●『フランク・ザッパを聴く―アルバム・ガイド大全』その2
当の当たり本のカテゴリーに投稿することを執筆し始めた頃に思ったが、自画自賛は傍目には楽しくない。それでザッパのアルバムについて投稿するこのカテゴリーに「その1」を書いたが、今日はその続きだ。



先日から予告していたように、22日に東京でザッパのイヴェントがあった。それに参加して今は自宅でこれを書いている。滞在した3日間、多くの人と会い、盛りだくさんな思い出が出来た。出会った人たちに本当に感謝します。そのことを最初に書くつもりで「本」の文字を冒頭に選んだかと言えば、そうではない。なぜ使う文字が決まっているかと言えば、このブログの冒頭の一字は以前は紺色で、10年ほどだぶりのない文字を使って投稿し続けた。そのすべての文字をメモ帳に記録してある。その最初の頃の文字表を下に掲げるが、使える文字が枯渇して来たこともあって、以前から考えていたとおりに、かつて使った文字をまた色を変えて順に使うことにした。つまり、折り返しで、もう10年ほどは冒頭の一字に何を使おうかと悩まずに投稿することが出来る。その予め決められた一字からどのようなことを書き始めようかと悩むこともあるが、決まっていることの気楽さの方が大きい。たとえばサラリーマンは明日どうしようかと考えずにとにかく出社せねばならない。それはそれで気楽だ。そしてその枠内でまた悩みもある。一方、毎朝出社しなくて済む人は、何をしてもよい気楽さはあるが、どう食べて行くかという本質的な問題に常に晒されている。このふたつの種類の人生を、このブログの冒頭の一字の色を変えての使い直しから連想する。どうでもいいことだがもう少しこの話題を続けると、冒頭の一字をだぶりのないように紺色で使い始めた10年ほど前、当初はすこぶる気楽であった。まだ使っていない文字はほとんど無限にあると言っていいからだ。それが10年も経つと、毎回新たな文字を探すのにとても苦労する。それだけで30分ほど使うことはよくあった。そういう一種の時間の無駄をいつまで続けようかと思っていた時、今日取り上げるザッパ本の執筆依頼があった。それを書き上げるためについにブログを40日ほど休んだ。ブログを始めて以来、そのようなことは初めてだ。そして、執筆が終わってからその空白の日々を書き埋めることしたが、以前のようにまた使っていない文字を探すことがとても億劫になり、また長い間中断したという事件を契機に、以前のように使っていない文字を探して投稿するのではなく、新たな出発として、紺色の冒頭の一字を今度は色を変えてまた同じ順序で使うことにした。それは気楽さの点では紺色で投稿した当初と同じだが、先に書いたように、新たな悩みが生じることを知った。予め使う文字が決まっていることは、その文字から始まる単語に投稿の内容を合わせるという条件が生じるからで、つまり言いたいことは、気楽さも完全にそうとは言えないのが現実ということだ。サラリーマンで言えば、毎朝何をするか決めなくてもとにかく出社すればいいが、そこには別の気楽でないこともあるというのと同じで、自由業の人もやはりそうだということだ。
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 さて前置きが長くなったが、20日にアマゾンを見ると、そのザッパ本がランキングで1位になっている。発売前日にランキング入りというのは、予約数から計測しているのかもしれない。ともかく、1位とはめったにないことだ。すぐに順位は落ちるとしても記念すべきことなのでその画面を取り込んでおいた。それが今日の2枚目だ。そして、昨夜梅村さんから聞いたが、早速アマゾンに読者の評が出たという。それが今日の3枚目の画像だが、5星でありがたい。これも本当に感謝します。だが、梅村さんは書評の中に「誤植が目立つ」とあったと言い、筆者もようやく先ほどその書評を確認した。実は見本の本が届いてすぐに家内が読み始め、2か所の誤植を発見した。それを早速ヤマハにメールしたところ、本は重版が決まっているので、その際には訂正するとのことであった。そのことを「その1」には書かなかった。本が世に出る前に著者自身が誤植があることについて書くことは、せっかくの祝いに水差す行為になる。それに、誤植は2か所ではないだろう。梅村さんは、読み返すのが恐いと言ったが、それほどに限られた時間内での作業で、今回東京で梅村さんとは何度もその苦労話を言い合った。通常の頑張り以上でも出版は1月でなければ無理であった。それを当初の予定の21日に出来たことは、梅村さん曰く、他のどのようなグラフィック・デザイナーも出来ない離れ業であったとのことだ。それを言えば筆者もそうかもしれない。ブログを中断した40日間に執筆したが、没後のアルバムに重点を置き、紙ジャケに書いた解説は基本的にそのまま使いながら、文字数を1割増しにした。また、それら生前のアルバムについては執筆時点で把握出来る情報を盛らなかった。それをすると、本の全体のページ数は倍とは言わないでも、それに近くなったと思う。また、そうするにはもう1,2か月は必要であった。そこまでの徹底した文章の解体と再構成は今回は無理であった。またその現時点つまり2015年10月の時点で没後のアルバムを見渡したかと言えば、それもしていない。たとえば、2005年のアルバムは、それが発売された時点に立って解説している。そのため、そのアルバムは現時点でわかっていることをあえて書かないという立場を基本的に取った。それは紙ジャケ発売時点での執筆であった生前のアルバムに合わせたためだ。ということは、100作目の『ダンス・ミー・ジス』は今年6月の発売であるので、その時点に自分を置いて書いたものであって、101作目が現在入手出来る状態ではその文章はすでに古くなっている。
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 こういう時間のずれが今回の本にはあるが、前半は古い原稿を基本したので、避けられないことであった。また、当初梅村さんは没後のアルバムについては生前のアルバムのように4ページではなく、その半分の2ページ、つまり文章量で言えば生前のアルバムの3分の1で済ませられるものが多いでしょうと筆者に言い、また筆者も漠然とそうかと思ったが、実際に書き始めると大きく予想は狂い、逆に生前のアルバム以上に字数が増えた。その最大の理由はゲイルの執念がどのアルバムにも改めて見えたからだ。もうひとつは、没後のアルバムは生前のアルバムの言わば補遺であって、筆者の文章も生前のアルバムの解説を補足するために細々と書くべきことが多かったためだ。そしてその最大の理由は、歌詞についてだ。生前のアルバムの解説は、歌詞についてはその対訳がブックレットにあった。そのため、筆者はそれについては細かく触れなかった。だが、今回の本ではその対訳が欠落する。そこを没後のアルバムの解説で埋めることを思いついた。その対訳は部分訳で、また全く新たに筆者が訳したが、それでも限られた日数とページ数では限界があった。心残りはそこだ。何年か後に改訂版が企画されるのであれば、アルバム解説とは別に、「なかがき」を新たに増やしてそこを論じたいと思っているが、そんな機会はないかもしれず、とにかく最低限、重要な歌詞について多少なりとも盛り込んでザッパの思想を伝えるようにはした。また、ここであえて書いておくが、梅村さんは筆者より一回り下の世代でもあって、ザッパについての思いがまた別で、たとえば海賊盤についての知識はとても詳しい。何年何月何日にザッパがどういう演奏をしたかというところにまで踏み込んでのいわゆるマニアで、そのことに関してはほとんど世界一に等しいほどの自負も持っているが、筆者は全くそういうことには関心がないし、またそのことでザッパの全体像がわかるはずがないとの信念を持っている。それは、何年何月何日にザッパがどういう演奏をしたかということを知ることは不可能であることと、可能であっても意味がないと思うからだ。ザッパ自身、多くの演奏からつなげて曲を完成させ、オーヴァーダビングはごくあたり前に作品行為とした。筆者が考えるのは、もっと重要なことはザッパがどういうことに関心を抱いたかだ。そのひとつに現代音楽があるし、また歌詞の読み解きもある。このふたつは、海賊盤をすべて入手することとはほとんど関係のない作業だ。もっと言えば、世界一のザッパ音源所有者になったところで、それはザッパ家が所有する音源とは比較にならないほどの貧弱なもので、また何年何月何日の演奏という情報についても全く保証はない。
d0053294_167469.jpg そういった音源は考古学で言えば、研究対象となる基本情報の点で信頼がどこにもないガラクタ同然だ。筆者はそういうものを集めることに関心はないし、そういうものを誰よりも集めても良質の解説を書くことは出来ないと信じている。ザッパの音楽へのアプローチの仕方は、必ずしも正規盤以外の音もより多く知るべきとは言えない。むしろ、不要と言ってもよい。そういう努力をするより、ザッパが関心を抱いた音楽をもっと聴き込み、また歌詞の一語ずつを分析する方が何倍もザッパの真の姿を理解出来る。今回の東京行きで話をした人の中で一番印象に残ったのは、筆者と同じ年齢の谷口さんだ。彼は東京に出て大学時代にザッパのアルバムを買い、ミュージシャンになった。そしてザッパのアルバムは73年くらいまでしか所有しないが、『ミュージック・ライフ』誌に載った小さなマザーズについての写真と記事によってザッパに関心を持ったという事実はとても重い。当時の評論家はザッパやマザーズの音楽をコメディと呼ぶなど、まだ誰もザッパを評価していない頃であった。それにもかかわらず、谷口さんは当時の学生には高価であったアルバムを、両親からの仕送りから毎月1枚買った。筆者にはその行為がよくわかると同時に、谷口さんの鋭敏な嗅覚と、大きな決断、そしてさまざまな思いを想像してみる。もっと言えば、彼こそが本当のザッパ・ファンだ。ザッパの全アルバムや無数の海賊盤を全く知らなくても、ザッパへの思いによって今までミュージシャンとして生きて来たことがとても尊い。谷口さんは、「ザッパ・ファンには細かいことにうるさい連中が多いでしょう」と笑いながら言ったが、それは著者の筆者を慮っての言葉だ。もっと言えば、筆者は海賊盤を聴くことに熱心でないので、そこを突いて侮る連中がいるでしょうとの思いだが、コロンブスの卵の話を無視して豪語する人はいつの時代でもいるから、早速今回の本を嘲笑し、自分ならもっとうまく書けると思っているファンはいるに違いない。谷口さんはザッパから教えられたことは「愛」だと言った。「その1」にも書いたが、今回の本を担当したヤマハのYさんは「ザッパへの愛を感じます」とメールに書いて来た。海賊音源を誰よりも多く集める行為を無意味とは言わないが、今回の本に書いたように、それはだいたいザッパから嫌われる態度だ。今後ザッパについての本は何年何月何日にザッパがどういう演奏をしたかいったことを基本資料として書かれることになり、また書き手はそのことをザッパへの愛と主張するだろう。だが、それが唯一の愛ではないことを自覚すべきだ。些事に囚われて本体を見逃すことは人生には多い。ザッパを理解することも同じだ。そして、ザッパの本体を知ることの努力はまだ日本ではわずかにしか行なわれていない。それどころか、変な方向に行くような気もする。そういったことを伝えるだけでも今回のザッパ本が多少の役割を担ってくれればと思う。
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by uuuzen | 2015-12-25 16:05 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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