮堤を造らずに、なぜその金をもっと有意義に使えないのか。これはずべて政治の仕組みだ。巨大防潮堤で思い出すのは昔のダムだ。筆者が学生の頃はダム・ブームであった。いや、そのブームが終わりかけていた。もう日本中にダムを造り、造るべき場所がなくなりかけていたからだ。2000か3000か、とにかくそれほどたくさんのダムを日本中に造りまくった。電力が必要だとの理由が大きかったが、電力はその後原発でまかなわれ、ダムは存在意義がかすんだ。学生時代の友人たちは石原裕次郎主演の黒部ダムの工事の様子をドラマにした映画に夢を見て、ダムを造るゼネコンに入社して日本の役に立ちたいと本気で思った。そうしたダムは当然永久のものではない。人間は造るものに永久はあり得ない。ましてやコンクリート製であればなおさらだ。
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 学生時代の友人に訊ねたことがある。ダム湖には毎年周囲の山から大量の土砂が流れ込む。ダムからの放水で、それらは多少は下流に流されるが、そうなると河川に土砂がたまってその除去が問題になる。渡月橋より1、2キロ上流のとてもきれいな渓谷は、近年水が濁って環境が著しく変わった。上流に日吉ダムが出来たからだ。便利なものが出来るとどこかで不便が生まれる。下流の渡月橋付近でそれが起こるようになった。ダム湖は巨大な水甕で、それで電力を作ったり、また治水の能力によって下流の洪水被害を防ぐが、土砂がダム底にたまり続けると、湖としての容量は小さくなって行く。そして最後は全部埋まってしまう理屈だが、そうなった時、豪雨が降ればどうなるか。ダムは決壊し、下流は悲惨な目に遭う。ま、そうなる前にダムはもう必要ないということで壊されるに決まっている。造っては壊し、また造る。その繰り返しを今後日本は国が存続する限りやり続ける。ダムの設計や施工に携わったかつての友人たちは、いずれダムがきれいに取り壊されることを天国で見てどう思うだろう。人間はただ生きて行きさえすればよい存在で、みんなで力を合わせて造ったものがきれいさっぱり跡形もなくなくなっても、それはそれ、別に悔しくもないと、達観することが出来るだろうか。筆者はいやだ。ダムがひとつもなかった時代の人々が作ったもの、たとえば俳句でも絵画でもいいが、それらが今も伝わっているのに、わずか半世紀前のダムがもう取り壊そうかと議論される。巨大なものほど残りにくい。それでもそれが必要とされるのは、たくさんの人を働かせて経済が回るとの考えだ。ダムはもう造る場所がないから、これからは巨大防潮堤で、1世紀先には日本の海岸線すべてを高さ10メートル級の堤防が取り巻く。それが完成した途端に、最初の頃に造ったものが老朽化しているので、今度は補修だ。日本では子どもに熟にやらせて勉強などさせず、まずは大型トラックの運転免許を取らせることだ。そうすればいつの時代でもどこかの現場で仕事が必ずある。奨学金を返せずに苦労しているという話を聞くたびに、道を誤ったなと思う。どうせ大学で中途半端に学んだことなど、ほとんど社会で役に立たない。高卒から重機の免許を取り、工事現場で働くと、同じ年齢でも大卒よりはるかに収入が多い。そういうわかり切ったことをなぜ教えないのだろう。アメリカは戦争の国であるから、アメリカに住むなら軍人だ。それもいや、工事現場もいやでは、さてどこへ行って何をする? おろおろしてばかりでも人生はすぐに過ぎ去って行くが。
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by uuuzen | 2016-02-16 23:59 | ●駅前の変化
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