●蕪村の生家、その3
ロンドの西洋人の娘が毛馬の堤を訪れるのかどうか、蕪村の人気は欧米ではどうだろう。大雅の研究は外国でも行なわれているから、蕪村を好む人もいるだろう。



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さて、中津川の流れが大きく造り変えられて新淀川になったが、それと同時に堤はかなり高く土が盛られたはずだ。淀川流域でも背後に人口が多い地域ほど堤防の高さが増したはずで、昨日の2枚目の写真の堤から川面までは10メートル以上落差があるように見える。これは、大川の左岸沿いを毛馬の閘門に向かって上り坂になって行くことを意味しているが、昨日の最初の写真からはあまりそのことがわからないが、実際は2枚目の写真すなわち蕪村の顕彰碑が建つ堤に上がるのはかなり急な坂をその手前で一気に登る。これはもちろん閘門が造られる際に築かれたもので、碑の建つ堤は明治時代の新しいものだ。それで昨日の2枚目の河川敷は江戸時代の高さで、そこは村であったのはずだが、その今は公園になっている水際からもう少し向こうまで同じような高さの土地が広がっていて、その突き当りに土手があったのだろう。その高さは洪水の際に村が浸水しては困るから、それなりに高かったはずだが、今日の3枚目の写真に見えるような高さはなかったと思う。と考えると、碑から見下ろす公園内のどこかに蕪村の生家があった可能性がある。それとも碑が建つ堤の真下か。江戸時代の堤の真下とは何となく考えにくいので、おそらく公園か土堤の下だろう。ともかく、昔の堤は南に後退し、高さも倍以上になったであろう。蕪村の生家は庄屋であったというし、村の様子を記した古い地図が残っていそうなものだが、村にあった寺もなくなってしまい、何もわからなくなっているという。ま、どこにでもあるような村であったとして、それは淀川沿いにたくさん点在していたから、ほかの村から想像することは出来る。昨日の4枚目の写真は土手の上流側がはるか遠くまで見通せるが、蕪村の生れた村を守っていた土手上の景色とほとんど同じと思ってよい。その特長は空の広さだ。家が建て込んだ市中とは違う空気が流れている。
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 蕪村時代のその堤は「春風馬堤曲」に「故郷春深し行々て又行々 楊柳長堤道漸くくだれり」とあって、柳が植わっていたことがわかるが、村に近づくにつれて下り坂になっていたというのは、どういうことだろう。今日の3枚目の明治時代の堤からその下の公園内に下りて行くのであればわかるが、ま、土地の高低差があるのだろう。一昨日の1,2枚目の写真からは、阪神高速道路が大川をわたる所で自転車道路がかなり盛り上がっているのがわかる。江戸時代からそうであったことが考えられ、とすれば蕪村がようやく堤が下って行くと詠んだのはこの地点かもしれない。淀川神社は昔と同じであるから、その標高と河川敷のそれが比較出来ればいいが、グーグルの地図では蕪村の碑では4メートル、その堤下の小学校では3メートル、淀川神社が5メートル、都島神社が8メートルと高いので、北に向かって2キロの間に5メートルほど下ることになる。上流に向かうのに逆に土地が低くなっていて、「楊柳長堤道漸くくだれり」というのは蕪村の実感だろう。さて、都島神社から北400メートルの桜宮御旅所の前から西へと土手はすぐで、そこに入って北進するとすぐに右手に大阪拘置所の看板が見えた。こんなところにあったのかと思うと同時に、住民から文句が出てもたいしたことないほどに人口が少ない場所を選んだのかと想像した。だが地図を見ると、人口は多そうで、閘門の東には小学校が300メートル離れてふたつある。これほどの距離なら普通は統合するはずで、そうでないのは、人口が多いのだろう。また、拘置所は人口が増える以前からあったのかもしれない。拘置所の建物は独特で、一見して普通のビルと違うことがわかる。窓がほとんど見えず、閉塞感がひしひしと伝わった。
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 蕪村の碑を見た後、坂を下りて南下すると、蕪村公園で待っているはずの家内がこちらに向かって来た。そして往路とは違って公園の東側の道路を歩くと、大きな柳の木があった。公園の整備の際に新たに植えたもので、4枚目にその写真を載せるが、江戸時代の大川沿いの堤にも同じような柳があったのだろう。この柳の奥が蕪村公園になっているが、石碑以外は何もない。道路沿いにはいくつか店があったが、どれも古びて活気がなかった。川沿いと言ってよい地域ではそんなものだろう。大学でもあれば別だが、小中学校では駄菓子屋がいい程度だ。蕪村商店街が近くにあるらしいが、1キロほど東で、そこまで行くと周囲にマンションや家が密集するし、もう数百メートルで千林だ。一度その辺りを歩いてみたいと思っているが、「春風馬堤曲」にあるような季節がよい。来年の生誕300年祭で蕪村公園や蕪村商店街、それに淀川神社で何か催しがあればぜひ訪れたい。呉春が描く蕪村の顔は、優しい大友柳太郎のようだが、他の肖像や木像は全く違う顔で、どれが最も近いのかわからないが、やはり蕪村公園の入り口に掲げられる呉春が描いたものが最も似ているだろう。何と言っても呉春は一番弟子で、長年蕪村と接した。上田秋成の顔は肖像画や道八が造った人形のような小さな坐像などいくつか残されていて、しかもみな共通した顔つきで、筆者は周囲によく似た人を知っている。だが、蕪村となればよくわからない。だが、顔写真などない方が作品を深く吟味するようになる気がする。そうそう、今日の最初の写真は昨日の4枚目を撮った後、石碑に接近してその裏手にあった2本並んで咲くヒガンバナに焦点を合わした。左端の石碑は「蕪村生誕地」と彫ってある。その真下か、あるいは土手を下がった河川敷、それとも流れの中に生家があった。ヒガンバナは時節がら、たまたま見られたもので、22日に出かけて本当によかった。「毛馬堤 石碑の陰に 彼岸花」
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by uuuzen | 2015-11-06 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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