●○は○か、その25
かと思えば5で、これを9まで連続で投稿して昨日の「その29」と揃えようと思う。ということは、5日連続で「○は○か」について書くことになる。



d0053294_1571997.jpg前回は7月22日の投稿で、月1回とすれば5回連続では12月分までこなすことになってちょうどよい。「○は○か」用に撮りためた写真は昨日の蔦の繁茂や、これもシリーズにしている飛び出しボーヤより多い。それで5回連続投稿用にどの写真を使うかさきほどヤフーのマイ・ボックスからダウンロードしたが、なるべく遠方で撮ったものを選んだ。また、1回の投稿で何枚使うかだが、これは段落数が少ないほど筆者は文章を書く手間が省けるので、なるべく少なくしようと思うが、3枚の写真では2段落で済むが、これはこれまでの長文の習慣からすれば呆気ないので、3段落を基本にするつもりでいる。これなら4枚の写真を使って、5回の投稿では20枚となって、かなり在庫整理が出来る。だが、あくまでも基本で、3枚で済ます回もあるかもしれない。こうして書いていて、どういう話題にするかは全く考えておらず、行き当たりばったり、思いつくままとなる。それでまず写真を選び撮った順に並べたが、今年3月に撮ったものが最初で、最も新しいのは11月22日だ。区切りよさを考慮して、今日は4枚使う。まず、たぶん3月だったと思うが、山崎のMさん宅を訪れた日、帰りは車で阪急の西山天王山駅まで送ってもらった。その日、筆者はみかんを手土産に持参し、また寒かった記憶があるので、ひょっとすれば2月下旬かもしれない。ブログのどこかに書いたと思うが、調べるのが面倒だ。Mさん宅は西山天王山駅よりもひとつ大阪寄りの大山崎駅で下りた方が少し近い。ただし、地図での話だ。実際は川を越えるのに橋まで遠回りするなど、直線距離の比較とは違うことが多々ある。そのことをその日は味わった。地図を見ると筆者の足で充分15分で着くはずなのに、通れない道があった。西山街道を途中で少し歩いたが、どの道をどのようにして歩いたのか記憶にない。地図を見れば思い出すかもしれないが、その後家内と大山崎山荘に行った帰り、Mさん宅方面に歩いても、全く思い出すことが出来ず、少々焦った。半年ほどしか経っていないのに、自分の足取りがわからない。見覚えのある場所はいくつか記憶にあるが、家内と一緒にまさかそれを探しに行く、またMさん宅に行っても仕方がないので、途中で大山崎駅に引き返した。Mさんには大山崎駅から歩いて来たと言うと驚かれた。それで帰りは奥さんが運転する車でMさんと一緒に西山天王山駅まで送ってもらえたが、Mさん宅からはその駅まで新しい道路が出来たばかりで、便利になったとのことだ。西山天王山駅から電車に乗るのはその日が初めてで、ちょうどいい機会となったが、その駅からは丹後方面に行く高速バスと連絡しているなど、中継地としての役割を持っているだけで、周辺はかなり殺風景だ。大山崎駅はまだ歴史の重みがあるが、西山天王山駅は高速道路とのつながりで新たに設けられた駅で、車に乗らない筆者には縁がない。それはさておき、駅に着いたのは午後4時半頃か、夕暮れ前で、切符を買って改札に入ってすぐ左手に今日の最初の写真の円窓があった。新しい駅であることがこの写真からもよくわると思う。
d0053294_1575184.jpg 2枚目は4月12日、大阪造幣局の桜の通り抜けの際に撮った。造幣局内の建物で、1円玉のような形で、いかにも硬貨を製造する場所にふさわしい。これは機能はなく、単なる建物の飾りだと思う。昼間なら遠目にもよく見える。客相手の商売であればネオンを取りつけるが、ここはその必要がない。ならばこのような大きな飾りは不要ともうが、日本は金持ちであるから、無用なこうした飾りもまあいいではないかとの意見が通ったのかもしれない。それにしても意図も不明で、造幣局であればこの巨大な円の中にそれがわかるような文字を入れればいいと思うが、そこまで宣伝する必要もないということか。何とも腑に落ちない思いでシャッターを押した。見上げるほど大きなこの円が硬貨すなわち金の象徴であるとすれば、いかにも現世の真実を示すようでもあって、ユーモアと毒舌も感じさせる。3枚目は5津k10日に京都の釘抜地蔵の境内で撮った。南端にあったと思う。石の板ないし柱にこのような円形の穴を開けてあるのをよく見かける。梅津のムーギョへ近くの飲み屋の玄関脇に高さ70センチほどのこの写真と同じものが置いてある。丸い穴にどういう意味があるかと言えば、これは丸い穴から向こうを覗くわけで、燈籠の火袋の穴に通じたり、また神社や寺で見かける遥拝所の役目を担ったりするのだろう。だが、この写真のように壁際にあると、穴の向こうの視界は遮られているから、遥拝する気分にはなれない。それで筆者は意味がわからないまま、ただ丸い穴であることだけで撮影しているが、縁起のよいものであることは確かであろう。そうでなければわざわざ石にこのような穴を開けるはずがない。その縁起のよさは2枚目の写真のように硬貨の丸さを連想させるからでもあるだろう。となれば、50円玉のように硬貨に丸い穴が開いているのはなおさら縁起がよいことになる。今の50円玉は小さいのでありがたみがないが、昔の大きな50円玉は貫禄があってよかった。それをよく覚えているので筆者は丸いものを見ると写真を撮りたくなるのかもしれない。
d0053294_1581382.jpg4枚目は3月の第4週目の日曜日であったと思う。京都の郷土玩具友の会の会場近く、西洞院六条にある家の窓だ。肌色の壁と外から見えるようにと配された円窓内の赤い造花がよく似合っている。道行く人はみな目に留めるはずで、そのことを知って飾っているのだろう。この建物の1本南の細い道を入ったところに、時間単位で貸してくれる部屋があって、そこに6,7人が集まって会合を開いていた。ところがもう貸してもらえないことになり、別の会場を見つける必要が生じた。最初に書いた山崎のMさんらが相談し合い、一度二条城近くの会館の一部屋を借り、その後は京都駅八条口近くの貸しビルを探し当て、今はそこを使っているが、5月からは新しく若い会員が7,8名弱加わったことによって賑やかになった。だが、筆者はここ数か月は大阪の郷土玩具の会も欠席している。京都と大阪の会はどちらも参加する人が数名あるが、大阪の方が人数は圧倒的に多い。また会報誌を大阪は出しているので、会を開いたという記録は残る。京都の会も大阪と同じように毎回テーマを決めているが、早い話がたくさん持っている人同士の収集品の見せ合いで、郷土玩具全般に関心のない人は場違いの気分を味わう。収集家同士の集まりとなるとどうしてもそうなるが、筆者は熱心な収集家ではない。むしろ製造の方に関心があり、美的価値を突き詰めた話をしたいが、郷土玩具でそれを求めるのは無理もある。美的を言い始めると、一方では民藝的美があるし、もう一方では素人の美とは峻別されるべき芸術家のそれがある。下手でも味わいがあると言い始めると、どんな作品でもいいということになるが、それはやはり違う。巧みな作もあれば、見るに堪えないものもあって、郷土玩具は特に玉石混交だ。山崎のMさんは万単位の数の玩具を所有していたが、2,3年前からか、少しずつ処分を始めた。それで筆者はほしいものがあるかと思って最初に書いたように自宅にお邪魔したが、もうほしいものは残っていなかった。せっかく長年集めたものを手放す気になったのは、やはり年齢による。Mさんが死んだ後、奥さんや子どもたちは価値がわからない。ならばMさんは生きている間に価値をわかってくれる郷土玩具の友の会のみんなに頒布したいと考えたのだ。
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by uuuzen | 2015-11-09 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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