●『ROXY THE MOVIE―THE DELAXE EDITION』その2
ザーズ・オブ・インヴェンションという長い名前は主に初期だけ使われたが、本当は短い「マザーズ」がレコード会社に認められなかったからで、初期が終わるとザッパはもっぱら「マザーズ」を使うようになった。



この名前のややこしさもザッパの音楽を近寄り難いものにしているだろう。正体不明と言えばいいか、ビートルズのようにひとつに定まっていないのがややこしい。マザーズ・オブ・インヴェンションと名乗っていた頃は、ザッパと他のメンバーの力関係が等しいように思われていて、ザッパは他のメンバーの大きな恩恵を被っているという見方が日本ではあった。それが少しずつ力関係が平等でなく、ザッパの力が増し、マザーズと名乗る頃にはザッパが圧倒的なリーダーとみなされるようになったが、当のザッパにすれば初期から自分は他のメンバーを雇っていて、しかもその演奏のまずさに辟易していたといったことを、初期のマザーズを解散してから発言するようになった。そうなれば、初期のマザーズをひとつの共同体と見て、労働の理想的な形がそこにあると思っていた左翼系の人たちは自分たちの早合点を恥じるのではなく、初期のマザーズこそが最高で、その後はつまらなくなった、つまり商売根性を丸出しにし始めたといった見方をするようになった。どのような芸術家でも初期は重要で、そこに後年のあらゆることの萌芽が見られるが、その意味からすればザッパの初期が重要であるのは言うまでもない。だが、だからと言って、その後の活動が創造力が減退したと見るのは、初期のマザーズやザッパの姿も誤解していたことになりかねない。また、初期のマザーズは、ザッパが臨時のギタリストとして電話で参加を求められたことから出発したが、ザッパが参加する前のバンドと、ザッパが参加して以降のマザーズ・オブ・インヴェンションとでは全く違うことがある。それはザッパがオリジナル曲の演奏を主張したことだ。もっとも、そのことにザッパ以外のメンバーが同調したことでそれが可能となったが、そのことはザッパが臨時のギタリストとして参加して以降、ザッパはリーダーとしての力を奮い始めたことであって、そういうザッパの一種の図々しさにしたがえなかった者はバンドを去った。そして、オリジナル曲を演奏すると客の評判が悪いのは承知で、仕事を次々に失う羽目になったが、そこを耐え続けたザッパや他のメンバーは偉かった。そして運が回って来たが、そこには時代の巡り合わせとマネージャーの力も大きい。
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 ザッパのオリジナリティは、他人の曲を少しアレンジするといった安易なものではない。そこで思い出すのは東京オリンピックのエンブレム問題だ。グラフィック・デザイン界ではザッパのようなオリジナリティを望むことが無理か。そんなデザインであれば商品は誤解され、売れないだろうか。全くの新商品であれば、それにふさわしくそれまでの常識から外れたグラフィック・デザインが求められるだろうが、そういう商品はきわめて少ない。たとえば即席ラーメンで言えば、どのような味の商品が登場しようとも、即席ラーメンであることには変わりがなく、そのパッケージのグラフィック・デザインはこれまでの商品を参考に多少どこかを変えたものになるしかないだろう。そして、その伝で言えば、どのような商品も多少は先んずる商品のどこかを参考にしたグラフィック・デザインになる。したがって東京オリンピックのエンブレムもどこかで見たようなものにならざるを得ないということにもなるのだろう。そこでザッパのアルバム・ジャケットを考えると、ザッパは他のミュージシャンとの差別化を図るためにかなり凝った、また突飛なデザインを求めた。それに応えたのがカル・シェンケルだが、ザッパが彼を使わなくなるのは、イメージの固定化を恐れたことも理由にあるのではないか。ザッパと言えばカル風のグラフィック・デザインという暗黙の了解のようなものが、ザッパ・ファンでしかもデザイン関係の仕事をしている人は抱きがちだが、筆者は正直に言えば、それを面白くないと思っている。それは機械の分解図や人間の解剖図といったもので、古い銅版画にそういう図が大量にある。そうしたいかにもマザーズ・オブ・インヴェンション時代のグラフィック・デザインは、ザッパの初期にはそれなりによくても、それはやはり初期だけのことで、マザーズともっぱら名乗るようになってからはふさわしくない。つまり、ザッパをカルのデザインと結びつけるあまり、ザッパの仕事は初期が一番よいとの印象を広めることになる。
d0053294_020929.jpg そこで求められるのはザッパの全生涯を端的に表現するグラフィック・デザインがあるかとなれば、それはもうザッパの髭やまたバーキング・パンプキンのロゴしかないが、それはロゴであって、それ以外の大きなイラストとなればどういうものがふさわしいか。そこをゲイルはかなり悩み、また新人アーティストを発掘して採用し続けた。そして彼らはザッパ没後にそれなりに新しい才能を発揮したと言ってよいが、面白いことに、そういうアーティストはグラフィック・デザイナーではないことだ。簡単に言えば画家で、その作品をジャケットに使うのは別のグラフィック・デザイナーが行なった。ここにグラフィック・デザイナーは画家の下位に甘んじるという了解があるが、それは日本でも同じだろう。横尾がグラフィック・デザイナーから画家への転身を望んだのも同じ理由で、世間ではグラフィック・デザイナーは金は儲けるかもしれないが、他者の作品を大なり小なり剽窃することに無神経になっている連中と見る向きがある。そのため、東京オリンピックのエンブレム問題は、世間を賑わせた当人は罪の意識があまりなく、まぜ自分だけが吊し上げられるのか今でも理由がわからないのではないか。何が言いたいかと言えば、独創性の重要さだ。ザッパはそれを最優先したために有名になった。そう考えると、ザッパのアルバムのジャケットもデ・ジャヴ感のないものが求められるべきで、たとえばザッパの音楽の解説ないし評論も全く同じことだ。筆者は他人のザッパの文章を読まないし、それどころか音楽雑誌を買ったのはこれまでの人生で数冊程度で、誰かの文章を模倣しようと思ったこともない。そのために筆者の文章が剽窃から免れていると言いたいのではない。そうであっても独創性があるとは限らないし、またあってもそれが世間に歓迎されるとは限らない。だが、このブログを1日も欠かさず10年以上、その前にも長文を書き続けて来たという、文による自己表現の鍛錬はそれなりにしているつもりで、言いたいことをうまく書く能力は見についていると多少は自負している。今日は『ロキシー・ザ・ムーヴィー』のデラックス版について書こうと思いながら、迂回のし過ぎでなかなか本題に入れないが、実際はほのめかしているつもりだ。22日の東京での上映会後のトーク・ショーでは司会の山田さんがデラックス版の箱の蓋を客席に向けながら、商品の宣伝をしようとしながら、筆者がたくさん喋ったのでほとんどその話にはならず、『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の映像の感想を求められた。その突然の質問に戸惑ったが、打ち合わせでは筆者が語るべきことは決まっていた。それをもう一度話せばよかったかもしれないが、もうその時間が残っておらず、まとめの意見を言うしかなかった。打ち合わせで筆者が『ロキシー・ザ・ムーヴィー』についてその音楽性を簡単にまとめた話とは、マザーズ・オブ・インヴェンションではなく、マザーズと端的に表現するにふさわしい、また誰の音楽とも似ていない全く新しいジャズということだ。それにふさわしいグラフィック・デザインは、もはやカル・シェンケルが得意とする漫画や機械のアッサンブラージュではない。つまり、ザッパはグラフィック・デザイナーにならずによかったということだ。デラックス版については「その3」まで続ける。
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by uuuzen | 2015-12-28 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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