ふたつの現場を確認したいために今日は雨がひどく降る中、嵐山の中ノ島の最下流と松尾橋右岸の様子を見に出かけた。雨は昨夜から降り、真夜中にそのあまりの激しい音に目が覚めたほどだが、正午頃になってもいっこうに止む気配がない。
銀行に振込みをせねばならず、どうしても梅津まで出かける必要があり、ならばついでに工事が始まっているはずの中ノ島からすぐ下流を見ようと思った。そこから自転車道路を伝って松尾橋まで行くのは、バスが走る物集女街道を真っ直ぐ南下する距離の倍はある。晴天ならいいが、ひどい雨だ。靴は雨漏りのしない、筆者としてはよそ行きの高級なものを履いたが、本当なら長靴がいい。もう何年も前から家内はそれを買えと言うが、雨天になれば筆者も思い出すのに、晴れになった途端に思い出すことは絶対にない。話は脱線するが、年々そういうことが増えている。たとえばネットで調べてみようと食事中に思ったとする。だが、食事が終わってパソコンの前に座ると、まずそのことは思い出さない。それで翌日の食事でまた思い出すが、その日もやはり同じことだ。それが数回ほど続くと、食事中でなくてもたとえばトイレ中や散歩中にふと思い出す。ところがそれらが終わると、すぐに忘れてしまう。そして、ついにパソコンに向かっている時に思い出すようになり、ようやく調べることになるが、時間はたくさんあるはずなのに、なぜ気がかりなことを用事が済んだ後すぐに思い出せないかと言えば、あまり重要なことでもないからだ。最近で言えば筆者は讃岐で死んだ崇徳上皇の墓がどこにあるのかが気になった。『雨月物語』の最初の「白峯」を何気なく思い出してのことだ。ネットで調べると即座にわかるのに、思い出すのはいつもパソコンの前ではない。それで10回ほど思い出した後、ついにパソコンの操作中に思い出し、早速調べた。JRの坂出で下りればいいことがわかったが、とにかく筆者はひとつの関心事を調べるようになるまでの時間が数日かそれ以上はかかる。気がかりがあればすぐに解消すればいいのに、なぜかそのまま放置することが多く、50年ほどそのままということがままある。ままどころかたくさんあって、近年の筆者の関心事はほとんどが10代半ばから後半に触れたことだ。そういう大昔の気がかりを死ぬまでの間に咀嚼しておきたいとここ数年はよく思う。
話を戻す。いい靴を履いて出かけたのに、自転車道路から松尾橋に至った頃には両方とも靴下が濡れ始めていることに気づいた。それほど雨がひどいのだ。靴底から水が入るのではなく、足の脛から下が吹きすさぶ雨でずぶ濡れで、雨水は甲を伝って底まで達する。これなら安物の靴でよかったのにと悔いるが、もう仕方がない。ムーギョとトモイチで買い物をし、そして今度はいつものように物集女街道を歩いて家まで戻ったが、撮るべき写真は手に荷物がまだない往路でカメラに収めた。今日の写真がそれらだが、撮った枚数は倍以上に上る。その中から厳選と言うほどでもないが、この再開した「中ノ島復旧」シリーズは今日撮ったものは今日発表する態度で臨むつもりであるから、写真の枚数はせいぜい4,5枚までとしておかねば、書くべき文章量が多くなり過ぎる。定点撮影を思っているので、最初の2枚は後日同じ場所に立てるような、しかも工事のはかどり具合がよくわかる撮影角度を選んだ。最初の写真は中ノ島の最南端に立って下流を向いた。すでに重機が入っているが、まだ浚渫は行なわず、そのための道路を延長しているようだ。延長というのは、川の流れに向かって直角方向で、写真に見えるトラックなどがいる場所の土砂を取り除くのだろう。だが、それがどの程度に行なわれるかは来月下旬にならないことにはわからない。2枚目は中ノ島橋を桜の林側に戻り、去年5月にその林の中に造られた自転車道路の終点、つまり昔からあった自転車道路との接続箇所近くで撮った。この眺めが2月下旬でどのように水面が増えるかだ。2枚目を撮った後、自転車道路を下って行くと、渡月橋と松尾橋の間の松尾橋寄りに大きな土砂の台地が広がっているところに出会う。いずれそこもきれいに土砂を失くしてしまう必要があるはずで、来年度も引き続き工事が行なわれるのではないか。今まで放置して来たつけが回って来たと言うべきで、国交省の淀川河川管理事務所もそのことはよくわかっているだろう。2年前の秋に松尾橋のたもと下に、河川敷に侵入するための道が造られたのが、いちおうの渡月橋付近の浚渫工事が終わった後、砂は取り除かれたが、重機や車が進入するための金網のフェンスはそのままに残された。それはいずれまた浚渫をする必要があるとの考えからで、その機会がまた始まったことになる。そして、浚渫する箇所は松尾橋からうんと上流の渡月橋寄りだが、重機が河川敷に乗り入れるにはまたコンクリートの土手の法面に砂を積み重ねて坂道を造る必要がある。つまり、今日の1,2枚目の写真は、松尾橋のたもとの様子も変わっていることを意味し、それを確認するために筆者は雨がひどいにもかかわらず、松尾橋まで歩いた。そうして撮ったのが3,4枚目で、想像どおり、法面に砂を積んで新たに坂道がまた造られていた。つまり、予想どおりに今日はふたつの撮影場所で思いどおりの写真を撮ることが出来たが、わが家から5分とかからない1,2枚目と、20分近くかかる松尾橋のたもととでは、当然前者の方が変化の確認作業が容易で、今後はもっぱら前者の写真だけとなることが多いと思う。それに松尾橋の現場は工事関係の車の出入り口で、河川敷への坂道がつけられたからにはもう浚渫工事が終わるまで目立った変化はないだろう。3枚目の写真の右端上に見えている白い道筋の突き当りが、1、2枚目の現場辺りとなる。
さて、今日は「ふ」の文字を冒頭に使ったが、もうひとつの話題として、先ほど行って来た風風の湯での話を書く。ふたりだけになったサウナ室や露天風呂の湯船の中で、観光客の70代の男性と話が弾んだ。よくしゃべる人で、筆者の5倍ほどの言葉の多さであったが、あまりに話題が転々とするのでここで何を書けばいいのか戸惑うが、一番印象に残ったのは、政治家が業者と癒着する問題だ。その男性はもうとっくに定年を迎えているが、長年土木工事の会社に勤務し、その経理を担当していたようだ。そして、誰でも知っている自民党の大物政治家に100万円以上の札束を手渡したことを話してくれた。それが業界の常識であり、そのようなことを政治献金以外にこまめにしないことには仕事が回って来ないそうだ。先日東北の高速道路の工事で、それぞれの区間において地元の業者が落札し、談合が発覚した事件があったが、あれは日本の常識であり、どの業者も仲良く仕事を分け合おうとの考えだ。完全に透明な入札になると、結局大企業のみが落札する。それでは地元の業者は困るから、どうにか仕事がやって行けるように裏で取り引きをする。それはそれで調和の取れたいい関係と言うところもあるが、税金が必要以上に使われるから、国民はごく一部の企業のために薄く搾取されることになる。それに一方では口利きをする政治家に大金が転がり込むが、それは政治家があちこちで開くパーティなどの飲み席で使われ、またそうしたことを熱心にしない限り、その政治家に票が集まらない。そのような話をその男性はしながら、それでも世間を賑わせている大臣の弁明は歯切れが悪く、あれは何だと言っていた。金をもらったことがばれたので仕方なく大臣を辞めるという態度だが、そういうことが暴露されるほど大物ではなかったということだ。これも先日のニュースに、公務員が副業で大金を儲けたことが糾弾されていたが、大臣が口利きで金をもらうことは副業に当たらないのか。それどころか、もっと重い罪になるはずだが、TVではどういうわけはその大臣の才能を惜しむ声が大きく、政治家の汚い金に関して麻痺しているように感じる。これは、政治家の口利きで重要な物事が決まらない仕組みを作れば済む問題と思うが、結局は政治家の力を小さくすることだ。それが民主主義というもので、その点で日本は江戸時代から変わらぬ遅れた国家と言える。日本は日本なりのやり方があってよいという意見が当然あるが、裏金を渡して便宜を図ってもらいたい者が、いくら金を使っても思いどおりに事が運ばない可能性があることを予期し、金を渡したことの証拠をしっかり取っておくことは人間の感情として当然であろう。相手が汚いことをする可能性があるなら、こっちももしもの場合に備えて証拠を確保しておくのはあたりまえだ。それを大臣は立派で、金をわたした方を悪質な策略家と言うのはおかしい。ま、結局風風の湯で長らく話をした初対面の老人は、そういう政治家を相手に今までどれだけ札束を使って仕事を取って来たことかと、業界の悪しき慣例を思い出していた。どの会社も同じことをするからには、自社のみがしないわけには行かないし、またそういう図式を知っている政治家がたかって来る。口ひとつで生きている政治家は詐欺師と大差ない。