●○は○か、その28
ntroの役割程度は果たすのかと思う。つまり、○と思わねばやっていられない。何のことかと言えば、このブログのことだ。



d0053294_1663817.jpgザッパのアルバムが100作に至ったことでそれらを全部解説した本を出そうという依頼が来て、全部書き上げて最初の校正を終え、PDFファイルに流し込んだものが順次届いているが、ザッパ没後のアルバムは1日1作ずつ解説を書き上げることに決め、ほとんどそれを守った。短いもので原稿用紙7枚分、長いものはその3倍になる。長さはこっちが決める。書き始めて長くなるようであれば長くする。ただし、ページ見開きすなわち2ページ単位で1作を充てるので、やや足りないと感じられるアルバムと、反対に冗漫と思われるものとがあるだろう。長くするのは得意だが、1日1作ずつ書き上げるからには、熟考の時間がない。というのは、アルバムによってはかなり厚いブックレットが付属している。文字情報はすべて読んでから書いた。没後のアルバムについてはこのブログで欠かさず感想を書いて来たし、またそれは各アルバムごとにかなりの文字数がある。最初はそれを元に不要な部分は全部削り、エキスだけ抽出することを考えたし、またそうしたが、それでは1冊の本としてまとまりがつきにくい。それにブログでの感想は気軽なものでまたブックレットを全部読んで書いたものではない。そのため、ブログで書いたことはあまり参考にならなかった。ほとんどと言った方がいいかもしれない。だが、それではブログが無意味であることを認めることになって癪なので、こうして毎日書いていることが何らかの益になっていると無理にでも思いたいし、また実際そうだろう。たとえば、筆者はパソコンのキーボードの操作を左右の人差し指だけで行なっているが、かなり速く叩けるようになっている。それもブログを書き続けて来たことの成果だ。ま、それはいいとして、キーを叩きながら考えることが習慣になっているし、また何らかの落ちをつけることも日々練習しているので、そういった文章をまとめる感覚が、かなり思いのままに出来るようになっている。それが本を書く時に役立った。それは言いかえれば、すらすらと書く、つまり読者にすれば読めるものでありながら、思考の跡が見られるもので、また文章としてもまとまりがあるということだ。何だか自画自賛になっているが、ともかくブログを続けていることはほかの文章を書く時にも役に立っている。あるいは、影響を強く受けている。
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 その影響は常にいいとは限らない。たとえば、全く別種の文章を書く時には足枷となるかもしれない。その自戒の思いはずっと持っているつもりでいるから、たとえば他人の文章を読んだ時に、舌を巻くことがよくある。論文と小説が違うように、文章はさまざまで、特に小説は方法がなく、自分で独自のそれを産み出す必要があって、筆者には遠い存在に思える。ただし、方法がないのであるから、自己流でよく、いつでも書ける気もある。それが他人が読んで面白いものにするにはそれなりの技術が必要で、それが方法と言ってよいが、それを習得するには、ある程度たくさんの小説を読みながら分析するしかないだろう。つまり目的意識をはっきりと持たねば駄目で、こうしたブログに漫然と書いていては駄目だ。ただし、小説は人間の心の動きを書くものであるから、こうして書きながら自己分析すればそれはそれでひとつの客観性を育むことにはなるだろう。小説を書くことに関心があるかのようだが、やりたいことの順序からすればそれは最初ではない。また、やりたいことのイントロとしてこうして普段の思いを書いているのかと言えば、相とは限らず、ブログに全く書いていないが、目下筆者が強く関心を抱いていることはある。そのために、郷土玩具の会への参加もあまり気が進まなくなって来ていると言える。それは出会う人、出会いたい人の種類が違うからだ。だが、筆者が強く関心を抱いていることに関しての同好会はなく、またそもそも関心を抱いている人もごく少ないだろう。あるいはいてもみんな孤立していると思う。だが、孤立はしていてもそういう人がいることを思い浮かべることは楽しい。これは、孤ではあるが、孤独ではないということだ。円は和の象徴だが、これは物の考え方が同じ人の集まりと思ってはならない。そこを日本ではよく勘違いをする。考えはみな違っているし、違うのがあたりまえだ。それでも和することが大切だ。ところがそうは行かないのが人間で、それで小説が書かれもする。
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 さて、今日は「○は○か」の連続投稿の4日目だが、載せる写真を最初に選んだが、途中で気が変わって選び直した。そのため、撮った順に載せられなくなった。それで今日の最初は阪神の尼崎駅からアルカイック・ホールへと陸橋でつながっている途中でマンションの1階を見下ろして撮ったが、6月の中旬だ。調べれば正しい日がわかるが、今は面倒だ。午後5時寸前まで展覧会を見て、それから陸橋を駅まで向かったので、撮影は5時頃だ。建物の壁に大きな円形が開けられていて、内部の壁にも同じ大きならしき円形が見える。そして中は駐輪場だ。誰でもそこまでは入ることが出来ると思うが、陸橋からそこへと降りる階段がない。駅前で下りて戻るほど関心もないので、この写真のみとなったが、これと同じ建物の構造を8月に宇治に行った時、京阪宇治駅の内部で見た。その写真を撮ってもよかったが、どの円形を撮るべきか迷ったこともあって撮らなかった。円はひとつだけなのがよい。それにしても建物にこのような大きな円形の穴があると、内部は寒いと思うが、陽当たりがよいこともある。閉ざされた空間では犯罪も起こりやすいだろう。陸橋から内部がかなり見えるというのは、犯罪の抑止に効果的と思える。2枚目は宇治に行った帰り、伏見で撮った。小さな畳屋のショー・ウィンドウだ。円形の畳はどう使われるのか知らないが、畳屋の技術を誇示するための看板だ。円形のほかにも形は自在に作れるし、伊勢の二見ヶ浦の形に作った畳の写真を新聞で昔見たことがある。その切り抜きも保存しているが、二見ヶ浦の形状の畳の上に座るのは不敬に当たるではないか。畳屋が商売に困り、知恵を絞るのはわかるが、いっそのこと畳を使った前衛芸術作品を目指す方がいいのではないか。それはさておき、この畳が展示される建物は川べりに建っていて、その壁面には見事な蔦が生えていて、その写真も撮った。3枚目は8月29日に西院の春日神社の近くで撮った。昭和時代のもので、円内部の木組がなかなかよい。ガラスも古く、こういう窓を設けた家の主の趣味が偲ばれる。この建物が10年か20年後に建て替えられる時、また円窓が造られても、アルミ・サッシの規格品になるだろう。手作り感覚が重視される時代ではないし、それにこだわると規格外として法外な価格を要求される。9月上旬であったと思う。4枚目は9月10日、岡山の吉備津神社駅前だ。新築中の家がほとんど完成していて、その1階の玄関脇に円窓が設けられていた。やはり近年は急速に円窓が普及している。珍しくないので、見かけたものを全部撮っていては切りがないが、カメラを持っているとついその気になる。またこうして撮った1枚によって、駅周辺のことを思い出せる。ただし、それは何かの序にならない可能性が大で、そのうち撮ったことも忘れ、また写真を見ても何も思い出せなくなるかもしれない。あるいは思い出してもただそれだけのことだ。○は○でも賞味期限があるということか。
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by uuuzen | 2015-11-12 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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