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●手にした蓮の実と美人店員
げずに待っていると機会は訪れる。筆者の経験で言えば必ずそうだが、訪れない機会は忘れているからだろう。自分のつごうのいいように物事を考えるのが人間だ。



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それをおめでたいと人は言うが、おめでたくても当人がよければいいではないか。訪れない機会に立腹するより、忘れた方が健康にいい。気がかりがあるのは、いい場合とよくない場合がある。そしていい気がかりはいくらあってもいいのに決まっているが、言葉を変えればそんなうきうきしたことはおめでたい人がより多く持つことが出来る。うきうきした気持ちは大事で、それで宝くじの1等賞金が億単位のしかもだんだんと高額になって来た。宝くじを買ってその当選発表を待つ間のうきうきはまことに手軽なもので、多くの人が列を成して買おうとするのはわかる。だが、筆者は当たるかもしれないといううきうきした気分より、当たらなかった時の落胆を味わいたくないため、買わない。そんなものを買わずともいくらでもうきうきした気分にはなれる。おめでたいからだ。そういう人物は人に騙されやすいというが、騙すよりいいではないか。そう考えることもおめでたい証拠だ。うきうきした気分で最たるものは、好きな異性が出来た時だろう。異性でなくてもいいが、ま、普通はそうだ。若い頃にあまり恋愛の経験のない人は、70、80になって恋情に目覚め、事件を起こすという例がよくある。うきうきはある日突然やって来る。素敵な異性となれば全くそうだ。そうそう、筆者はこの夏に高島屋の地下の和菓子売り場で、若い女性店員と5メートルほど離れて顔を見つめ合い、目が1秒か2秒合った。その拍子に彼女が見せた笑顔は絶品であった。筆者がもっと若いと、一瞬で恋に落ちたろう。だが、今はもう蕪村の句にあるように、美しい若い女を見てもこっちの心には秋雨が降っている。それはともかく、その女性の笑顔はそのわずか1,2秒ではっきりと覚えた。その後、彼女をまじまじと見つめることはなく、彼女の笑顔だけを思って百貨店を後にした。だが、家内には抜群の美女がいたとは言わなかった。そうそう、その彼女を見たのは今年の8月16日だ。なぜよく覚えているかと言えば、母の家を訪れるのに、五山の送りの焼き印を捺した和菓子を買って行ったからだ。そしてその3日後の19日に宇治の妹の家に行った。今日の最初の3枚の写真はその妹宅の玄関前で帰り際に撮った。その話は後に回すとして、和菓子店の美女だ。
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 お盆以降に四条河原町の高島屋に2回ほど行ったと思うが、地下の和菓子売り場には行かなかった。いや、正確に言えば、一度だけ行った。その時、前述の美人店員はいなかった。アルバイトかもしれないし、また辞めたこともあり得る。百貨店の店員はそんなものだ。有名大学を出た女性は店員にはならない。そのため、筆者がかすかに恋心のようなものを抱いた美人店員は、高卒か、あるいは比較的貧しいとも考えられる。だが、それで女の価値は決まらない。そう言えば、筆者に瞬時に見せた笑顔は、どことなくさびしそうであった。筆者は美女でもそういうタイプを好む。また、筆者の美女の規準はとてもきびしく、昨今のTVの若いタレントには皆無と言ってよい。さて、東京へ行くのにいくつかのお土産を買うことにしたことは昨日書いた。そして昨日の夕方に高島屋に行った。今年はかなり遅れたが、歳暮をいくつか送る必要もあったからだ。地下の和菓子売り場で筆者はまた例の美女がいるかどうかを目で確かめた。するといるではないか。商品を包む作業に従事し、客とは顔を合わせない。そのため、筆者が目の前に立っても彼女は顔を上げず、筆者に気づこうともしない。そこで家内に初めて彼女のことを言った。4か月前に見かけ、とても美人であることを言うと、家内はどれどれと言いながら、歩を進め、下を向いて懸命に作業する彼女の真正面の、1.5メートルほど離れたところに立った。顔はまともに見えないはずなのに、家内は小さな声で筆者に同感であることを言った。そして、芸能界でもすぐに入れそうな、めったに見かけない美人で、女優顔と言った。目を見ていないのにそんなことが女にはわかるのかどうか、ともかく家内も驚くほどの美女で、高島屋にそんな女性がいるのが不思議だと言った。筆者は夏目雅子に似ていると言うと、家内は半分同調しながら、もっと違うタイプの美人だと言ったが、実際そのとおりで、似たタイプの芸能人を知らない。これを読んだ人が高島屋の和菓子売り場に駆けつけると、その女性がいればすぐにわかるだろう。それほどに掃溜めの鶴といった感じの美女だ。年齢はまだ20代前半、ひょっとずれば19くらいかもしれない。そういう若さではたいていの女性はきれいなものだが、比べると優劣があるもので、世の中は不公平と女性は思っているだろう。だが、美女だけが男に持てるとは限らない。美女でも冷たい感じが強いのは嫌であるのは誰しもだろう。
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 美女の話はそれくらいにするが、今日の蓮の花の写真はまさに美女そのもので、妹の家にまさかこの花があるとは思わず、いい機会に巡り合えた。今年の夏にこのブログで蓮の実のことを書いた。それで年末であるので、双方の蓮の実のその後を今日は書いておくことにした。蓮の実がどこで手に入るかといろいろネットで調べながら、めぼしい情報が得られず、さてどうしたものかと思っていた。蓮の実は中国や東南アジアでは食用にされる。それで筆者の試したいと思ったのだが、わが家から最も近い蓮池は天龍寺にあるが、柵が高く、とても花には近寄れない。またそれが出来ても実を採ることは無理だ。ところが、ひょんなことで、また意外にも早くその実に出会えた。宇治の妹に蓮の実が食べられると言うと、それは無理だと言われたが、日本ではその習慣がないからだろう。それで好きなだけ蓮の実を持って帰ってよいと言われ、写真を撮った後、直径10センチほどだが、小さな蓮の実の台座を3個もぎ取って持って帰った。どれも10数個の緑色の小さな実が詰まっているが、確かにそれをほじくって食べると、下痢をしそうだ。それで干し柿のように乾燥させればどうかと思い、部屋の片隅に転がしておいた。すると、全体が褐色となり、また穴が広がるのと同時に実が収縮し、穴の中からポロポロと実が外れ始めた。それを集めて撮ったのが4枚目の写真だ。干し柿と違ってやはりこれは食べられるようには見えず、また食べてもおいしくなさそうだ。それでそのままにしているが、これは実つまり種子であり、水と泥があれば発芽する。妹は大きな蓮用の染付の鉢をいくつも玄関脇に並べて蓮を育てているが、わが家ではそれは無理だ。それで乾燥させたまま鑑賞するしかない。はははは、まるで高島屋にいる美人店員のようなものだ。実際鑑賞するだけで充分という美女はいる。男にはそういうロマンがあるもので、それは老いるほどに強まる。筆者はその店員の名前や年齢、またどこに住んでいるかなどについては関心がない。ただあまりに美しい笑顔を筆者に見せたその瞬間が懐かしい。それで充分ではないか。蓮のきれいな花の写真を使う今日の投稿に、まさか彼女について書くことになろうとは全く思わなかったのに、即興で書き進むうちに蓮の花と彼女の笑顔が重なった。それはそうと、東京行きのための土産は彼女の店では買わなかった。別の女性店員の応対では面白くないからでもあった。ということは、また彼女の笑顔を、しかも間近で見たいと思っているということか、それを老人のいやらしさと言うのだろう。めげずに待っていると機会が訪れるなどと思うこともそうだ。そんなことを思わずに、さっさと何事も忘れ去るのがよい。特に淡い恋心は。
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by uuuzen | 2015-12-21 23:59 | ●新・嵐山だより
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