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●「SLAUGHTER ON TENTH AVENUE」
コードを鳴らすことはめったになくなった。プレイヤーは2台持っているし、針もまだ新しいのに、年齢を重ねるほどに時間が早く過ぎ去り、野暮用が多くなることを感じる。



●「SLAUGHTER ON TENTH AVENUE」_d0053294_14334396.jpgゆったりとレコード盤をプレイヤーに載せ、レコード・ジャケットを味わいながらゆっくりと音楽を聴く。そういう時間はまるで夢で、今後もないように思える。それどころか、CDですら一度も聴いていないものが100枚以上はある。こうなると、一度聴くだけで充分というか、一度の体験で判断してしまわねばならない、味わってしまおうという覚悟のようなものが信念となる。一方、たまに同世代の人と親しく話す時、その人が日本のフォーク・ソングを懐かしく思い出せば、話が合わないことを内心感じながら、半世紀ほど前のことをそのように話すことが世間ではごく自然で、まあ仕方がないと黙って話の続きを聴く。このカテゴリーは思い出の曲について書くのであるから、筆者も今も若者が聞けばえらく古臭い話で面白くないと思うに違いなく、あまり他人の昔話を鬱陶しがることはよくない。それで実際今日はえらく古い、そして日本では誰でも知っている曲を取り上げるが、そのことにはきっかけがある。
 先日TVでベンチャーズのサイド・ギタリストのドン・ウィルソンがもう日本公演は出来ず、引退することを知った。半分は密着取材で、ベンチャーズの各地の演奏に同行し、また日本のファンとの交流の様子を映し出してとても印象に残った。もはやベンチャーズは日本のバンドと言ってよく、ドン・ウィルソンにはちょっとした勲章を与えてもいい。政治家の中にもベンチャーズのファンは絶対にいるはずで、彼らが動けば勲章の授与は簡単ではないか。あるいはベンチャーズの連中はそんな国からのお褒めよりも、日本各地で毎年歓迎されたことが何よりの勲章であり、また生涯の輝かしい思い出であろう。ドンはもはや指が思うように動かないと発言していたが、演奏中の様子を見ると確かにそれを感じさせた。体力的にもう無理なのだ。誰しも老いるのでそれも仕方がない。その老体の演奏を見ながら筆者が思い返したのは、やはり60年代半ばの彼らの姿だ。オリジナル・メンバーのベンチャーズが何よりも存在感が大きく、4人はみな個性的で腕揃いであった。ドラムスのメル・テイラーの濃い顔とその陽気さは、当時の日本ではハイカラなアメリカのイメージの代表格であった。ベースのボブ・ボーグルがメルのそばに近寄って行き、メルがドラムのスティックでそのベースの弦を叩いて音を出す演出は、当時は、そして今も誰もやったことのないショーとして大いに楽しませてくれたが、その後同じようなスリル溢れる斬新な見せ場を提供したのかと言えば、ベンチャーズの特徴はみなその初代のメンバーがやり終えていたように思う。乗りに乗っていた当時の演奏は今から思えばまさに絶頂期で、メンバーの年齢、そして遠い日本にやって来て歓迎されることの驚きから生まれたものだ。先のTV番組でドンが語ったことの中に、日本が半世紀の間にまるで別世界のように国土が変貌したということがあった。田舎に行っても道路が舗装され、見違えるほどに洗練されたということだろうが、その裏には、昔は昔でよさもあったとの思いが混じっているようにも聞こえた。日本は進歩はしたが、素朴さは失った。それは驚かなくなったということであり、感動が少ない人間、国になったということだ。それは面白くない。だが、ドンにも誰にも仕方がないことだ。
 1951年生まれの筆者も例にもれずにベンチャーズをよく聴いた。筆者より5歳ほど年長の従兄が京都にいて、大阪からたまに遊びに行くと、ステレオには必ず新しいレコードが増えていた。それもみなシングル盤で、そこにあった1枚ずつのジャケットをよく覚えている。また当時中学生であった筆者はラジオで洋楽番組をよく聴いていて、従兄が持っていないレコードについてもよく知っていたし、またその反対もあって、知らない音楽はどれほど世の中に溢れているのかと思った。ベンチャーズの大ヒット曲はたくさんあるが、「クルエル・シー」あたりからはビートルズ人気に押された。ベンチャーズの音楽とビートルズのそれとの一番大きな差は、前に書いたことがあるが、歌があるかないかで、これは十代半ばの少年には大きかった。筆者はたちまち一緒に歌えるビートルズに夢中になった。それでビートルズは歌はいいが、演奏は下手などと湯川れい子は後年になっても書いていた。いったいどこを聴いていたのかと思う。話を戻して、ベンチャーズのシングル盤はジャケットが当時のレコードと同じく、モノクロに一色を加える程度の粗末なものであったが、これも前に書いたように、それがかえって工夫が見られ、またインパクトは大きかった。今日取り上げる「10番街の殺人」もそうだ。ついでに書いておくと、この赤系を中心にする印刷は日本の戦後の年賀切手もそうで、いわば日本全体がおめでたい色合いとして遺伝子レベルで認識していたものに倣ってのことだ。ベンチャーズのシングル盤が空前の売れ行きを示したのはこのジャケットの赤系の色合いが大きい。そのベンチャーズのシングル盤のジャケットがカラーになったのは、筆者の知るとことでは「キャラバン」だ。この曲はベンチャーズでも玄人好みに属し、日本でもヒットはしたが、「ダイヤモンド・ヘッド」や「10番街の殺人」ほどではなかった。ジャケットがカラーで豪華になったのに、かえって印象が薄くなったのではないか。
 さて、ベンチャーズで何か1曲となると困る。それでもピカ一は「10番街の殺人」と思う。B面の「ラップ・シティ」も従兄の家でよく聴いたが、それがブラームスのハンガリー舞曲であることは知っていたし、またそのようにクラシックの名曲を取り上げるところに、ベンチャーズの創造力がビートルズのそれとは全く別種のものであることを感じていた。悪く言えばベンチャーズはカバー・バンドだ。そしてアレンジがうまいということに尽きる。もうひとつ加えれば録音技術の高さだ。カバー演奏を言えば「10番街の殺人」もだ。だが、この原曲を筆者はYOUTUBEで聴くまで知らなかった。知りたかったのは山々であったが、どこにそのレコードがあるのかわからなかった。それでYOUTUBEで原曲を聴くと、改めてベンチャーズの編曲の才能に舌を巻く。メロディを全く別の雰囲気のものに仕立て上げていて、それを4人がどう分担したのかと思う。リード・ギターのノーキー・エドワーズが中心に何をどう演奏するのか決めていたのだとすれば、ベンチャーズは彼が代表者だ。ドンはリズムを刻むことがほとんどで、影のような存在だが、彼がオリジナル・メンバーでは最後に残ったことは、あるいは彼が編曲の中心を担っていたのかとも思わせるが、さてどうなのだろう。ベンチャーズは日本に無数のアマチュア・バンドを輩出させ、今なおそうで、先のTV番組では数歳の男子が父親と一緒にバンドを組んでドラムを叩いている場面があった。彼らはレコードの音を逐一模倣することから始め、またそれに終わるのだろうが、となればベンチャーズのレコードの録音時の演奏つまり編曲が聖典であり、ベンチャーズの後光は編曲者のおかげということになる。オリジナル・メンバーが共同で行なったとすれば、メンバーが変わるたびに演奏も変化するが、観客はレコードで馴染んだ演奏を期待するから、最初の録音が聖典となってそれ以外の編曲は控えるという自粛の思いが、現在のベンチャーズにはあるのではないか。ただし、新メンバーが新しい曲を取り上げる時は全く自由にそれを編曲出来るから、新曲を適当に混ぜて若返りを図って行くというのが、ベンチャーズのこれまでの姿勢ではなかったかと勝手に想像する。それにしてもオリジナル・メンバーが皆無となったベンチャーズは、日本で言えば歌舞伎などの家元制度と同じで、それはそれでいかにも日本的で、彼らはもはや日本のバンドと言ってもよい。
by uuuzen | 2015-10-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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