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●神社の造形―太秦の春日神社の「招き猫」
の目は飛び出た時に出鱈目な方向を向くので出鱈目という言葉が出来たのかと全く出鱈目なことを思うが、わからないことはそのように想像が膨らむのは誰しもだ。神社に祀られる神についてもそういうところがある。



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あまりにも古いことなので、証拠がない。だが、同じ場所に1000年以上も祀られて来たとなると、言い伝えも正しいと考えるべきだろう。何でも証拠を出せというのは現代のよくないところでで、証拠がなくても信じることはいくらでもある。その代表が神社と言ってよい。言い伝えこそが証拠で、書かれたものだけが正しいとは限らない。そういうものはいくらでも捏造が出来る。むしろ、現代で証拠としているものこそいかがわしいとも言えるのではないか。そえはさておき、筆者は右京中央図書館に行くようになってから、一時期は太秦地区を出鱈目に自転車で走ることが多かった。というより、毎回そうであった。梅津のスーパーに出るつもりであるから、南西方向に行けばいいのかわかっているが、道は碁盤目状にはなっていない。田畑であったところを新興住宅が建て込み、袋小路もある。それでも出鱈目に走っていると、いつかは見覚えのある道に出て来る。それで帰宅して地図を調べると、最短距離で走ろうと思っていたのが、かなり迂回していることに気づく。それで地図を印刷して次回は間違えないように最短距離で走るかと言えば、印刷するのが面倒であるし、また地図を見ながら走ることは出来ない。それに途中で立ち止まって確認するのが面倒で、結局次回すなわち2週間後はまた途中から道がわからなくなって出鱈目に走る。その繰り返しで今はようやく最短距離におそらく近い道順で図書館から梅図のトモイチまで出られるようになった。その道を最近家内と二度走ったが、家内は筆者があまりも狭い道をすいすいと走ることに驚き、自分ひとりでは絶対に同じ道をたどることが出来ないと言う。それほどに何度も道を曲がって進むのだが、家内でなくても誰でも何度か走ると慣れる。ところで、筆者は最短距離の道のりがわかったので嬉しいかと言えばそうでもない。出鱈目に走っていた時の方が先にどのような景色が広がるかわからない楽しみがあった。誰しもそうとは限らないが、決まった道を行くのは退屈だ。これは生き方を表わしているかもしれない。明日がどのようになるかわからないというその日暮らしは不幸のドン底と誰もが思うが、どのような金持ちでも明日どういう災難が降りかかるかわからない。安心を金で買う時代だが、絶対的安心など変えるはずがない。そして、絶対に近い安心を手に入れると、それはほとんど囚人と同じで、生きる楽しみがない。松下幸之助が母のために地震や火事で絶対に壊れたり燃えたりしない家や部屋を建てたということを昔読んだことがある。その時の筆者は、松下幸之助は親孝行かもしれないが、えらく小さな人間で、世間で大成功したと言われる人物でもしょせんその程度の頭かと思った。松下の母は牢屋同然の部屋で幸福を噛みしめたであろうか。まだテント暮らしのホームレスの方が気楽さを味わって幸福ではないか。豪華な旅行が出来る身分ではない筆者であるが、豪華な旅行をしている者が羨ましくもないし、右京図書館への往復は同じ道を通らず、必ず帰り梅津のスーパーに寄って買い物をして帰るという、筆者なりの出鱈目な道を行くことでもそれなりに充分楽しく、このブログのネタはいくらでも得られる自信がある。だが、前述のように最短距離の順路を覚えてしまったので、あえてそうではない道を行くことにしなければならないが、そう考えると自由でなくなる感じがして嫌だ。それに最短距離の道を知っているのに、あえてそれを外して走ることは、何となく住民の生活を覗き込むような一種の後ろめたさを覚える。最短距離を知らずに出鱈目に走っていた頃は、道を探すという目的があるから、袋小路に入り込んで住民に怪しがられても平気であった。
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 昨日は招き猫のことを少し書いた。筆者は猫も犬もあまり好きではない。だが、たまに猫や犬に出会うと、向こうからこっちにやって来て、特に犬の場合は筆者の股間を嗅ぐ。かすかな小便の臭いで、筆者の人格を判断しているのかと思うが、それは当たらずとも遠からずだろう。猫の場合は、餌をねだるのが目的で、いわゆる猫撫で声で近寄って来る。そして体や尻尾を筆者の足元にこすりつける。愛撫と餌をねだっているのだろう。猫はよく女にたとえられるが、全くそのとおりだ。さて、今週の月曜日、右京中央図書館にDVDを返しに行った時に訪れた神社4か所のうち、今日はその3か所目で、順序で言えば帰り道のことで4か所目に当たるが、猫つながりで今日書く。また今日の写真の神社は、出鱈目に道を走ってようやく最短距離のルートを知ったその途中にあって、すでに10回や20回は前を通っているが毎回通る時に意識するだけで、通り過ぎた後はすぐに忘れる。だが月曜日は違った。「ああ、そうか、ここにも神社があった」と思い、自転車から降りて撮影した。家内は先に行ってしまったが、今日の3枚の写真を撮って全速力で追いかけると、200メートルほど先で待っていた。その先をどう進むかまだ道を覚えていないからだ。それはさておき、改めて自転車を停めて神社を見たが、春日神社と彫った石碑が立つ。鳥居の前の道はとても狭く、たぶん自動車は走れないのではないか。走っても軽自動車で、1台で道幅いっぱいになる。また鳥居の前は民家の玄関で、住民を扉を開けるたびに目の前に鳥居が見える。そういう生活は珍しい。鳥居の真正面に民家があることは珍しくないが、鳥居の前の道幅がこの神社のようにあまりに狭いということはまずない。一昨日書いた齋宮神社では鳥居の前にバスが通るというので、境内が少し削られた。今日の春日神社がそうならなかったのはバス道ではないからとも言えるが、それにしても住宅地に囲まれたこの小さな神社を周辺の住民はどう思っているのだろう。神社であるからきれいにしなければならないが、地元住民はそのことに協力しているのだろうか。それにこの神社の由来を書いた立て看板がなく、西院にある大きな春日神社の末社かと思うが、実際はどうなのだろう。民家が建て込んだのは戦後のことのはずで、江戸時代は竹藪か畑にぽつんとあって遠目にも社が見えたに違いない。筆者が図書館からの帰りに出鱈目に自転車で走らなければこの神社を知ることはなかった。知ったところでどうってことはないし、またこの神社の由来がわからないではなおさら記憶に残らない。だが、現在の地にあることは誰かが最初に創り、筆者が知らないだけで、言い伝えは当然あるはずだ。またそれがあるから、地元住民もこの神社に対して半ば無視、半ば敬いながら接しているだろう。さて、最初の写真を撮ってすぐ、境内から猫撫で声がした。周囲の民家からかと思っている、すぐ近くだ。境内に踏み込むと、すぐ右手の高さ1メートルほどの小さな灌木の根元から聞こえる。そうして出て来たのが2枚目の写真の猫だ。シャターを押したのは、すぐに「前足を突っ張って大きく欠伸をした直後だ。筆者が猫の居眠りを覚ましたのか、あるいは人の気配がするので猫撫で声を上げて筆者を呼んだのか。猫をあやすことを知らない筆者はそそくさと境内から出て、そして3枚目を撮った。猫は遊んでくれると思っていたのか、何となく拍子抜けしたような姿勢だ。鳥居脇の「春日神社」と彫った石碑は鉛筆形の六角柱で、これは珍しいのではないか。鳥居はまだ新しいようだ。また朱塗りでないので、真正面の民家の人もあまり意識せずに済む。これが稲荷社であれば、狐の像を置くから、夜になると何となく不気味さが増す。境内が民家1戸分ほどしかないので、地元住民が集まって何か催しをすることは無理で、せいぜい猫が主となって人を招く程度だ。夜になると猫に餌をやりに来る近隣住民がいるかもしれないが、写真の猫は野良であろうか。飼い猫であれば、飼い主から出鱈目を書くなと苦情が出る。
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by uuuzen | 2015-08-27 23:59 | ●神社の造形
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