若い人が少なくなって自治会の運営が年々難しくなって行く。今日は自治会のFさんと今年初めて長話をした。2時半にお邪魔するとバイクで出かけたとのことで、1時間後に再訪した。それから午後6時ちょうどまで話した。
それだけ話をする内容がたまっていたとも言えるが、話題は自治会の運営の心配よりも、年末から正月をお互いどう過ごしたかの報告だ。ここ数年、Fさんは息子さんや孫さんらと一緒に長野と新潟の県境にあるスキー場に行くことにしているとのことで、今年は雪が少なくて心配したが、かなり山深いスキー場で、雪は少ないが滑ることは出来たとのことだ。往復で1000キロ近い距離を車で行くそうだが、車を運転しない筆者には想像しにくい。Fさんは70代だが、気力と体力は若者並みだ。それはさておき、Fさん宅に自治会に持って来られた回覧文書があった。Fさんがその配り役をしているが、組長を兼務している筆者宅に持参せずにいいように、筆者はそれをもらって帰った。その文書が今日の投稿を決めさせた。去年の末までは松尾橋の下流で堆積土砂の浚渫が半年ほど行なわれていた。松尾橋から下流へはめったに行かないので、関心もなく、写真を撮ることもしなかった。嵐山から順に下流へと浚渫して行くようで、去年末で松尾橋からその下流の上野橋までの間を浚渫したのであれば、次は上野橋から桂離宮辺りまでとなるのだろう。その実際はそうか知らないが、今日Fさん宅からもらって来た回覧文書は、渡月橋から500メートルほど下流を浚渫する。そこは手つかずであったのだろうか。あるいはまた土砂がたまってしまったのか。というのは、せっかくきれに水面になった渡月橋の真下も、今ではまた中洲が大きくなり始めている。浚っても浚ってもまた堆積するので、浸水対策のために毎年ユンボやブルドーザーを渇水期の川の中で動かす必要がある。文書によれば、工事は3月15日までで、4200立米の土砂を取り除くとある。年度末なので、急いで発注し、予算を消化しようという考えなのだろう。そして4月以降はまた松尾橋までの別の箇所を浚渫するかもしれない。梅津に買い物に行く際、松尾橋上から下を覗くことが習慣になっているが、薄緑色のフェンスで囲まれた重機侵入場所はまだそのままで、それでいつかまたそこを利用して重機が上流へと作業のために走るのだろうと思っていたが、今月末頃つまり、ひょっとすれば今日か明日からでもそこに警備員が立って、フェンスを開き、重機を入れるかもしれない。それにはまたコンクリートの法面に土砂を積んで道を造る必要があるが、その準備作業は文書中の工程表によれば1月中旬となっている。だが、まだその気配はない。「河川土工」は2月で、もうそろそろ松尾橋下、厳密に言えばわずかに上流側が騒々しくなる。それで、また筆者は梅津に行くついでにその浚渫工事の様子を撮影し、その日のうちに投稿しようと思っている。ただし、それも3月末までのことで、10数回の投稿で終わるだろう。それが終わった後は、またちょうど1年前に撮っておいた駅前ホテルの工事写真を載せて行くことになる。それまでの間、本カテゴリーに投稿する新たな材料が得られたが、浚渫場所は今日の航空写真で言えば赤く塗った川幅の中ほどで、また中ノ島公園の最下流の剣先から目前だ。となると、定点撮影はどこですべきかだいたい決まる。ともかく、わが家から歩いて5分ほど、「風風の湯」からはすぐで、たくさん歩かずに済む。ということは、松尾橋上からは重機の出入りが見えるだけで、浚渫の様子は全くわからない。