●今年の天龍寺節分祭、その1
が珍しくなった嵐山嵯峨地区で、もはや田舎ではなく、都会と呼ぶべきだろう。そういう街並みにあって、百年単位の歳月が経っても変わらないのが寺社仏閣で、天龍寺はそのひとつだ。



d0053294_1591763.jpg若冲が相国寺に『動植綵絵』を描いて収めたのは、作品が長く生き延びやすいからで、その思いは当たっていたと言える。もっとも、相国寺は明治になって困窮し、その作品を手放すことになったが、買ったのが明治天皇で、これなら寺社仏閣が所有するよりもっと長生きする。寺も小さなところとなれば経営が大変で、滋賀大津の有名な門跡寺院が一切合財を県下の某宗教団体に売却したというニュースもあった。金が物を言うのは昔も今も同じでも、田畑が減少し、昔よりも自給自足が困難となった今はもっと拝金主義が罷り通っている。それで田舎に引っ込んで田畑を耕しながら少しでも自給自足に近づこうと思っても、ほとんどの人は成功しないだろう。逆に田畑を手放して都会に出て来る人の方が多いだろう。筆者は都会に生まれ育ったので田舎で田畑に囲まれてという生活は無理と思っているが、それでも庭を潰して部屋を建て増しする気にはなれず、手入れはあまりしないが、それなりに木を植えて楽しんでいる。木があれば毎朝野鳥が飛来し、さまざまな声でさえずってくれる。それを贅沢というのではないだろうか。布団の中でたまに耳慣れない野鳥の声を聞くと、きれいな花を見た時のような気持ちになる。そういう心の贅沢は金がなくてもだいたいどうにかなるもので、そういうものになるべく価値を見出して行くと、金のないことをあまり嘆かずに済むような気がしている。話を天龍寺に戻すと、今年の天龍寺の節分祭は何度目であろうかと考えるに、去年の投稿に「アゲイン」と題しているので今年は3年目となるはずだが、それはカメラを持参しての話だと思う。それでも撮影した回数を優先して、今日は「天龍寺節分祭、その3」としてもいいのだが、明日も明後日も書くつもりなので、「その3」はまずい。それで「今年の」としたが、これでは来年もし行くと、また「今年の」と書かねばならず、やはり具合が悪い。そう思いながらもいい考えがなく、適当に「今年の」としておくことにする。
d0053294_1593243.jpg 天龍寺の節分祭は何がいいかと言えば、豆まきがあることだが、そのほかに甘酒や日本酒の無料接待がある。それに加えて地元小学生の習字と絵画作品の展示だ。これが意外に面白い。筆者は息子が大きくなってからは、小学生が描く絵を見ることがなくなった。どうせ子どもであるのでいつどこで見ても同じようなものかもしれないが、やはりたまに見ると無邪気で面白い。指導している先生の顔が浮かぶような気がする。そう言えば筆者は中学生の時に美術の先生に目をかけられ、「大山くんは美術の先生になればよい」と言われたことを思い出す。家内も筆者を先生向きと言うが、さてどうなのだろう。結局そのような道には進まず、何だか中途半端な、凧のような人生になってしまった。それはさておき、豆まきが1時間置きにあるかと思っていたところ、渡月橋をわたっている時に数百メートル離れた豆まき現場からのマイクの声が聞こえて来て、「ああ、これでは最低でも1時間は待つ必要があるな」と思った。つまり、豆まきの真っ最中に、渡月橋にいて、法堂前に着いた時は終わっていた。午後1時半の次は3時半で、2時間もあるのでスーパーに買い物に行くことにした。天龍寺から西に1キロほどだろうか、往復しても1時間かからない。天気がよかったのでスーパーへの往復もなかなかよい。それもさておき、今日の写真は豆まきが行なわれる法堂前の舞台に行く途中と、法堂前から門前の商店街に出る前に訪れた塔頭で撮ったものだ。目に留まったものを適当に撮ったが、一方では去年撮ったものは撮らないでおこうとも思った。ただし、その去年撮った写真がほとんど記憶にない。ほとんどないが、かすかにあるので、豆まきの撮影にしても去年のように舞台に向かって中央真正面に陣取らなかった。
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 法堂は東向きに建っていて、その正面に向かって左右、つまり南北の列に塔頭が並んでいる。全部でいくつあるのか、節分祭、いや節分会と言うべきだが、毎年その時に七福神巡りの幟旗が立つので、たぶん7つ以上はあるだろう。その全部を筆者は知らない。正確に言えばほとんどどれも知らない。最近上田秋成が花の季節に嵐山を訪れ、雨が降ったので天龍寺の塔頭に泊まったという歌を見かけた。その塔頭は今日の3枚目の毘沙門天を祀る弘源寺で、今年初めてその境内に入った。帰り際に地面に新品のクジがひとつ落ちていた。写真からわかるように、ひっきりなしにたくさんの人が出入りしていて、誰が落としたものかわからない。まさか交番に届けるほどのものでもない。とはいえ、他人が買って落としたクジで、何となくそれを拾って開封するのは気が引ける。それで家内と譲り合いをしながら家内が開くと、小吉であった。それで安堵した。これが凶が出れば、せっかく訪れた節分祭が台なしの思い出となる。ま、ともかく落とした人には申し訳ないが、凶ではなかったのでその人もよかったことになる。待てよ、せっかくの小吉をその人は落としたわけで、これは損したということか。写真右中央寄り手前でクジを開いているのが家内だ。写真の説明が前後するが、最初の写真は法堂に向かう前に訪れた塔頭で名前はわからない。何が気になったかと言えば、小さな植え込みの土に桜の花弁の模様を描いてあったことだ。こういう場所ではたいていは櫛状の箒で流水を描くが、桜の花びらとは初めて見かけた。狭い地面に手慣れた描き方で、横に立つ信楽の狸との相性が面白かった。こういう狸の置物はわが家にもあるが、寺にあるのは初めて見た。それがまた庶民的で面白い。2枚目の写真は右端にその狸を写し込んだが、奥からやって来る女性は見知らぬ人で、これは写すつもりがなかった。そのために没にしようか迷ったが、最初の写真の場所が寺のどの辺りにあるかを知らせるにはいいと思い直した。4枚目は弘源寺の前から東を向いた様子で、御札を燃やしている。奥に見える門を出ると商店街だ。この焚火はよほど煙が高く昇るようで、渡月橋をわたっている時にそれが見えた。撮影するほどのものでもないし、去年も撮ったような気がするが、境内で節分祭特有の変わった光景と言えば、豆まきを除けばこれくらいしかない。それに昔と違ってこうして何かを燃やす光景はほとんど見かけない。田畑が多い時代は全くそうではなかったのに、今では嵯峨嵐山で同様の焚火をすると、消防車が走って来るだろう。
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by uuuzen | 2016-02-05 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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