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●嵐山駅前の変化、その377(マンション)
ることは越えること、過ぎることで、時は流れて行く。その中で人生が短いのか長いのかと時に自問しながら、いつかは死に至って意識が途絶える。



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死後の世界がないと言えば、現世が不幸な人は立つ瀬がないので、宗教では死後の世界があると言う。筆者はこの現世が死後の世界と思うことにしている。そうなると、生きている間に幸福を感じなければならないし、また筆者は充分満足している。欲を出せば切りがないから、なるべく欲を少なくする方が幸福感をより多く味わえる。先日筆者は64になったが、50代で死んで行った友人知人を思い出すと、もう今はおまけの人生のような感じがする。晩節を汚さないという表現があるが、そうではない人が世間を賑わすたびに、その人の顔、表情をTVで見ながら、どこでどういうように人生を誤って来たのかとさびしい思いになる。先ほど大阪西成の58歳の女性が78の男性を睡眠薬を飲ませて眠らせた後、部屋に火を放って殺したという事件があった。その容疑者の女性の顔をTVで見たが、筆者は68歳の間違いではないかと思った。それほどに苦労の多い人生を歩んで来たのかもしれないが、人を殺めというのはそのこととは関係がない。ふたりは内縁関係にあったというが、それがいつからであったのだろう。もっと若い頃、たとえば男性が58で女が38であれば、まだまだ楽しいことも多い暮らしであったと思うが、その20年後がふたりとも想像出来なかったのだろう。男も80近くなればもうよぼよぼで、どういう仕打ちに遭遇するやわからない。昨日は川崎の老人ホームで、80代、90代の3人が同じ場所から転落して死亡していたことがわかった。3人の世話を担当していた職員は4月に老人ホームを辞めているというが、若い人でも老人の世話を嫌がるとすれば、西成の58の女が78の内縁の夫を鬱陶しがっても当然と言える。また、その老人ホームの3人が職員によって殺されたのであれば、その職員の将来の姿は西成の58の女で、この世は思いようで天国であるというのに、それをどこでどう間違って人を殺めて地獄の気分を味わうのか。そういう事件を起こす人は、優しくされた経験が少ないのだろうか。そう考えると、誰もが誰に足しても分け隔てなく優しさを持つべきという思いに至るが、それが通用しない場合が多々あるのが人の世で、ちょっとした油断につけ込まれ、優しい思いを持ったがゆえに気分の悪い思いをすることがある。それでもそういうことをいつまでも覚えていると、天国であるこの世を自ら穢していることになるので、嫌なことはすぐに忘れることだ。これは自分に言い聞かせているのであって、ま、それほどに筆者は今年は春以降、激怒することが重なった。その話については詳しく書くことが出来ないが、ひとつはっきりしていることは、嫌われる人はどこへ行ってもそうで、自分でそういう役割を引き受けている。そしてその姿は、筆者には先の58で内縁の夫を殺した女性のように、どこで決定的にそのような人生を進むようになったのか、その理由を想像する。貧しさからそうなったとは限らない。嫌われ者はだいたい同じように嫌われ者の親に育てられたはずで、本人の責任というより、どうしようもない遺伝的な理由による。だが、それでは本人に責任能力がないということになってしまうから、結局は親からどう育てられても本人にすべての責任があると世間ではされる。筆者にはそれがまた憐れに思える。嫌われ者は筆者も嫌いだが、その反面、そうなっていることに幾分かは同情する。それは優しさゆえと言いたいのではない。大それた罪を犯す人は徹底して悪い奴と罵られて当然だが、そういう罪を犯すことに至るまでには事情があったはずで、それは極論すれば、優しい思いに触れたことがないという憐れな境遇のせいと見る必要もあるのではないかということだ。はははは、筆者は検事より弁護士向きか。
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 至日は夏至か冬至のことを言うが、今年は6月下旬の夏至からひどい猛暑が待っているかと思っていると、その期間は短かった。筆者は今も1階の北側の隅っこにパソコンを置いてこれを書いているが、いつまた3階に戻ろうかと思案している、暑さ寒さも彼岸までというが、もう筆者は暑さを全く感じない。わが家で最も涼しい場所に陣取っていることは、真っ先に寒くなることで、その前に3階の南側の陽当たりのよい元の場所に移動せねばならない。そう思いながらも、あまりに埃と本だらけの部屋に戻る気がしない。家内も言うように、3階に戻る前に大掃除の必要がある。これが丸1日で終わるかどうかで、思い切って不要なものは処分するかだが、その選別を考えると頭が痛い。30年ほど前、懇意にしていた筆者より10数歳年上の染色家の女性に、大きな部屋がほしいと言うと、それはいくらあっても同じことで、きっと物が増えてまた大きな部屋を求めるようになると言われた。全くそのとおりで、部屋数が多いか、大きな部屋があるかしても、少しも整理は行き届かない。そのことは隣家を見てもわかる。70数平米あるというのに、足の踏み場もない状態になっている。そう思えば、金がたくさんあって、別荘を買うということが馬鹿馬鹿しい。年に数日しか寝泊まりしない家を持っていることは、心が豊かになる反面、厄介な物を抱えているという気分が拭えないだろう。今日の写真は阪急が高級マンションを建設する去年の今日の状態だが、名勝嵐山に住んでみませんかといった謳い文句で金持ちに売るのだろうが、資産として持っておいて損はないと思う連中が投機目的で買うことが多いだろう。もちろん中にはそうでない人もいるだろうが、そういう人が自治会に加入して古くから住む人と仲よくなるかと言えば、小さな子どもを持たない人であれば、それも難しい。わが自治会にはワン・ルーム・マンションのほかに高級マンションもあるが、そのうちの古い方は、建った当初は億ションとの評判であったと聞いた。今もたまに売りに出るが、すぐに詰まるようだ。それはさておき、そのマンションは毎月15000円程度の管理費を徴収していて、管理人夫婦も暮らしている。その管理人は、マンション住民から徴収する管理費から全世帯数分の自治会の年会費を出していた。自治会とすればそれだけ収入が多いので歓迎だが、その代わり、組長や各種委員をそのマンション住民にしてもらえず、代わって管理人が万年組長を引き受け、またたまには各種役員を担当してくれた。それはそれで自治会としてはありがたいが、そのマンション住民の顔が見えないという欠点があった。マンション住民がマンションの管理費とは別に自治会費を支払うのであれば、自治会の行事に参加するなど、地元住民としての意識を高めたと思うが、そんな二重払いのようなことを進んでする人はほとんどいない。それに、自治会の人間関係が嫌でマンションに住んでいるというところもある。また自治会としては、管理人がマンション住民がすべき組長や各種役員を毎年してくれるのであるから文句はなかったと言えるが、筆者が会長になった時点で、そこにメスを入れることにした。その管理人は確かに万年組長としてご苦労さんなことだが、その代わり、自治会の4役といった重要な地位に就くことは拒否した。そこまで自治会に入れ込むつもりはないとうことだ。一方、そのマンション住民のとある老夫婦から筆者は数年前に声をかけられたことがある。それは平たく言えば、自治会の住民との交流を求める思いだ。その人に言わせれば、管理人が自治会の仕事を一手に引き受けてやってもらっていることはありがたいが、それは自分たちが直接自治会とは触れ合わないことでもあって、人懐っこい人であれば、自治会住民の趣味の合う人と交流したいと思うのも無理はない。筆者に声をかけて来た夫婦はそういうタイプであった。筆者が会長になってから自治会の空気が変わったと何となく感じてもいたのだろう。それはいいとして、つい先日、その夫婦の夫が亡くなったことを知った。結局自治会に直接加入して地元住民と親しくなることもなく、高齢で人生を終えたのだが、筆者に笑顔で声をかけてくれた時、筆者ももう少し引き続いて話の場を持つようなことをしていればよかったのに、その人の質問はあまりに実現不可能なもので、簡単に言えばわが自治会にその人が望むような趣味を持っている人がいないことは明白であった。ならば筆者が話し相手にでもなればよかったかもしれないが、筆者もそこまで暇がなかった。
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 その後筆者は自治会の規約を作り、その結果、組長を担当した人は翌年は何らかの各種委員を担当するという仕組みが出来上がった。それには反発も少なくなかったが、そこを熱心に説明して回り、今ではよかったと言ってくれる人もある。だが、先のマンションの管理人はすぐにマンション住民全員分の自治会費を支払わず、自分も自治会を辞めると言った。そのことについて筆者に相談もなかったが、結局自治会としては15軒分の自治会費が減ることになった。管理人の思いは、自分は毎年組長を引き受けて来たし、今後もそのつもりでいたが、筆者が作った規約にしたがうと、組長の仕事のほかに毎年各種委員も引き受けなければならず、それはとても無理というのであった。筆者から相談に行くまでもなく自治会を脱退したので、筆者も頭を下げて思いを引き留めることはしなかった。筆者は当初、そのマンションのみは例外措置を設け、万年組長を今後も管理人にやってもらうと同時に、各種委員はしてもらわずに済むように他の自治会住民を説得するつもりでいた。管理人は筆者のその思いを知らずに、さっさとマンションの全住民に対して意見を募り、個人資格で自治会に加入してもいいという人だけはそうすればいいと意見したが、それは管理費以外に自治会費を出すことでもあって、経済的な損失に加え、組長や各種委員をいずれ引き受けねばならないということにもなる。まさかそんな人はひとりもあるまいと管理人は考えたかもしれないが、結果は違って、1世帯だけ自治会にそのまま留まってくれた。それはそのマンションで暮らし始めて子育てをし、地元の学校にやり、自治会関係のいろいろなことを経験して来たからでもあって、前述した亡くなった高齢のマンション住民とは少し条件が違う。つまり、子育てを終わって引っ越して来た人は、自治会に馴染もうとしてもかなり無理があるということだ。そこで思うのは、今日の写真の建設現場に来年完成するマンションだ。当初は若い夫婦でも買える価格と思っていたし、また説明会でもそのような感触であったのが、どうも事情が違うようで、若い夫婦では買えない価格帯になるようだ。もちろん若くても金持ちの子孫であれば高級マンションのひとつくらい親から買ってもらえるだろうが、そういう夫婦は子どもを地元の公立の小中学校にはまず通わせない。となると、地元小学校で作っている地域委員や自治会で作っている子ども会といった組織に入ることがなく、地元住民と話をする機会がまずない。子どもは地元のいろんな子どもと遊ぶことが将来の思い出にもなると思うが、わが自治会のふたつのマンションのうち、新しく出来た方の住民の中には、小学生の子どもを京都の有名な私学に通わせるので、筆者はその家族全員の名前も顔も知らない。おそらく子どもは成人するまでそのマンションに住むと思うが、ほかの子どもと違ってお祭りなどの行事に一切参加しない、またする資格もないから、その子どもが大人になった時、どのような地元意識があるかと言えば、まずそれはほとんどないだろう。長年同じ場所に住みながら、誰の顔も名前も知らないということが幸福だろうか。金持ちは金持ち同士交友となるというから、そんな心配は筆者がする必要もないが、自分たちはそこらの金のない庶民とは違う人種で、そんな連中とは交わることを拒否すると思っているのであれば、それは大きな間違いではないかと思う。金持ちが勘違いしやすいことは、金があると知性や教養、優しさも自然と身につくと錯覚することだ。筆者が思うに、そういうものはむしろ貧しさの中から育まれる。金持ちに対して偏見は持っているつもりはないが、金持ちもいろいろで、人の心に鈍感な憐れな人も多い。金に関しては至るべきところに至っても、人間として至るべきところに至らないでは、その人の人生は天国とは言えない。
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by uuuzen | 2015-09-09 23:59 | ●駅前の変化
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