人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●「LE MARTEAU SANS MAîTRE」
者も死には負ける。そして評価が定まるのは死んでからだが、その評価もいつまでも絶対ではなく、変転する。今月5日にピエール・ブーレーズが死んだ。ザッパより早く生まれて四半世紀も長生きした。



●「LE MARTEAU SANS MAîTRE」_d0053294_0181625.jpg

先ほどアマゾンで調べると、2013年に『コンプリート・ワークス』と題するボックス・セットが発売されていて、13枚組だ。意外に少ない。筆者はCDを5,6枚は持っているが、最初に買ったのは今日取り上げる『打ち手のない槌(マルトー・サン・メートル)』だ。このLPを買った正確な日は覚えていない。ジャケットの中に帯がふたつ折りして入れてあり、その裏面を見ると昭和50年2月が締め切りで、ネクタイ・ピンが当たる引き替え補助券が印刷されているが、3枚集めるともらえるので、当時のLPはよほどレコード会社の利益が大きかったことがわかる。筆者がこのアルバムを買ったのは、昭和48,9年のはずで、22、3歳であった。何でこの作品を知ったかと言えば、クラシックの音楽雑誌に、海外の何とかの賞をもらった名盤であるとの宣伝による。また、それだけで2000円を支払う筆者ではなく、おそらくNHKのFMでこの音楽が紹介されたのを聴いたからだ。当時はすでにザッパのアルバムを買っていたが、筆者はロック以外の音楽にも関心があり、そのことは今も変わっていない。後年ザッパがブーレーズから作品を委嘱された時、自分の音楽の好みの中でつながりが出来たと感じ、とてもわくわくしたものだ。筆者と同世代のザッパ・ファンがどれほどいるのかいないのか知らないが、筆者と同じように22,3歳でブーレーズのアルバムを自分のお金で買った人と話をしてみたい気がしている。ところで、先月世に出た筆者のザッパ本に「セリー」という言葉を一度だけ使ったが、それを見て息子は「セオリー」の間違いではないかと言った。それで重版では「セリー」の後に「(音列)」の言葉を加えたが、ザッパの音楽を聴く人がまさかセリーについて知らないはずはないと思っている筆者は、それほど時代遅れの人間かもしれない。とすれば、これからはブーレーズの音楽など聴く人はいないことになるが、ならばザッパも忘れられるだろう。
 先月渋谷のクラブ・クワトロでトーク・ショーをした時の司会者のYさんと控え室で話した時、Yさんはザッパのアルバムで最初に聴いたのが『いたち野郎』で、それを聴いて「なんじゃこれは!」との第一印象であったらしい。それとよく似たことは筆者がこのブーレーズの若き頃の傑作で、しかも代表作と呼ばれる「ル・マルトー・サン・メートル」を聴いた時に感じた。ザッパが初めてヴァレーズの「イオニザシオン」を聴いた時もそうではなかったか。そして、その今までに聴いたことのない音の響きの前で戸惑いつつ、そこに分け入るか、あるいは踵を返して別の場所に赴くかという選択を誰でもいつでも行なっているが、筆者はともかくこの曲のアルバムを買った。それはその世界を覗いてみたいとの思いが勝ったからだ。自分にとってわけがわからないものに、筆者はそれなりに関心を抱き続ける。捨てずに脳の片隅に置いておくと言えばよい。それが長年そのままになっていることが多いが、次第にその箇所に光が当たり続ける。つまり、その謎と関連する事柄に出会って行くからだが、先日書いたように、そうした脳の片隅の関心を抱いた謎は、10代半ばから20歳頃までに揃ってしまう気がする。その時期が人生で最も大事と言えばよい。その大事な時期に誰しも気づかない間に、気になることが脳内にインプットされる。それを自覚するかしないかで、その後の人生を豊かに過ごせるかそうでないか別れる。筆者は決してその重要な時代に重要な謎に多く出会ったとは思っていないが、もう仕方がない。それで限られた事柄をいよいよ残りの人生で掘り下げたいと思っていて、その中にたとえばブーレーズのこの曲があるかと言えば、そんなおおげさなものではなく、今月ブーレーズが死んだので、思いを簡単に書いておこうという程度だ。
●「LE MARTEAU SANS MAîTRE」_d0053294_0183319.jpg

 ブーレーズはフランス人で、時代から言ってシュルレアリスムの影響を強く受けていると言ってよい。シュルレアリスムはザッパも関係があるだろう。だが、ザッパはアメリカ人であるし、またブーレーズより15歳も若い。1940年生まれではシュルレアリスム芸術の強い感化を受けることはないのではないか。それはさておき、本曲の題名はルネ・シャールというシュルレアリスムの詩人の詩につけられたものだ。ルネ・シャールについて筆者は知らないが、1907年生まれで88年まで生きたというから、本曲をよく知っていた。シュルレアリスムは絵画は馴染みやすいが、詩となると、どうしても翻訳に頼らねば意味がわからないこともあって、関心が薄くなる。そして、詩は訳してしまうと本質のかなりの部分を失い、また変質するので、なおさら敬して遠ざけがちだ。筆者は詩が最も苦手な芸術となっていて、ましてや欧米のそれとなるとお手上げだ。詩は言葉を煮つめたもので、俳句や和歌と同じと思えばいいかと言えば、そうでは決してない。シュルレアリスムの詩となるとなおさらで、意味を把握しようという態度で臨むものとは限らない。では無意味かと言えば、そう言う人もあるし、シュルレアリストでありながらブルトンと袂を分かったロジェ・カイヨワは、言葉を弄ぶシュルレアリスムの詩を批判している。言葉は意味を持つべきとの態度だ。筆者はカイヨワを尊敬するので、その意見に賛成だが、一方でわかるとかわからないを越えた音の響きとしての詩が存在し得ることを認めたい思いがある。駄洒落や言葉遊びが好きな筆者で、その延長上に言葉をたとえば絵具や音符のようにして用いた絵画的、音楽的な詩があることは理解出来る。そして、シュルレアリスムの詩はだいたいそのようなものとも思っているが、無意味で無価値かと言えばそうではなく、詩が書かれる契機として、詩人の内部にその必然性が宿っていて、一種やむにやまれずに詩が難解な形をして生まれて来ることがあると思いたい。そして、それは詩に自ずと刻印されるのであって、そのスタイルを真似て軽々しいのりで作ると、結局その人の馬鹿さ加減が出て来るだけのことで、作品は結局作者の精神性が滲み出る。
 シュルレアリスムの詩とその題名を使って作曲された本作は、詩に内在する音楽性を実際に耳に聞こえるように企てたものと言える。だが、別人が作曲すれば詩の別の面が表現されるから、あくまでブーレーズによるこの詩への解釈となっている。では、この曲を味わうのにシュルレアリスムについて、あるいはルネ・シャールについて、さらにはセリーの仕組みについて知る必要があるかとなれば、知っていた方がより深く理解出来るだろうが、まずは曲をじっくり聴くことで、またそのことに尽きる。筆者が最初に受けた「これは何だ!」というショックは今もそのまま思い出すことが出来るが、40年も経ち、また後年の録音になるCDも聴き、「これは何だ!」とは別の思いも抱いている。だが、不思議なもので、最初の衝撃は一番新鮮で、またかなり正確にこの作品の世界を感じ取っていたことを思う。ブーレーズは長生きしたし、また指揮者としての活動も長く、その録音が多いが、作曲家としての仕事も後年になっても時代性を取り込んで意欲的になり、力作が目立つ。そして正直に言えば筆者は晩年の作品の方が新しい感じが強くて好きだが、29歳という多感な時代の作曲で、しかも何度も録音し直したというこだわりの点から、本作が最も有名になっているのは理解出来る。本作が書かれ、演奏されたのは、筆者が3,4歳の頃で、そのことを思うと、まるで当時の自分を覗き込んでいるような気にさせられるが、それは同時代の他の芸術その他と併せてのことで、月並みな言葉で言えば、新しさ、実験性といったことになるが、感覚的に言えば、冷徹で研ぎ澄まされた、余分なものを排除した新たな秩序と言えばよい。また様式性が濃厚で、日本で言えば能を思い出す。実際ブーレーズはこの曲に日本的なものを持ち込んでいるが、その態度はこれまでのヨーロッパになかったものを持ち込むという態度による。とにかく新しいものをとの考えで、旧い時代の残滓があってはならなかった。そうした態度はシェーンベルクが12音技法の作曲でまず始めた。先月シベリウスの交響曲第2番を取り上げたが、シェーンベルクやブーレーズにすればもはや時代遅れの音楽であった。それでシベリウスは自分が書くような曲が急速に旧弊的なものになって行くことを傍目で見つめながら、作曲が出来なくなって行ったが、シェーンベルクの全く新しい作曲方法を認めざるを得ない心境を抱いたまま死んだ。それは、たぶんシェーンベルクの曲があまりにも技法にかんじがらめになりながらも、どの作曲家の作品にもない詩情を湛えていることを知っていたからだろう。同じことはブーレーズの曲にも言える。
 調性音楽は結局誰がどう書いても似てしまうと思うのは、音楽を長年聴いて来た人なら誰でもであろう。シェーンベルクは調性を放棄してなおかつ作曲家の個性を盛り込み、聴き手に詩情を伝える作品を目指したが、その方法論は何百年かは安泰で、相変わらずドイツ音楽は世界を導くと考えた。だが、実際はそうとは言えなかった。シェーンベルクの後を継いだベルクやウェーベルン、それにフランスではブーレーズが同じ技法を使いつつ、さらに複雑化するが、それ以外にも作曲の方法があるという考えがたとえばアメリカではジョン・ケージが編み出し、そしてブーレーズはそういう時代の動きに敏感で、また貪欲にそうした新しい技法を取り込み、作品を書き続けた。そのため、本作以降はシュルレアリスム的な色合いは目立たなくなるが、意識して忘れたのではないはずで、フランスが生んだ世界的な芸術の潮流であるシュルレアリスムについては誇り続けたであろう。さて、本作の詩情はルネ・シャールの詩が支配しているが、この詩は、赤、ナイフ、死体、死の海、死刑執行人、時計、花崗岩といった印象的な言葉が並び、何を暗喩しているのかわからないが、絵画のように味わえばいいだろうし、またそうするしかない。絵なら見ればすぐにわかるし、また音楽もそう言えるが、詩も同じで、言葉の連なりを読みながら、あるいは聴きながら、思い浮かぶことを楽しむものだ。そこに意味があるかどうかは、受け手が判断すればよく、選ばれた言葉の連なりの塊から言葉にならない、また絵とも音ともならない感覚を抱けばそれで詩を味わったことになる。もちろんそうでない詩もあるが、シュルレアリスムの詩は意外な言葉と言葉のぶつかり合いが基本で、そこに言葉の意味としての理解ということはほとんどない。ブーレーズはおそらくそのように考え、そしてこの詩を音楽で彩るとすればどういう楽器を選び、どういう音の連なりのうえに詩を歌わせるかを試行錯誤したが、当然セリーを使い、また精緻な設計図にしたがって厳格に組み立てた。建築物と言ってよい作品で、それゆえ即興性はなく、気軽に楽しむジャズとは全く別世界の音楽だ。ただし、演奏者や歌手、また指揮者によっては変化は出るし、またそのことをブーレーズ自身が楽しんだと言ってよく、セリー音楽であっても自由さがあると思っていたであろう。
 この曲の組み立て方は全9曲が入り組み、またどの曲も同じでないながら、関連し合っているので、聴き込むほどによさがわかると言ってよいが、演奏は必ず1曲目から始まって9曲目に至るので、たとえばABA形式である曲が書かれていても、そのシンメトリー性は聴き手の頭の中でそのとおりに組み立てられるとは限らない。ま、このことはよく言われることで、音楽は構造ではあるが、それを把握するのは音楽が流れる時間を要し、またその時間に沿っての構造把握で、作曲家が建築物を設計するように楽譜を書いても、人は見てすぐにわかる建築物のように音楽を厳格な構造を持ったものとは思わない。そのことをブーレーズはよく知っていて、後には曲順を指定しない作品を書くが、そうした考えはヨーロッパでは新しいかもしれないが、アジアではそうではない。そしてブーレーズはそのこともよく知っていて、本作で早くから日本的、あるいはインドネシア的な音の響きを取り入れたが、その行為はアジアに敬意を表するためでは全くなく、ヨーロッパにないものを取り込んで、ヨーロッパを豊かにするためだ。話が散漫になるので、また本作に戻ると、ブーレーズは詩をメゾ・ソプラノに歌わせながら、その歌声を楽器に溶け込ませようとした。そのため、楽器を伴う歌曲というより、歌曲の部分がひとつの楽器と捉えられている。つまり、詩は言葉の意味を伝えるが、声の響きを重視する態度だ。詩は言葉を時にかなり長く引き伸ばし、またある時は数語を一瞬で歌い、フランス人が聴いても意味はほとんどわからないだろう。楽器はフルート、ヴィオラ、ギター、ヴィブラフォン、木琴で、これに6つの打楽器が加わる、9曲はどれも楽器編成が違う。9曲目の始まりはゴングが鳴り響き、その重量感によって最後の幕が開くという雰囲気に満ちる。詩は3編に分かれているが、4曲で歌われるので、繰り返される編がある。ただし、9曲目ではハミングとなる部分があって、歌が器楽演奏に溶け込む様子を表わす。フルートはほとんどどの曲にも登場するが、息を吐く楽器である点で女性の歌声に最も近い。打楽器が活躍するのは2、4、6,8,9曲目で、2曲目からはザッパが本作を聴いたことが確実なことがわかる。だがザッパは12音音楽ではなく、調性を持った曲でも似た響きを生み出せることを考えた。そしてザッパは自分の作品が時代錯誤的で、ロックの分野では珍しがられても、現代音楽の分野では前衛とはみなされずに全くの未知の人であることを自覚していたはずだ。
by uuuzen | 2016-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●薔薇の肖像、その14 >> << ●國學院大學博物館

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?