●『ROXY THE MOVIE―THE DELAXE EDITION』その3
間ランキングどころか、時間ランキングがわかるアマゾンの凄腕で、そこに載る読者の評は商品の売れ行きをかなり左右するだろう。一昨日ヤマハのKさんと電話で長話をし、その中でKさんは『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の評価数が少ないことに首をかしげていた。



デラックス版は発売されて間もないので、まだ評価が出るのは先と思うが、1万円以上する商品であるので、筆者は売れ行きを心配している。その話はさておき、昨日の続きになるが、今回のザッパ本は2000円台になるかと思っていたのが、3000円台になった。原稿量が多くなってもかまわないとは言われていたが、紙ジャケットCDに書いた解説を基準にするので、そう多くはならない。紙ジャケットCDの解説については1アルバムで4ページ、そのうち1ページをジャケット写真やデータに割り充て、残り3ページが文章というフォーマットを梅村さんが最初に決めた。つまり、1行当たり何文字で1ページに何行収めるかだ。そしてその形式は『フリーク・アウト』を基準にした。だが、筆者は本をまとめるに当たって、その古い紙ジャケの原稿をざっと読み返し、『フリーク・アウト』については1割ほど文字数を増やした。その原稿を元に梅村さんは本の行数の形式を決めた。それはちょうど3ページに収まり、1行のあまりもないようにするというものだ。だが、ヤマハ側は漢字の開きや、英語の片仮名表記、それに段落などに独自の規定や考えがあり、編集者の指示によって筆者の原稿は多少変わらざるを得ず、梅村さんが3ページにぴたりと収まるように『フリーク・アウト』の文章の版を組んでも、行が足りなくなるなどの新たな変化が生じる。そのいわばはみ出た原稿を筆者がまた文章を訂正して行のあまりが出ないようにしたが、再度ヤマハのチェックは入る。そういった作業を全アルバムに対して順次行なったが、原稿の執筆を一方でしながらのことで、筆者は没後のアルバムを毎晩1作ずつ原稿を書き終えながら、生前のアルバムのPDFファイルをチェックし、行数のあまりが出たものは文章を書き加えた。行数のあまりというのは、『フリーク・アウト』を基準にした版組で、筆者は同アルバムのみ1割増しにしたから、残りのアルバムは5,6行の余白が生じることになり、その余白を埋めるために結局『フリーク・アウト』と同じように生前のアルバムは文章を1割増しに書き変えた。それだけならさほど問題はないが、PDFファイルになる段階でヤマハの指示による変更、また梅村さんの版組のケアレス・ミスがあるなど、筆者が思ったように、つまり計算機片手に字数を計算しながら、行のあまりが出ないように文章を書いても、そのとおりにPDFファイルが仕上がるとは限らない。それで筆者は危機を感じ、梅村さんにPDFファイルをすべて紙に印刷したものを送ってほしいと言った。画面で眺めるのと違い、紙なら間違いを発見しやすいからだ。それに紙なら原稿をチェックした尻から家内にも校正をさせられる。だが、時間がなく、紙に印刷した原稿は今回得られなかった。筆者は梅村さんから送られて来るアルバムの順番ごととは限らないPDFファイルを順次読みながら、文章を訂正するのはテキスト・ファイルであって、最終的な印刷原稿となるPDFファイルをチェックすることは出来なかった。つまり、筆者は訂正されるべきPDFファイルを見ながら、原稿はテキスト・ファイルで送信し、そのファイルを梅村さんは最終的にまたPDFファイルに流し込んだが、その最終的な原稿はおそらくヤマハ側のチェックでまた多少は変更になったのではないか。筆者はテキスト・ファイルを送信しながら、果たしてそれがどのアルバムも1行のあまりもないようにうまく収まるのかどうか心もとなかった。あくまでも字数を計算してうえでの最終的な書き変えであったからだ。たとえば、ある段落の最終行が3,4字である場合、その段落を字数はそのままで表現を書き変えた時、場合によってはその段落の最終行の数文字は前の行に収まって1行少なくなる場合がある。そのことを恐れ、段落の最終行が数文字である場合、筆者はその行を規定の22字になるべく近い字数に書き変えた。そうすれば1行減る心配はまずないからだ。そういう作業を全アルバムの全段落に対して行なったから、本文は余白がきわめて少ないものとなり、読者には読みづらい見栄えになったと思う。筆者の文章はこのブログからもわかるように、段落数はとても少ない。今回の本も同じで、それは紙ジャケCDに書いたものに倣ったのでなおさらであったが、1アルバムでだいたい4つの段落が基本になっている。これをヤマハの当初の編集者はもっと読みやすくするために、なるべく段落を増やすことを願ったことを梅村さんから聞いた。ところが、その編集者は初期段階で別の人と交代した。そして、『フリーク・アウト』など、初期のアルバムの編集者によるチェックと、交代した人のそれとが多少の書式の違いがあり、筆者はそのことに戸惑ったこともある。つまり、どちらの考えにしたがうべきかだ。段落に関しては後任者はなるべく多くする考えで、それは特に歌詞の訳についてはその部分のみ別段落にすべしとの指示があった。ところが、歌詞の訳にもいろいろあって、ごく短い引用と、ある程度の量がある場合とがあり、必ずしもその境界は明らかでない。そこで筆者はすべての歌詞の引用は別段落とせず、文章中に組み込んだ。だが、結果的にヤマハ側の指示どおりに別段落になっている箇所もある。なぜそういう不統一があったかだが、別段落としても最後に行のあまりが出ない場合はそれでもいいと筆者が考えたからだ。だが、歌詞引用を別段落にしたために、PDFファイルの最後に2,3行のはみ出しが生じた場合、それは大幅に文章を削ることを意味し、筆者はそれを受け入れ難く、不自然でないような表現に書き改めたうえでまた元に戻して文章内に組み込んだ。その筆者の強引さを編集者は気づいたのか黙認したのかは知らないが、見栄えの形式を筆者が重んじたことと、また歌詞引用についてどれを別段落にすべきかという明確な決まりがヤマハになかったことを疑問視したからだ。歌詞の引用はその歌詞を筆者が独自に訳したものであるから、別段落にせずとも文中に組み込んでもいいと筆者は考えている。そして、そうした筆者のそれなりの考えを、ヤマハに何らかの規定があるにしても、筆者の了解なしに勝手に段落をつけることを筆者は面白くないと梅村さんに苦情を言ったが、彼はヤマハはまだかなり自由にやらせてくれる方で、本当はもっと厳しいと言った。ともかく、間に入った梅村さんに最終的に印刷に回るPDFファイルをまとめる役目が回ったから、筆者がテキスト・ファイルをすべて送信して以降も彼の作業は続いた。またこれは訊いていないが、その段階でヤマハからの指摘で、筆者のテキスト・ファイルがどのようにまた言葉が変更になったかはわからない。たとえば、筆者はある段階で「ヴィデオ」を「ビデオ」に書き変えたが、一方でザッパの作品の『ヴィデオ・フロム・ヘル』という題名はそのままにした。これを『ビデオ・フロム・ヘル』にすべきかどうかまでは筆者にはわからず、梅村さんやヤマハに任せたつもりだ。そのほか、筆者が苦心したのはアルバムの題名だ。『ズート・アリュアーズ』は昔は『虚飾の魅惑』という邦題であったが、その後『ズート・アローズ』が使われた。このほかにも微妙な違いのあるアルバム名はたくさんあり、そのどれを用いて統一するかの問題があった。それは曲名にも言える。筆者は統一せず、その場その場で違う題名を使ったが、それはファンがいろんな題名が使われて来たことがわかるという利点と、その反対にどれが正しいのかという不満をもたらすが、邦題ひとつ取っても難しい問題が横たわっていることを示唆することになると考えた。そして、ヤマハはたとえば筆者の『ズート・アローズ』の表記を『ズート・アリュアーズ』に直すように指示があるかと思えば、『ズート・アローズ』のままチェックが入らなかったところもあるなど、筆者としてもどう統一していいかわからなかったところがある。そのことを梅村さんに言うと、統一がなくてもファンはわかるのでいいのではないかとのことであった。だが、読者の指摘をそれなりに心配して、筆者は邦題の不統一性についてはなるべく文中で説明した。つまり、『ズート・アローズ』はなぜそう読まれるかといった種明かしだ。
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 さて、段落がとても長くなったが、ここから本題その1だ。それは先ほどアマゾンに載ったザッパ本の評で、誤字脱字があまりに多いので興醒めしたとの意見だ。全くこれは指摘されるとおりで、筆者と梅村さん、それに編集者の3人の眼が節穴ということだが、ほとんど1か月で書き、まとめた本であり、しかもすべてメールだけのやり取りで紙に印刷したものを読まなかったことが理由として大きい。本が届いてすぐに家内は最初から読み始めたが、最初に見つけたのはルビの振り違いだ。振らなくてもいいところに「むち」とある。そして「無知」の単語はその箇所から離れたところに登場するが、「無知」は小学生でも読める単語で、筆者はそこにルビを振るように指示しなかったし、また最終的にチェックしたPDFファイルにもそのルビはない。ということは、筆者が字数を厳密に計算し、最終的に送信したテキスト・ファイルをPDFファイルに改めて流し込んでからまた梅村さんとヤマハの間で原稿をいじったことになる。そしてそれらのことは筆者には一切伝えられなかった。責任をなすりつけるというのではなく、筆者の知らないところで原稿が書き変えられたことは事実のようで、それは親切心に発することで理解はするが、その書き変え作業でミスが生じた。だが、そればかりが誤字脱字ではない。家内はすぐに誤字を発見した。「爛熟」と書くべきなのに、「欄熟」と変換ミスを筆者が犯した。冷静になればすぐにわかることなのに、夢中で書き進める間に気づくことがなかった。これは紙に印刷し、家内に読んでもらえると防げたミスだ。アマゾンで指摘された『101Pの「発売まで年以上も待たされる」』の箇所は早速データを調べたところ、紙ジャケットCDに書いた時は『「一発売まで年以上も待たされる」』となっていて、「一」の位置がずれている。それが今回の原稿で正しい位置に嵌め込むべきなのに、「一発売」は「発売」の間違いで、省いた「一」を「年以上も」の前に置くことを忘れた。それがどの段階で生じたミスかわからないが、筆者も編集者も気づかなかった。おそらく筆者は「一発売」を「発売」に訂正しながら、その直後の「年以上」も直したと勘違いしたのだろう。ま、この下りは次のアルバムの発売時期を見ると「一年以上」であることはすぐにわかるが、脱字は気色悪いことは確かで、注意不足であった。編集者は重版する際に間違い箇所はすべて直すとのことだが、筆者もブログでそれをまとめて掲げたいと思っている。どのような本でも誤字脱字はつき物と言われるが、家内が最初の方を読んだだけで2箇所見つけたことは、全体で数十はあるかもしれず、これは由々しき事態だ。
 肝心の本題その2だが、今回の本は『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の映像作品をヤマハが発売することに合わせてのもので、これはたまたま運よくと言うべきか、そういう巡り合わせになったためだ。前にも書いたが、今年6月にザッパの100作目のアルバムが発売された。そしてヤマハが『ロキシー・…』の日本発売の権利を獲得出来そうであることをKさんから電話で聞いたのは8月であった。梅村さんは7月にその話を聞いていたらしいが、映像のサンプルが届くのはずっと後のことで、筆者が『ロキシー・…』の解説を書くのは9月に入ってからであった。しかも実際の商品とサンプル映像に差があり、入稿間際にあちこち書き変える作業があった。また通常盤とデラックス版の文章を違うものとするためにそれなりに苦心したが、その原稿を終えてからの本の執筆で、また筆者が執筆を始めても梅村さんはデラックス版のグラフィック・デザインに追われていた。それがかなりきつかったらしく、本はどう考えても12月の発売は無理で、1月ならばどうにかと思ったとのことだ。ザッパの誕生日の翌日にクラブ・クワトロでイヴェントを開き、またその前日には本を発売すると決まり、それに向けて1日でも早く原稿を書き終え、印刷原稿もまとめるということになった。そのため、筆者はどの原稿もパソコンに向かってブログを書くような調子で思いつくまま文字を連ね、そしてほとんどまともに読み返さなかった。それは悪く言えば粗が多い。反対にスピード感は出る。こねこねといじり回す文章を筆者は得意とするが、それは梅村さんから頼まれた各アルバムを1行で形容するキャッチ・コピーに発揮したと言ってよい。紙ジャケCDには帯に、そのアルバムの題名をそのまま織り込んだ俳句もどきを書いたが、それはKさんの依頼で、Kさんは今回の本にもそれを使おうと最初は思ったが、そうなると没後のアルバムについて全部新たに考える必要がある。それは筆者には出来ないことではないが、あまりふざけるのは今回の本ではよくないと思い、新たに全アルバムについて40字以内で書き下ろすことにした。また形式で遊びたい筆者は、その100作のキャッチ・コピーをすべてしりとりになるようにたとえば『フリーク・アウト』で使った言い回しの最後の言葉を次のアルバムの冒頭に使った。そうしながらどのキャッチ・コピーもそのアルバムを端的に表現するという考えだが、このことも一度でうまく行ったのではない。アルバムの番号を2,3箇所、筆者はザッパ・ファミリーがつけたものとは違うものとして並べ、原稿を書いていた。だが、ザッパ・ファミリーがつけているアルバム番号は発売順ではないことが梅村さんの指摘でわかった。そのことを最初の段階でお互い情報を共有していればよかったが、原稿を書き終えてから筆者は知り、あちこち訂正する羽目になった。そういう予想外のことがいくつも重なっての誤字脱字の多さになってとも言える。これも前に書いたが、筆者は没後のアルバムについては大半をこのブログに感想を書いて来た。当初はそれを使えば簡単に原稿はまとめられると思ったが、それは甘かった。いや、そうも出来たが、筆者はアルバムのブックレットはすべて読み、また歌詞や語りにも目を通し直した。そしてそこから改めて見えることを中心に書いた。そうした作業を1日1作書き続け、なおかつまえがきやあとがきなど、そのほかの仕事もあり、連日深夜3時頃までの作業が続いた。さて、話が少しも『ロキシー・ザ・ムーヴィー』のデラックス版にならないが、実はこの作品に関しては当初の予想と多少違うものになったので書きづらい。Kさんはいろいろと尽力したが、計画どおりの商品とはならなかった。それでも今日の写真からわかるように、ブルーレイやCDはこの商品のみの紙ジャケットであり、またカセットもついている。そして筆者と梅村さんが文章を書いた特製の本だ。梅村さんは筆者の文章を読んでから、それとはだぶらないことを書いたとのことで、ロキシーでの演奏について多角的な情報が提供出来ると思う。そんな文章を読まずとも楽しい映像作品だが、読めば読んだで当時のザッパの思いや計画がわかるし、またそれが思いどおりにうまく行かなかった事情、そしてそのためロキシー以降にどうしたかもわかる。計画どおりに今日で『ロキシー・ザ・ムーヴィー』のデラックス版と本についての投稿を終え、来年は本の正誤表を載せる程度になるが、ザッパの新譜が出ればこれまでどおりに感想を書く。
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by uuuzen | 2015-12-30 17:58 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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