●BRUCE BICKFORD‘S『CAS‘L’』その4
まで書こうかどうか迷っているが、たぶん明日もこのブルース・ビックフォードのDVDについて投稿する。ともかく、書き始めるが、今しがた本編をまたパソコンで見た。



48分の長さがあり、休みなく続くのでかなりの集中力が必要だ。というのは、音楽とそれに載せたごくわずかな人間の「オー・マイ・ゴッド!」や「ホールド・オン!」といった叫びがたまに混じるだけで、ストーリーはあってないようなもの、目の前の形が同じ速度で次々に変わり続けるので、途中でほかのことを考えそうになる。それは作品としては失敗と言えるが、最初に感じたその思いは今日は少しだけ改まった。音楽が場面に応じてよく考えられているからで、それはブルースのある程度の重要な場面やその転換部を予めミュージシャンが教えられていて、その箇所で転調するとか、効果音を発するとか、とにかく節と言えるものを聴覚で表現していることがわかったからだ。つまり、音楽がなければ楽しめないかもしれない。と書きながら、やはり圧倒的なのにはアニメーションで、音楽の代替は自由に出来るが、映像はかけがえがない。音楽はザッパが生きていればザッパに頼んだかもしれないが、本作の音楽もそれなりに個性的で完成度が高い。最初は2分ほどの線描きの白黒アニメがあって、そのBGMは厳かな、しみじみとした曲だが、そのいわばテーマ曲は最後にも多少繰り返される。だが、本編の粘土アニメの間は全くその変奏曲と言えるものすらない。また48分の間、ずっと音楽が流れるので、その音楽のみでコンセプト・アルバムになりそうだ。『モンスター・ロード』ではブルースが知り合いのミュージシャンのもとを訪れ、映像を流しながら演奏してもらう場面があり、本作も同じミュージシャンだと思う。ロックだが、オシロレーターなど電子機器が映ったので、楽器の演奏そのままではなく、それを変調させてもいる。
d0053294_1311695.jpg さて、冒頭のライン・アニメは粘土アニメと同じ思想ながら、線描きなので、もっと自由な造形が出来る。パッと浮かんでは消えるといったことだが、それは粘土でも出来るとはいえ、手で触れられる立体であるので同じ秒数を表現するのに何倍もの時間がかかる。その代わり、カラー映像がたやすい。ブルースのライン・アニメは黒の鉛筆のみを基本とし、その点がいささか物足りないが、粘土アニメにはない動きはブルースの才能をあますところなく示す。それはどういうことかと言えば、ザッパの曲で言えばオーケストラだ。オーケストラを使う曲は、どの楽器をどの楽器と組み合わせるかと常に考えて音符を組み立てる。ブルースのライン・アニメと粘土アニメも全く同じで、画面の中にたとえば10人が登場していると、全員が同時に違った動きをする。もちろん主役つまり最も見せたい人物があるので、その人物を中心とした動きをブルースは考えるが、それはオーケストラで言えば、ある瞬間に鳴り響いている最も目立つ楽器と言ってよい。またポ―ケストラ曲はいつもそういう主役クラスの楽器が交代して行くのではなく、たとえばいくつかの楽器がユニゾンでメロディを奏でることもある。ブルースのライン・アニメは粘土アニメ以上にどのキャラクターが主役という割り振りはない。画面に変容し続ける数人以上と車や舟などが混在し、どこに着目していいかわからない間にどんどん場面が進む。そのため何度見ても新たな発見がある。登場させる複数の人物や物体を相互に絡ませながら、全部を少しずつ変異させることは、先日も書いたが、最初にどう動かすべきかをしっかりと計画しないことには不可能だ。それはちょうどオーケストラの曲を書くのと同じで、同時進行であらゆるものを動かしつつ、その全部を関係させる。ザッパがブルースの才能に驚嘆したのはそこだろう。そして自分の作曲と似た脳の動き、つまり才能を感じたに違いない。たとえば人間ひとり、りんご1個が変化して行くアニメを作るのはおそらく小学生でも出来る。だが、いくつもの物語が同時進行しつつ相互に関係するという複雑な動きを絶えず見せるためには、映画監督が大勢の俳優を同時に演技させることと似て、全体をまとめる才能が欠かせない。その点においてブルースはずば抜けている。そして筆者がそのことをブルースのアニメを見ながら思うのは、人間の世界が全くそれと同じということだ。ブルースは1000年単位の時間を数秒で表現して見せるし、また人間の数秒の行為をそのまま同じ時間で描きもし、作品を見ていると時間の観念が失われるというのではなく、人生は一瞬であると思えて来る。それはブルースの父が自分の部屋の壁に貼りつけている人生訓と同じで、人生は恐ろしく短いことが恐ろしいことを実感する。ブルースが言いたいこともそれかもしれないが、その一瞬のような人生でもじっくり腰を据えれば人を瞠目させる作品をつかむことが出来る。
 もう少し今日は書いておかねば「その6」まで書かねばならない。本作は冒頭のライン・アニメで本作の題名やブルースの名がアニメで表現される。それが終わると鮮やかなカラーになり、また立体が動き始める。最初はひとりの男が森の中にあるスペイン風の白壁のとある建物にやって来る。「ART MUSEUM」の看板がある。中には誰もおらず、男は窓から部屋に入り込む。壁はピンクで、額縁に入った絵が何点かかけられている。そのうちの1枚に男は見入る。一軒の四角いビルが描かれ、屋上に看板があって「CAS‘L’」と記され、その下には「DISCO」と書かれている。これで思い出すのはザッパの『ベイビー・スネイクス』だ。そこでは同じ建物が登場した。つまり、ブルースにすればその続編のつもりだ。絵がクローズ・アップになって破れたかと思うと、その向こうに煉瓦造りの同じ建物が出現し、屋根に「CAS‘L’」とある。何百年も前の時代に遡ったので、「DISCO」の看板はない。突如その建物の向こうから車の列が現われるが、建物の前の土地から湧き出たモンスターにみな飲み込まれる。このイメージは本作の全編にくどいほど繰り返される。というよりも小さなものが大きなものに飲み込まれ、飲み込んだ者が化物に変容しながら、またそれも崩壊するというのが、本作の大きなテーマだ。ともかく、絵を鑑賞している男はその絵から立ち去り、次の絵の前に移るが、また絵の中の世界がモンスターが地表から湧き出ては崩れるというイメージが繰り返される。そして、そのままいわば本編となって行くが、最後にまた絵やそれを鑑賞する男が登場するかと言えばそうではない。本編は絵の中の出来事との設定だが、ブルースは制作途中でそのことがどうでもよくなったのだろうか。起承転結のない作品で、どこで終わってもいいようなところがあるが、そのこともまたザッパの音楽世界と共通するし、また人生もそうだ。そう考えることは恐ろしいが、たとえばブルースはいつ死んでももう悔いはないだろう。作品がそれを説明している。どこで終わってもいい作品は、もう制作しなくてもいいことを意味もする。その恐怖を自覚しながらさらに日々制作することは、恐怖や諦念の表現になりはしまいか。前述のように、ブルースにとっても父と同じように人生は恐怖で、であるからこそそれを忘れるために制作に没頭するが、その作品が意味するものは人生が恐怖で短いということだ。そういう深淵を覗くようなところがブルースの作にはある。だが、優れた芸術とはみなそうではないか。人生を考えさせ、真実を伝えることは芸術の役割だ。ブルースは若い頃からそれがわかっていた。
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by uuuzen | 2015-12-10 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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