●ザッパ生誕75周年記念『ロキシー・ザ・ムーヴィー』上映とトーク・ショーの予告
ロと呼ばれる人はさすがに違うという言葉を昨日耳にした。わが家の近くに喫茶店があり、そこでジャズのライヴが開かれた。朝にチケットを買いに行き、夕方に見に行った。



司会はもちろん店のマスターで、4人の演奏メンバーが20分ほどの打ち合わせをしただけで本番に挑んだことに驚いたようだ。またその4人は何年かぶりの再演で、個々のメンバーはいつも違った誰かと演奏している。みな演奏のプロということだ。そのライヴの感想については後日書くとして、プロの言葉が印象に残り、またプロとは何かをよく考える筆者は自分をそれに当てはめてどうかと思ったりもする。一昨日ヤマハ・ミュージックの会社のザッパ担当のKさんから電話があり、長話をした。Kさんとは10年以上前からの知り合いだが、ただし面識はない。いつも電話だけで仕事を引き受けて来た。それが今月22日に初めてお互い顔を見ることになる。先日書いたように、当日は渋谷のクラブ・クワトロでザッパの最新DVD『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の上映会が夜7時半からある。それが終わった後に第2部として筆者がザッパの音楽について語るトーク・ショーがあるが、その2000円のチケットの売れ行きをKさんに訊くと、まだ完売ではないので、筆者にも何らかの形で宣伝してほしいと言われた。筆者はフェイスブックをしておらず、またTWITTERはもうやめてしまった。だが、ブログは毎日投稿していて、その題名はツイッターに投稿される仕組みで、ここ数日はフォロワーが増えた。それはザッパの『200モーテルズ組曲』やブルース・ビックフォードの『CAS‘L’』についてここしばらく続けて書いたからだ。それに今朝ブログの訪問者数を見ると、2000を越えた数字になっていて驚いたが、それはあり得ないことで、エキサイト・ブログの集計機械が狂ったようだ。2000の10分1でもあり得ず、たぶん20の間違いだ。朝10時頃確認すると、いつもだいたいその程度の訪問者であるからだ。つまり、筆者が今話題になっているらしいザッパのことを毎日書いたとて、筆者のブログの訪問者が激増することはあり得ず、したがって筆者がここで『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の上映会の宣伝をしてもほとんど効果がないだろうが、Kさんに頼まれたからには行動しておかねばならない。
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 当日は午後3時くらいには会場に行って打ち合わせをする必要があるが、さて筆者はトーク・ショーの主役になるほどのザッパの音楽に関しての専門家かと自問しないでもない。だが、40年以上も聴き続けて来ているので、若い人たちよりかは年季が入っている。また、Kさんとの長話の中で知ったことだが、ある音楽評論家はかなり幅が広く、また執筆以外の音楽関係のこともしていると聴いたが、東京ではそういう人がごろごろいて、みんなそれなりに収入が会って名前も出て食べて行けることを筆者は想像しながら、そういう人が世間ではプロと呼ばれるし、本人たちも自覚しているのだろうなと思った。『ロキシー・ザ・ムーヴィー』の上映会のネットでの宣伝では、筆者のことを「愛好家」としているが、これは筆者がそう呼んでほしいと言ったのではない。だが、そうとしか言えないと納得する。愛好家は誰でもなれるが、プロの評論家にはなれない。筆者もそれなりにいろんな音楽を聴き、このブログでは毎月の終わりに思い出の1曲を取り上げているが、それは全く個人的な思い出で、他人が聴く時の参考にはならないし、またそのようなつもりでは書いていない。他人へのサービスではなく、自分が書いておきたいことを書いている。つまり、音楽もそうだが、その音楽が好きな筆者のことを記しておきたいのだ。そういう行為は評論ではない。したがって金にはならない。ザッパの本は印税をもらうので、それなりのプロの意識を持たねばならないから、このブログに書くような調子ではまずいところがある。それはよく自覚しているので、もっと切り詰めた表現をしたが、それは煮つめると文章力と呼ぶべき才能が必要で、そこにプロらしさが現われる。相手は音楽ではあるが、評論は結局は文章に過ぎないから、何が求められるかと言えば、文章を読ませる力以外にあり得ない。その力を磨くには、評論する音楽を聴き込む必要はもちろんのこと、文章に個性が必要で、それはとにかく書きまくるしか身につかないと筆者は信じている。そして筆者は他人の評論は全く読まないどころか、あまり小説などの読書もしない。そういうことは10代で始めたし、今は自分の文章を書けばいいと思っている。もう影響される年齢もなければ、また見事な文章に遭遇してそれを模倣出来るほどに思考が柔軟でもない。
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 ザッパ本の原稿を全部書き終えた後、本の担当者の女性Yさんとメールで何度かやり取りし、また電話で話もした。その中で印象深かったのは、筆者の原稿からザッパへの愛が伝わったという言葉だ。それは筆者にすれば大きな誉め言葉で、それ以上は欲しないほどだ。評論家は評論の対象を冷徹に見つめて値踏みする必要があるというのが世間の考えであろうし、またそうでなければ誉め言葉ばかりを連ねかねない。厳しいことも書いてこそバランスが取れることは筆者もよくわかっているが、ザッパの場合は、まだその知名度はさておいて、音楽をよく知っている人は少ない。そういう状態ではザッパの思考をいろんなエピソードを並べてわかりやすく伝えるのがまず重要で、作品を冷徹に見つめるといったことは行間に滲ませるべきだ。また、筆者はザッパ以外の音楽もよく聴くし、音楽以外の関心がここ10年はかなり大きくなっているので、その点からはザッパを昔以上に客観的に見られるようになっている。にもかかわらずザッパへの愛が文章から感じされるとすれば、それは自己をザッパに投影している部分が影響しているように思う。どういうことかと言えば、ザッパも無理解によく曝されたはずで、そこに筆者は大いに同情するし、またザッパ側に立ち続けていたいのだ。もっとわかりやすく言えば、筆者の周囲には金さえ稼げば人生の勝ち組と考え、貧乏人を馬鹿にする億万長者がいるが、当然そういう連中にザッパの音楽がわかるはずがなく、それを聴いていくら儲かるのかといったことしか考えない。そんな連中はあらゆる芸術は必要がなく、たとえば絵を買うことなどこの世界で誰がするのかと思っている。そのため、筆者がザッパの本を出しても、それがどうしたどころか、それをしていくら儲かったのかなどとすぐに金の話だ。幸いザッパは億万長者の有名人になったが、それでも晩年に向かうにしたがって痛罵が多くなった。あらゆるものが気に入らなかったのはなぜか。筆者にはそれがわかる気がする。そのことは本には書いていないが、ザッパは金にも自分の創作行為にも満足することがなかったのだ。それは悲しいことかもしれないが、芸術家はみなそうだ。それ以外ではあり得ない。であるからこそまた作品を作る。長話になってしまった。トーク・ショーではここに書いたようなことは話さない。Kさんによるとクラブ・クワトロは600人ほど入れるらしい。ザッパ・ファンは年配者が多いだろうということで椅子も用意される。また司会の男性も決まったようだ。ともかく、1回のみ許可された上映なので、ザッパに関心のある人にとってはいい機会になると思う。本が出ればここで紹介するつもりでいるし、またトーク・ショーの結果も書くつもりでいる。
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by uuuzen | 2015-12-12 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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