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●『近代芸術家の書展』
何必館に行って来た。1週間前の10日のことだ。大山崎山荘にしようかと迷ったが、今年は紅葉が遅いので、大山崎山荘はもう少し日を置いて出かけることにした。



●『近代芸術家の書展』_d0053294_0382075.jpg何必館は『マルク・リブー展』以来だが、写真のみならずここは書もかなり集めているようだ。今回の展示は、何必館の主の梶原氏が直接芸術家に出会って書いてもらうなりしたものが中心になっているようで、そこが目利きのコレクターが自分の好みにしたがって集めたもの以上に、何かもっと深いこだわりを伝える。だが、今回並んでいる芸術家たちがすべてであろうか。まずそんなことを思った。書家の書は面白くないと言ったのは良寛だが、たとえばまだ存命中でしかも関西では人気の高い榊莫山には関心がないのだろうか。莫山は書家だが、絵を描くし、今回の展覧会に含めるのは問題はない。あるいは物故した芸術家のものだけを並べているので、仮に莫山の書が集められているとしても今回はパスということになる。また、京都には前衛の書家の石川九楊がいるが、これも何必館がどう思っているかだ。今回並んでいた芸術家の名前はチケット裏面に全部書いてある。北大路魯山人、中川一政、村上華岳、高村光太郎、須田剋太、會津八一、梅原龍三郎、川端康成、小倉遊亀、平櫛田中、奥村土牛、富本憲吉、棟方志功、加藤唐九郎、熊谷守一の15名で、錚々たるメンバーだ。お金を取って人に見せるのであるから、誰もがよく知る有名芸術家である必要のあることは理解出来る。だが、すでに有名かつ高齢になっている芸術家に接近してこれらの書を得ることになったのであれば、何だか鼻白む。画商であるならば商売は当然であるから、世間ではあまり知られない芸術家の書を集めるのは道楽にしかならない。それにすでに集めている芸術家たちの格とと釣り合いを取るには、自ずと次にターゲットを絞る芸術家は決まっても来るだろう。だが、問題はそこで、そうなれば大体次は誰かといった予想もつき、何だか何必館の今後、その豪華主義がわかるようで面白くない。
 大芸術家ほど面白い、あるいは個性のある書をしたためるものだという暗黙の了解が何となくあるようだが、それは本当にそうだろうか。書は人を表わすというのはある程度は当たっていると思うが、書だけ見て人がわかることはない。ましてワープロ、パソコンとますます手と指を使って字を書かなくなっている昨今、書は絵と同じようにしっかりと意識して学ぶ必要のある特殊な芸であるに違いない。あるいは書は昔からそういうところはあった。名筆をまねするなりして、字の構築性と筆使いをしっかり学び、その一方で自ずと自分の癖、個性が滲み出て来る。書はそういうものであるし、今も大半はそうだろう。そして、絵と違って書を味わうにはもっと高度な、緊張を強いる鑑賞眼が必要と言ってよい。書が人を表わすと言うのであるから、書はその人そのものであり、ましてや偉い芸術家となると、そう簡単に書の前に佇んではならない雰囲気がまずある。それは精神の権化と言ってよいものであるからだ。だが、そんな仰々しい書ばかりをいつも芸術家が書いているわけではないだろう。書を見てその中に入るには、まずその周りにまとわりつく名前や、あるいはどういうものに書かれてどう額に入れられているかといった設えを越えて行く必要がある。何必館という静かで重厚な雰囲気の館内にあればなおさら、その雰囲気に飲み込まれて、つまらないものでもありがたいと錯覚してしまう恐れは充分にある。そしてそういった書とは本質的に関係のない周りのあらゆるものを乗り越えて書そのものと対峙した時でも、その書が本当に自分にとって何か全然別の新しい世界の断片を垣間見せてくれるものであるかどうかの保証は何もない。そして何ら感興が起こらない場合、それは大抵の場合、自分には芸術家の精神がわかるはずがないという烙印を押されかねない雰囲気が一気にその書の周りのものすべてからやって来る。つまり、何必館という場所で鑑賞する芸術家の書は、絶対に芸術であり、芸術の心がわかる人には必ず何か訴えるものがあるはずだという暗黙の了解を漂わせている。それはそれでまことにいいことであるし、そういう方法で見せるしか何必館にしてもない。だが、書などかなり適当な場所で適当にさっさと書く場合が多いもので、そこらの汚い部屋にたくさんあったとすれば誰も顧みないだろう。それがさまざまな権威や設えがまとわりつくことによって、神々しい芸術、そして財宝にもなる。そのため書には何かいかがわしさのようなものが絵とは比べものにならないほどにまとわりついている。
 書を見るのは嫌いではない。良寛の書のよさはこの年齢になってもまだはっきりとわからないが、それはみなが良寛の書がいいと言って崇め過ぎることの反抗も少しある。人があまりにほめると関心がなくなるという変な癖が筆者にはある。しかし、良寛の書はよくわからないが、仙厓や芋仙の書はとてもいいと思う。蕪村や呉春もそうだ。大体において文人画の書はみな面白い。画家の書く字には独特のものがしばしばあって、そんな例が今回はたくさん並んだ。前述したチケットに列挙されている順に簡単に感想を書いて行こう。これは展示順ではない。まず魯山人だが、書で最初身を立てたから今さら言うまでもないだろう。その魯山人が大本教の出口すみこの書をきわめて絶賛する時、魯山人がいかに広範な目を持っていたかを再認識する。魯山人は柳宗悦の民芸を馬鹿にしていたが、真面目な書を色紙にたくさん書いた柳は、たとえば出口すみこの書をどう思っていたか興味のあるところだ。すみこの書は柳の言う民芸の健康的な美とはまた違う、何かが取りついたような、野放図でどきりとさせるリズムがあるが、そこには芸術家も民芸も越えたような別世界の表現があるように思える。字ひとつでも恐ろしく個性が出るこのひとつの好例が、ろくに字を学ばなかったような出口すみこの書にあることは、書の本質の一端を示しているようで面白い。たくさん書けば上手になるが、書の場合、それとともに内面が深化し、よりよい芸術作品が生まれるとは限らないのかもしれない。ほとんど字を知らない人の書でもすごいものが生まれるからこそ、書は面白いのではないだろうか。絵も実はそういうところがあるにはあるが。次にチケットにデザインされている中川一政だ。正直に言って好きではない。個性はあるのだろうが、何となくいやらしい。これは80年代に観た中川一政展で持った感想で、それは今も変わっていない。いかにも金持ちの、しかも成金の部屋に飾れば喜ばれるような雰囲気に満ちていて、それはそれなのだが、書はもっと清洌なものを筆者は好む。中川の書は独学だ。説明によると「石濤や金冬心の影響を受け、大鐙、一休の墨蹟を愛し、それらを身辺に置くことで、作品に宿る精神を蓄えた」そうで、6点が出ていた。これは多い。それだけ中川はたくさん書いたのだろう。芸能人なんかがすぐにまねして金儲けの道具にしような書で、それがまた好きではないところだ。中川はよく書の縁の模様も絵具で描いている。その全体を楽しむべきものだ。確かな装丁家的な才能が中川にはあったと言える。その装飾的な構成は中川独自のもので、目の楽しみとしては見応えがある。だが、全体から漂う香りがやはり筆者には関心が持てない。良寛の毬の詩を書いたものもあったが、中川と良寛とでは全然人間が違うように思うし、中国の石濤や金冬心ともどこが通じているのかわからない。
 華岳の書はよい。絵と同じ精神がはっきり宿っている。隷書を学んで独自に展開したところがあり、それがいかにも仏教的精神を感じさせる。そして、気高いというよりもどこか謎めいていて、不気味な感じがあるが、それがまた実によい。「孤月澄」と3文字を横に書いたものがあって、どの字もよくぞこれだけもったいぶって書けるなと思わせる。池大雅が見ればどう思うかと思った。大雅よりは微妙かつ繊細であるも、多彩ではない。何かに震えている雰囲気があって、それは華岳の魅力だろう。高村光太郎の書はよかった。虚飾は何らなく、ただ詩をすらすらと、しかもしっかりと縦に書いて掛軸にしてある。「山にゆきて何をしてくる山にゆきて/みしみしあるき氷のんでくる」と2行に分けて書い
たものがあった。詩と書がよく合っていた。これは誰にもまねは出来ない。須田剋太の書は1階のエントランス・ホールに数点まとまってあった。みな図太い筆跡で、しかも文字は正方形、墨がたっぷりとほとばしって見るからに激しい。そして静謐さやかすかな華やかさが同居している。掛軸には金箔やプラチナ箔がふんだんに使用され、それが黒々とした書の画面とよく釣り合っていた。この渋さときらびやかさが同居した味わいは須田ならではのものだ。だが、筆者は須田の書を必ずしもいいとは思わない。中にはとてもきれいと思えるものがあるが、全然そうは思えないものもある。また、須田の書を見ていると、自分もこのようにして書いてみたい思いによくかられる。そのためには汚れてもかまわないちょっとした場所、それに墨や和紙など、用意するものがいろいろと必要で、さらに書いたものを後で表具するとなると、また何万、何十万のお金がかかる。そんなことを次々と思うともう手が出ない。だが、そのように誰にでも書いてみたいと思わせる人なつっこい味わいがあることは須田の書の徳というものだ。なかなか書とはそうはならないからだ。そんな身近な温かい印象を伝えてくれる書は本当に珍しい。次の會津八一はよく知らない。左利きだったそうで、また新聞の活字を学び、そのような書がいいと思っていたという。だが、実際の會津の書は活字のような字では全くない。ただ、字に精神性を込めるといった態度を否定したのだろう。これはよくわかる態度だ。梅原龍三郎の書は、そのような作品だったからだろうが、たっぷりとして、いかにも彼の絵のような雰囲気があった。色のついた色紙に絵具で書いたりしているので、よけいに絵に近い趣が出ていた。川端康成の書は以前川端康成展でよく見て記憶しているとおりで、いかにも川端らしい研ぎ澄まされた鋭敏さと不気味さがあって、あの老年の目のぐりっとした表情そのままと言ってよい。「文以会友」という字句をよく揮毫したそうだが、死の前年に孔雀毫の筆で書かれたものが展示されていた。何か夢に出て来そうな気味悪さと痛々しさが漂っていた。
 小倉遊亀は金箔を貼った色紙に「光明蔵」の3文字を書いた作品で、最晩年の落ち着きが見られるふくよかなものであった。女性ならではの包容力があり、川端の書と何と違うことかと思う。平櫛田中はあまり印象にない。何必館の主とは意気統合していたらしく、そんな交流の中から得た作品のようだった。奥村土牛も書は独特でよいが、それは落款の書体にすべて言い尽くされているところがある。次の富本憲吉は掛軸だったが、絵の部分は墨絵で、表装裂の部分は全部絵具で華やかに描いてある。楽しい、持っていたい1点だ。一文字は朱に金泥、中回しは葡萄文、上下は絣風に寿の字をアレンジして埋め尽くしてある。全体のたたずまい、色合いはまさに富本の色絵磁器そのもので、清潔な雰囲気が横溢していた。また良質の民芸的な味わいがしっかりとあることでも、同じように表装部分を描く中川の書とは大いに違っている。棟方志功はよく見る機会があるので言うまでもないだろう。「無盡蔵」だったか、かなり大きなサイズの作品で、その印象は須田に似たところがあるが、もっと破格で、あまり美ということを意識していない素朴さがある。それが須田とは少し違う。都会の須田と東北の棟方の差であろうか。洋画と日本画という差もあるだろう。加藤唐九郎の書はその作陶とは違ってあまりうまくない。何か腹立ちまぎれに書いた感じで、全くよいとは思えなかった。これも何必館の主との交流から得られたものだ。その意味では市場価値といったものを越えた意味が付加されている。主とのエピソードは今回の芸術家の中では最も面白いもので、それは加藤のある態度に物申した梶原氏に対して、加藤がむっとしたものの、後で書を送って来たとかいうものだ。これを読んで全く梶原氏の態度の方に好感が持て、同時に加藤のどこか胡散臭い様子が改めてわかった。胡散臭いというのはこの場合はほめ言葉でもある。それほどに加藤はどこか茫洋としたところがあった。陶芸家はそれでなくては、長年生き続ける大きな気風の作品はものに出来ない。最後に熊谷守一だ。これも何も言うことはないだろう。だが、昔初めて熊谷の作品を観た時、否定的な思いを持った。それは長年続き、今も完全に払拭していない。だが、近年は絵はようやくその味がわかるようになった。それと同時に字の方も何となく納得出来る。それでもまだまだと思っている。良寛の書ほどではないが。
by uuuzen | 2005-11-17 23:58 | ●展覧会SOON評SO ON
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