●蕪村の生家、その2
ばらく歩かないと街並みが大きく様変わりする。先日寺町御池上がるを少し歩いて驚いた。古いビルがなくなり、新しい店が出来ている。



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河原町界隈では珍しくないことで、それだけ街が生きている証拠とも言える。建物が少し変わっても全体が一気に変わることがないので、昔と同じ道であることがわかるし、その空気はほとんど変わらない。そのため蕪村が住んでいた烏丸松原西入る辺りも江戸時代とそう変わらないだろう。ところが、大土木工事によって大きな川の流れが造り変えられると、それ以前のことが想像しにくくなる。蕪村の生家がそうだ。淀川の下に沈んでしまったことは確かだが、その最も近い土手に立って川面を見下ろしても、江戸時代にその辺りがどのような堤の形をしていて、家がどの辺りまで建っていたのかを想像することは難しい。筆者はもう何年も淀川が拡幅される以前の地図と現在の地図を見比べているが、毛馬や長柄地域を歩いたことがないためもあって、江戸時代の流れがどうであったか、つまり堤を歩いた時の風景がどうであったのか、全く想像が出来ない。蕪村の有名な「春風馬堤曲」は、毛馬の堤を歩いて生家に藪入りで帰る娘を描写するが、漢詩を除いたその最初の「やぶ入りや浪速を出て長柄川」の句でたちまち戸惑う。長柄川は長柄橋で有名で、その橋が架かる川を長柄川と呼ぶことはわかるが、現在の長柄橋は明治に新しく架けられたもので、江戸時代と同じ場所ではないはずだ。というのは、その橋は毛馬の閘門より西、つまり流れを変えられた新淀川にあるからだが、そう言えば長柄川という呼び方は今はしない。では江戸時代の長柄川とは今のどこを指すかと言えば、もちろん毛馬の閘門より下流の新淀川のはずだが、そこは江戸時代は中津川で、現在とは違って大きく蛇行し、川幅も小さかった。
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 「春風馬堤曲」は最初に漢詩がある。「余一日問耆老於故園 渡澱水過馬堤 偶逢女帰省郷者 相顧語」。これは実際にあったことかどうかは別にして、「渡澱水過馬堤」とあるのは淀川を渡って毛馬堤に至るで、またたまたま出会った帰省する娘と前や後ろを歩きながら数里進んだというので、淀川をわたったのは源八橋ではないだろうか。そこから毛馬の閘門まで3キロほどで、一里を4キロほどとすると「数里」にはそぐわないが、文学としての表現でもあり、また一里の表現は日本中で統一されてはいなかった。漢詩の次に18首が詠まれ、その最初が「やぶ入りや浪速を出て長柄川」だが、浪速の商家で働いている娘が毛馬の母親のもとに帰郷するのであるから、現在でもそうである市内の中心部、つまり毛馬の南方から北へと歩いて行くと考えるべきで、大川沿いだ。大川は江戸時代は淀川で、長柄川とは呼ばないが、長柄橋付近ではそう呼んだかもしれない。現在長柄の地名は毛馬の閘門から南西、つまり新淀川の左岸(南)と大川の右岸(西)に挟まれた地域で、新淀川の右岸は柴島、大川の左岸は毛馬や友渕だ。蕪村は「馬堤」と題し、そこが生家のあったところだが、となると大川の左岸のはずと思うと、現在の地図を見ると長柄地域の北東橋すなわち毛馬の閘門の西端は毛馬3丁目となっていて、毛馬が現在の大川の右岸に限らないことがわかる。ただし、現在の地名は江戸時代と同じ区割りであるとは限らない。そこで「やぶ入りや浪速を出て長柄川」の長柄川は、その堤を歩き始めたことを詠むのではなく、その堤が見えるところに向かって大川の堤を歩くとの想像が働く。つまり、娘の実家は長柄川の間近で、そこは蕪村の生家があった場所だ。蕪村の生家は毛馬村にありはしたが、ちょうど中津川つまり長柄川が分かれて流れて行くところでもあった。そう考えない限り、「馬堤」と「長柄川」をうまく説明出来ない。もっとも、筆者はそんなことを考えずに地下鉄の都島駅から北を目指したが、先日投稿した淀川神社のすぐ北西が蕪村公園になっていて、これはその付近が「やぶ入りや浪速を出て長柄川」の句が示す「馬堤」であるとの考えによってのことだろう。

 さて、昨日の4枚の写真は、最初の2枚は大川左岸の自転車道路で、最初の写真の頭上を走るのは阪神高速で、同じ場所で上流側を撮ったのが2枚目で、前方に毛馬橋が見える。写真からわかるように坂が多い。毛馬橋を越えてすぐの河川敷に蕪村公園があって、その南東橋に立って淀川神社を見たのが昨日の3枚目で、そこから振り返ると4枚目のように公園の塀に呉春が描く蕪村の肖像画などの資料が拡大されてずらりと並んでいる。公園内には蕪村の句を刻んだ石碑が点在し、蕪村ファンは一度は訪れるべき場所だ。幸い筆者らが出かけた9月22日は暑くも寒くもなく、絶好の日和に筆者はしきりに「春風馬堤曲」を思い出した。そしてはやる心を抑えて毛馬の閘門に向かったが、地図で調べると短い距離なのに、初めて歩くこともあって、かなり長く感じた。藪入りの娘の気持ちも同じであったろう。公園内で休憩せず、どんどん閘門を目指した。最初の写真がそれで、前方の閘門が大川の始まりで、こちら側に水が流れる。江戸時代の堤が現在のどこ辺りにどのように高かったのかはわからないが、大川つまり淀川の流れはそのままだ。つまり、昨日の1,2枚目の写真と今日の1枚目の写真は「春風馬堤曲」で描かれる堤とほとんど変わらないと思ってよい。2枚目は淀川沿いの堤上で、川の中州付近に蕪村の生家があった。この写真から左を向いたのが3枚目で、これはクリックで拡大する。閘門へと至る扉が開いていて、自転車に乗った数人が中に入って行ったが、対岸へ渡る橋が見えている。地図を見ると、新淀川の左岸は伝法辺りまで自転車道路が続いているようだ。同じ撮影位置から左を向くと、堤の背後に大きな石碑がある。蕪村を顕彰するもので、立派なものだ。
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by uuuzen | 2015-11-05 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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