●ムーンゴッタ・2015年7月、その2
着という言葉が思い浮かぶ。今日は3年ぶりの月に二度ある満月のその二度目だ。今月2日のその最初は広沢池に映える満月の写真を撮ろうとしたが、計画どおりには行かず、帰宅してから撮った。



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それで今夜こそと計画はしていたが、今日は愛宕山の千日詣りの日であることを1週間ほど前に気づいた。筆者は山登りが嫌いだ。辛い思いをして登山する人の考えがわからない。それはさておいて、隣りの自治会で数年前に会長をしたYさんは山登りが好きで、京都を取り囲む山をしばしば歩いている。愛宕山に限れば週に二度という。もう500回近く登ったそうで、筆者が興味を持つならいつでも一緒に登ろうと言ってくれている。昨日Yさんのことを思い出し、訪問した。午前中はあいにく愛宕山行きで、夕方に出かけ直した。率直に千日詣りに行こうかどうか迷っているが、Yさんはどうかと訊いた。Yさんは夜は登山しないらしく、一緒には行けないと言った。それでも当日は阪急嵐山駅前から臨時バスがたくさん出ているので、それに乗れば登山口まで連れて行ってくれるし、また当日は夕方以降大変な人出であるはずで、みんなにしたがって登って行くとよいと言われた。それで行くことにした。天気予報によれば雨の心配はない。飲み水と着替えのシャツ、そして履き慣れた靴、それに足元を照らすための懐中電灯を揃えること。Yさんから言われたとおりに準備をしたのは今日だ。そして、数日前から家内には千日詣りに行く予定でいるので、その心つもりをしておくように言っていたが、家内は半ば冗談と思い、行くならひとりでどうぞと取り合わない。だが、もう二度とない機会であろうから、絶対に一緒に行こうと主張し続け、ついに当日の夕方には家内はナップサックやリュックサックを取り出し、その中に必要なものを詰め始めた。家内は肺の病気にかかっているが、登山で息切れすることがいいのか悪いのかと言えば、筆者はたぶんいいと勝手に考えた。肺の細胞を活性化させるには、たまには肺を充分に動かす方がよい。それにどうにか愛宕山に行って来るだけの体力はあるだろう。筆者はと言えば、今日は睡眠不足なうえ、昼間に大いに汗をかき、かなりばて気味だ。それにもかかわらず、一旦決めたならば、実行したい性質だ。なぜ決めたかと言えば、いくつかの理由がある。まず、今夜は満月だ。その写真を愛宕山から撮りたい。たまにはそういう変化球がほしい。広沢池でもよかったが、より困難な愛宕山登山で撮る方が面白い。満月の夜に千日詣りが重なる機会はそうないだろう。満月が訪れる周期はだいたい30日で、つまり30年に一度と単純計算が出来る。筆者は毎月満月の日を「月齢カレンダー」というサイトで調べているが、今それで計算すると、前回の満月と千日詣りが合致した年度は1958年で、次回は2034年だ。前回は筆者が7歳で大阪に住んでいて愛宕山は知らなかった。次回は82歳になっていて、山登りは無理だ。つまり、人生で満月の夜の千日詣りは今夜しかなかった。そのことは知らなかったが、まずそんなところではないかとはぼんやりと思っていた。それで何が何でも今日は登りたかった。他の理由は、有名な「火迺要慎」の護符を買って来ることだ。Yさんによればいつ行っても大型のものは社務所で買えるとのことだが、ネットで調べると今夜のみと書いてある。どっちが正しいのかわからないが、ともかく大型の護符は頂上の神社でしか売られていない。それを入手するのは一度は愛宕山に登る必要がある。そしてどうせ登るのであれば千日詣りの今日がいい。そういうことは家内には言わず、ただついて来いだ。家内は筆者が冗談で言っていることとそうでないことの区別はつく。どちらも筆者は冗談めかして言うが、本気の場合は微妙は違いがあるようで、それを察するのだ。
d0053294_16323425.jpg 登山に持参して行くものとしてもっとほかに何が必要か家内はわからない。タオルたハンカチ、ティッシュなどは当然として肝心の服装が問題だ。昨日Yさんを訊ねると、「そんな恰好で充分やで」と言ってくれた。Tシャツにジーパンで、結局その恰好で出かけた。家内も似た身なりで、繁華街を歩くのではなく、夜の登山で誰も他人の服装など気にしていないので、多少不恰好でもいいということで意見が一致した。問題は懐中電灯だ。わが家には小さなものが1個ある。大型のものもあったはずなのに、夕方6時頃に探すと見つからない。そうこうしている時に自治会のFさんが回覧文書を配って来た。それでFさんに登山のことを伝え、懐中電灯を借りることにした。30分後にFさん宅に出かけ、その途中左手を向くと黄色い満月が雲ひとつない夕空に浮かんでいた。Fさんから懐中電灯を借りながら、Fさんに質問した、愛宕山に登ったことがあるかどうかだ。若い頃に何度か登ったことがあるとのことで、京都の人はたいていそうだろう。Fさんが言うには、下山の方が疲れが出て足元がふらつくとのことだ。それに筆者や家内の体力のなさを思ってか、また何を急に思いついて山登りなするのかという顔つきであった。それは筆者も同感で、行く直前になってもまだ信じられない。決めたことが先に進んで行き、筆者はそれについて行くという気分だ。誰でもそんなところがあるのではないか。神風特攻隊もそうではなかったかと思う。一旦決めると、その決めたことが何よりも重要で、侵すことの出来ない義務に思えて来る。つまり、一旦決めると後は楽なのだ。決めたことを遂行するだけで、また遂行中は精神が高揚しているから気分はよい。そこに人間の危険な心理がある。決めても後戻り出来る思いを残しておくべきであるのに、時にそれがすっかり忘れ去られる。筆者の場合はどうであったかと言えば、愛宕山については嵐山に住んでからずっとそれなりに気がかりであった。京都に出て来た頃は梅津に住んでいて、そこからも愛宕山は見えたが、山登りに関心のない筆者で、まさかその山に登るという考えは生まれるはずがなかった。ところが、すぐに愛宕山に登るということを間近で知った。京都に出て友禅の師匠に弟子入りした翌年のことであった。師匠は千日詣りに家族で行くので、一緒に行かないかと筆者を誘った。耳を疑った。梅津から歩いて清滝まで行き、そこから登り始めるという。片道10キロはないが、山道であるからしんどさは数倍だ。筆者は早足で、また歩くのはあまり苦にならないが、山道は例外だ。学校を出て大阪の設計会社に入社したその年、上司から六甲山の登山に誘われた。昨日書いた友人Nは1年先輩で、同じ上司の部下であったので、一緒に行くことになった。六甲山の麓から頂上までとてもきつかったが、山頂近くに到達してから道がなだらかになると嘘のように元気になり、上司からひやかされた。その時筆者が言ったのは、「アスファルトの道は慣れています」であった。友禅の師匠から誘われた愛宕山は六甲山とほとんど同じ標高だが、愛宕山は山頂が尖っていて、また六甲のようには開発されていないこともあって、より峻厳な気がした。六甲山の記憶はほとんどないが、途中で垂直に近い岩場があって冒険している気になったが、Yさんによれば愛宕山は上りの際は左手が崖で、そこからたまに落ちる人があるなど、六甲以上に危ない山道を想像した。しかも夜で、足を踏み外す可能性は昼より大きい。それで家内と筆者と1個ずつ懐中電灯が必要だと考えたが、行く間際になってFさんから1個借りる始末で、いかに筆者の決定が行き当たりばったりであるかがわかる。それに、行く寸前になっても実感がない。山の登るのは筆者や家内であるのに、何となく他人事だ。それで自己撞着という言葉を思い出した。とはいえ、前述のように、愛宕山はそれなりに昔から筆者の気になる存在であった。友禅の師匠から誘われて断ったことが一種の傷、負い目となっていて、それを払拭するにはいつか登ってみなければと思っていた。
d0053294_16324957.jpg その後、愛宕山登山について意外なことを従姉から聞いた。それが7,8年前のことだ。従姉夫婦は孫が生まれたのを機に、二度愛宕山に登ったそうだ。そのことを昨日電話して知った。筆者はてっきり千日詣りで登ったと思っていたが、そうではなかった。京都では子どもが生まれると、その子を連れて家族で登山する風習があるという。そうすると、生まれた子は将来火災に遭わないなど、火の難から逃れると言われている。京都は家事で市中が丸焼けになるような町であったが、そのために火事にはどの家も極力気をつけるという考えが強く根づいている。鉄筋コンクリートの建物が増えてからもそうで、京都では火事の件数は少ない。そして、愛宕山に年に一度は上り、「火迺要慎」の護符をもらって来るという風習もまだ残っている。昨日ベルギー生まれのジプシーのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトについて書いたが、ジプシーの移動住居である馬車、今で言えばキャンピング・カーは、ジャンゴが子ども時代はまだ火の不始末で一気に燃える木造であったから、一旦火が出てしまうと、それを消すのは難しかったのだろう。それでジャンゴは大やけどを負ってしまう。ジプシーにも「火迺要慎」の守り神に似た何かがあると思うが、京都では愛宕山が今なおその代表格となって北西から市中を見下ろしている。わが自治会からは愛宕山はよく見える。それが強く気になり始めたのは、Yさんが週に2回登っていると聞いてからで、その一方で従姉の家族が二回登ったことを思い出し、電話したが、従姉は片道3時間半かかったと言う。もう死ぬと思うほどしんどかったそうで、筆者が千日詣りに夜に登ろうかと思っていると言うと、信じられないという声であった。そう言われるとたじろぐが、決めたことだ。それに片道3時間半かかったとしても往復で7時間、清滝口までも往復を入れても一晩で帰って来られる。たぶん深夜3時頃になるだろうが、いつ寝るのはその時刻であるので眠気は心配ない。心すべきは足元が暗くて階段を踏み外すことだ。Yさんによればずっと電灯が頭上にあるので、どうにか足元は見えるとのことだが、より用心するには懐中電灯があった方がいいとのことだ。Fさんにそれを借りて家に向かう途中、また満月が目に入った。帰宅してすぐにカメラを取り、ふたたびFさん宅に向かいながらその途中で撮ったのが今日の最初の写真だ。それを撮って家に戻り、そしてしばらくして阪急嵐山駅前に停車中の京都バス清滝行きに乗った。Fさんに懐中電灯を借りに行く途中、清滝行きが発車しているのを見たが、誰も乗っていなかった。午後7時ではまだ早いのだろうか。多少心配になったが、それから30分後のバスは、満員となった。さて、愛宕山登山の目的は満月の写真を撮ることにもあった。登山中多くの写真を撮ったので、それらを3,4回に分けて今後投稿するつもりでいる。そうそう、愛宕山に登ろうとしたのは、4日前から「神社の造形」と題して投稿し始めたこととも大きく関係している。その最初の投稿をした時には愛宕山に登り、その話題につなぐにはいいと思った。つまり、このブログの投稿の連続性、関連性の意味からも愛宕山に登るべきと決めた。それは自己撞着とは違って、全くの計画どおりということが出来る。だが、思いのままをやる筆者なのか、その思いが矛盾だらけであるのかはなかなか自分ではわからない。今日の2、3、4枚目の写真は、また登山の投稿時に説明するが、簡単に書いておくと、2枚目は5合目、3枚目は頂上、4枚目は帰りの清滝で撮った。これほど見事な満月はないというほどの明るさで、一片の雲もなかった。
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by uuuzen | 2015-07-31 22:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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