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●『江里佐代子・截金の世界』
4日に佐川美術館で観た。最初、東京の泉屋博古館の分館で開催されたので、江里の地元である京都でも、東山にある泉屋博古館で開催されると思っていたが、滋賀の、しかも辺鄙なところでの開催となった。



●『江里佐代子・截金の世界』_d0053294_0475682.jpgこれでは観る人もごく限られる。もっとも、あまり有名でない截金工芸であるので、京都で開催しても同じような観客動員しか見込めないだろう。これもTVで頻繁に採り上げられるなど、メディアがもっと宣伝すればある程度の数はどうにでもなるが、たくさんの人が観ればその後も人気が安定し続けるかどうかは疑問がある。芸能人が絵を描いて何度も話題を提供し、そのことで一部では大きな人気を博すのとは違って、もっと地味でも良質の芸術がある。この展覧会は正式には『金箔をあやなす彩りとロマン 人間国宝 江里佐代子・截金の世界』というかなり焦点がぼけたタイトルだが、そこまでたくさん説明しなければならないほど江里も、また截金も一般的ではないということだ。しかし、こんな長いタイトルにしていても、まだどういう展示物が並ぶのかぴんと来ない人が多いのでないだろうか。筆者も截金がどういうものであるかは知っているが、江里の作品はほとんど気をつけて観たことがないので、全く未知の作品との出会い期待して出かけた。江里の名前は、筆者のように京都の工芸界にいれば必ず知っていると言ってよい。その彼女がまだ若いのに人間国宝に指定されたことを数年前に知った時には半ば意外、半ばそんなこともあるだろうといった思いがした。意外というのは、年齢が若いことだ。江里は筆者より6歳年長で、人間国宝の認定は3年前であったから、57歳という計算になる。友禅でも人間国宝が今京都でふたり存命だが、ひとりはかなり高齢で指定があった。このような名誉は高齢まで制作を続け、それまでの仕事に対して御苦労様というねぎらいがあって授けられる感じが多少あるが、あるいは往年の時に授けて、その後もっと頑張ってその世界を引っ張って行ってほしいという期待も込められているだろう。江里の場合は完全に後者が理由となったに違いない。また、そんなこともあるだろうと思ったことに関してだが、人間国宝は陶芸や染織といった誰でも知っている工芸分野に指定されることが多い、あるいは目立つので、こうした珍しい工芸技法の截金から指定が出るのは、違う工芸ジャンルに光が当たる意味でいいことだと考えるからだ。だが、截金の世界に何人の工芸家がいるのか知らないが、かなり特殊な世界であり、おそらく江里以外にたいした人材はなく、それでいて抜群の技術によって江里ひとりが特別に目立っているため、業界を代表する人物に与えられる人間国宝指定は、何だか江里にはそぐわない気が正直なところする。もっと別の名誉の指定があっていいのではないだろうか。あるいは人間国宝も時代に応じて変化していると見るべきか。
 図録は買わなかったが、4ページの出品作品リストはもらって来た。それを見ると142点の出品でこの多さにまず驚く。それにぽつぽつと収蔵先の名前が目に入り、各方面に江里の作品をほしがっている人や団体があることがわかる。これから推察出来るのは、そこそこ安定した経済状態で、コンスタントに作品づくりが出来得る状態にあることだ。画家もそうだが、工芸家はもっと材料費や制作時間がかかるもので、そうして作った作品がある程度は売れないと生活が成り立たない。注文を受けずに勝手に作る作品が売れるには、普段の生活で作品を買ってくれるような、つまり生活にゆとりのある人とどれだけつき合いがあるかが大きく左右する。受賞したり、あるいはいい作品だとみんながほめてくれても、売れなければその作品を作るに要した費用や時間をどこで辻つまを合わせて回収するかが問題だ。結局有名になったり、そこそこ作品づくりに精出すことが出来るためには、作品を生み出す能力とはほとんど何の関係もない人脈の方が何百も重要だ。そして、そのためかどうか、工芸家では2代目、3代目が幅を利かす時代になっている。京都の友禅はまさにそうだ。人間国宝の孫が同じ友禅作家となり、もう各雑誌に登場するなどして、しっかりと金蔓の道は確保している。これは家元主義を重要視する日本独特の人間関係、社会関係であるので、それなりによさもあるとは言える。高価な工芸作品を買う人は、作品がいいから買うのではなく、その作家が持っている人間関係のようなものを買うのであって、人間国宝の家柄に生まれた作家であるから、きっとその人の作品も素晴らしいものだという妙な了解を抱いてしまう。簡単に言えば老舗を信頼するのと同様だ。だが、人間国宝はそんな商売のために設けられたものではない。あくまでも一代限りのものだ。だが、工芸というものが技術の伝承に負うところがかなり大であり、その中には秘伝となるような事柄もあるから、2代目、3代目、あるいは弟子筋といった人々が他に抜きんでて得意とする技法は確かにあるだろう。そこが工芸美術の特殊性で、しかもどこか芸術的革新といったこととは相容れない脆さ、いかがわしさを内在しやすい点と言える。ま、こんな話、いくらでも出来るが、ここで言いたいのは、江里も全く截金に関係しない家庭にいないのではないということだ。会場の最後にも数点出ていたが、江里の義父や夫は仏師で、江里の長男や長女も同じく仏師や截金をしている。元々は日本画を学んだ江里だが、仏師に嫁いで、仏像には書かせない截金技法をマスターして行った。仏像に関係した家柄の中から登場したことは、一代で友禅の人間国宝になったというのとはまた違う工芸作家のあり方で、江里の作品にはそうした伝統的な家柄とは無関係な普通の人が学んでも成し得ない技術の巧みさはあるだろう。だが、仮に普通の人が江里と同じような截金の作品を作ったとしても人間国宝にはまず指定されないに違いないような気がする。つまり、人間国宝の栄誉は、截金を施す仏像が今後ももっと技術が途絶えることなく続いてほしいという願いのようなものが指定した側にあったのではないかと思う。人間国宝は、そのままでは消失しかねない技術を保存するという重要な一面も持っているからだ。
 江里が工芸作家として作品を発表し始めたのは、出品作品リストによると個展や京展、伝統工芸展が中心で、個展は87年から行ない、90、93、97、99、01とコンスタントに続けている。筆者は京展、伝統工芸展には出品したことはないが、そうした公募展で受賞を重ね、注目を浴びたことで人間国宝の指定の話が起こったのだろう。しかし、それだけなら他にもたくさん同じような工芸作家はいる。にもかかわらず江里が指定されたのは、特別な何かがあったからに違いない。截金はそのものだけでは存在しない工芸と言える。何か物体に糸のように細く切った金箔を貼りつけて行くからだ。土台になる木工製品が欠かせない。その最も大きく壮麗なものが仏像だが、他に茶道で使用する棗や、あるいは文箱といった伝統的な道具類にも用いることが出来るし、実際江里にはその仕事が多い。だが、そうしたものだけに截金を施していたならば江里は人間国宝になっていないかもしれない。今回たくさん展示されていたが、木で作った円球に、ちょうど日本の手毬のような放射状の模様をふんだんに施したオブジェがたくさんあった。その少し大きなものなら真ん中でふたつに割り、中をくり抜けば香合にもなるであろう。小さなものは直径2センチ程度であったが、そんな球をたくさん串に通したり、あるいは同程度の径の円柱に截金を施したものを別に用意し、球や円柱の単位を組み合わせて枠にはめ込み、風炉先屏風を構成したものもあった。そこから見えるのは、緻密な截金を施した最小単位をたくさん接合することでひとつの宇宙を構成しようという思考だ。仏像もそれ自体で宇宙の体現だが、仏像の形を借りず、もっとシンプルな球や円柱を用いて半立体的、つまり平面作品に見える立体作品を作るという独自の創作を江里は見出している。これは現代芸術作家としての側面でありながら、截金技法は大昔からあるものという点で、いかにも人間国宝の指定にはかなっている。截金をただ仏像の着衣の文様表現に用いているだけならば、江里は人間国宝にはなっていなかったかもしれない。しかし、前述のように、截金はそれ自体では独立出来ない。たとえば江里が使用している球体や円柱は、木地師に寸法を伝えて作ってもらっているのであろうが、それはいいとしても棗や木箱となると、その形態のデザインは自分でしても、木地の仕上がりが作品をかなり左右するはずで、いくぶんかは木地師の功績だ。また、截金を施した後に漆を全面に施したものもあって、漆塗りの作業は本業に任せたのではないかと思う。ここにも工芸美術のいかがわしさのようなものがある。同じようなことは友禅作家でも言える。工程の多い友禅は下絵や彩色だけして、後は外注任せという作家がほとんどだ。重要な糸目の工程をあたかも自分でしたかのような顔をして澄ましている。何でもこなすより、自分は得意な分野だけやっている方が金儲けにもなるし、何でもひとりでやると言うのであれば、生地から自分で蚕を飼うことから始めればよいではないかと反論も出る。工芸ではどこからどこまでが自分が携わったかによって作品の質が変わるはずだが、それを見分ける鋭い目を持ったはごくごくごく少数だ。
 球はいろいろな色に顔料で彩色され、そのうえに截金が施されていたが、顔料を彩色するのは江里自身であろう。日本画を学んだ色彩感覚がそこには生かされているはずだ。日本画は金箔をよく使用するので、截金は江里には無理なく入り込める技法であったろう。金箔を熱して2枚貼り合わせ、さらにそれを4枚や6枚にして厚みを増してから竹を使用して目測で細く切る。このことには別に秘訣はない。誰もがよくしていることだ。そうして切った金箔の端を筆ですくい、もう1本の筆に浸した膠と布海苔を混ぜた溶液で截金を施す物体の表面にゆっくりと貼りつけて行く。たったこれだけの技法に過ぎないが、技術が簡単で何の種もないから、それだけに巧みなものとそうでないものとが一目瞭然にわかる。例えば紙に定規を使って5ミリ間隔の格子を鉛筆で引くことですらも、大抵の人は完璧にはなかなか出来ない。どこかかならず0.1ミリ程度は差が出来て、それが遠目にどうにも不揃いに見えてしまう。ところが江里の截金は幅0.2ミリ程度の金箔を全く均等間隔で平面に緻密に貼りつけてある。鉛筆か何かで下書きをしたうえに貼りつけているのかどうか知らないが、仮にそうであってもこの技術には舌を巻く。それには器用さもさることながら、注意力が抜群で、緊張に長時間耐えられる神経を持っている必要がある。ただし、糸のように細く均一の幅で切った金箔はみな直線であるので、截金は直線表現を前提とする。つまり、貼る進む方向から見て、大きなカーヴを描くことは出来ても、極端に径の小さい孤は描けない。直径2センチ程度の球面にびっしりと截金を施しているものも、結局は全部直線の集合であって、たとえば同心円を描くようには貼れない。貼って貼れないことはないだろうが、大変な無理があって、まず美しく仕上がらない。そんな截金仕事からふと思い出したのは、旋盤工や研磨職人だ。彼らもまたミクロン単位の精確な仕事を目と手で成し遂げる。截金の仕事は人間のそうした熟練の頂点にあってこそ可能になるものだ。そのため、あるいは誰でも訓練すれば江里と同じ仕事が出来ると言ってよい。ただし、そういう訓練の場はごく限られるし、江里のような仏師の家族であることは出来ない。それに江里の独創と言ってよい前述のカラフルな球体や円柱を組み合わせたような平面的立体的作品は美的感覚の産物だ。どれほど精確に物を作るかは今や芸術の根本とは思われず、むしろ軽蔑されている雰囲気すらある。本当の芸術とはそんな小手先のきれい事ではないというわけだ。全く馬鹿らしい意見だ。きっちり精確に描く技術や神経がなくて、なぜデフォルメが出来るだろう。最初からデフォルメしか出来ないものは、デフォルメではなく、ただの出鱈目だ。いや、しかし芸術はもっと多様で複雑なものだ。そんな決めつけをする一方からするすると別の芸術が顔を現わす。結局のところ、個々の作家が自分の思うところにしたがって芸を深めることしかない。そうして生まれるものはすべて芸術になり得るのだろう。
by uuuzen | 2005-11-15 23:57 | ●展覧会SOON評SO ON
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