●薔薇の肖像、その11
殺と表示されてどきりとした。忙殺と書きたかったが、「忙」は当然冒頭の一字としてとっくに使っている。それでたまたま表示された謀殺の「謀」を調べると、使っていないことがわかった。



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「謀」は「はかりごと」でもよくないそれを意味することが多いので、筆者が普段使う語彙の中には含まれていない。だが、世の中にはよからぬことを考える人があることを自覚しておく必要はある。それで国家は軍備をしておく必要があるとの考えも出て来るが、人口が多い国家は少ない国家より力をよりつけるから、世界を見わたすと、これからは中国の時代になるとの思いを誰しも抱く。だが、国が大き過ぎるとまとまりがつかなくなって、分裂する確率が高くなり、必ずしも人口が多いという意味での大国が何事においても勝利するとは限らない。日本の国会は今、憲法の解釈で揉めているが、自衛隊を軍隊として世界のどこででも戦わせる国にしようとの発想は、日本だけが戦争しませんでは通用しない時代になっているとの考えが元になっている。つまり、先進国らしく日本も軍隊を派遣して正義を守ろうということだ。そのことがアメリカから求められているのかどうか知らないが、そうであればアメリカの言いなりがいつまで続くのか、敗戦がいかに長年影響を及ぼすかを思う。日本は日本なりの世界平和に対しての行動があるはずとの意見は、世界平和に対して創造的な行動をすべきということだ。これは政治家には通用しないだろう。創造性が欠如した連中が政治家になるからだ。そうであるから、いわば世界の趨勢に倣えばよしで、その結果、国がひどいことに巻き込まれてもそれはその時考えればよいとの能天気ぶりだ。だいたい日本は創造的な国かどうかだが、戦後はアメリカの模倣から始まり、それをうまく工夫することで高度成長を遂げたのであって、創造性はないとは言えないが、独創というほどのものはあまり持たない。特に駄目なのが政治家だ。だが、どの国でもひどいことを考える政治家はいるし、そういう連中が謀を巡らして他国を攻撃することは大いにあり得るから、日本の政治家もやくざとほとんど区別がつかない連中がいたとしてもそれはそれなりに必要であるとも言える。ただし、あまりにも創造という言葉からは遠い連中ばかりが目につく。それはどうでもよい。最近多忙で、このブログのネタはたくさんあっても、書くのにそれなりの考えのまとめと、思い切りが必要な内容は後回しになる。1日遅れはまだいつでも挽回出来る自信があるが、2日、3日と投稿が途絶えると、その遅れを取り戻すのは累乗の面倒を感じるはずで、どうにか1日遅れでもそれを保ちたい。それで今日はまた久しぶりに薔薇の写真を載せるが、これは昨日書いたように、家内と一緒に行った病院の玄関近くで赤い薔薇と深い臙脂色の薔薇が10個ずつほど花を咲かせているのを10数メートル離れて確認しながら、カメラを持って行かなかったので撮影出来なかったことが多少の悔いとなったためだ。今日は家内と伊丹と芦屋の美術館に行って来たが、塚口から伊丹線に乗り換え、3つ目の伊丹駅で下りるのに、ひとつ手前の新伊丹駅前で薔薇がたくさん咲いているのを車中から見かけ、美術館を見た後、帰りに下車して撮ろうと決めた。そしてそのとおりにしたが、駅前はロータリー風になっていて、丸い敷地内の中心に噴水があり、それを囲む形で薔薇がたくさん植えられている。昔からそれに気づいていて、「薔薇の肖像」と題して投稿するようになってからも、新伊丹駅のその小さな薔薇園については書いたと思うし、そうでなかってもいつか撮影してもいいと思っていた。今日は全くそのことを忘れながら、たまたまその薔薇園が見える方向の座席に座ったので、多くの種類の薔薇が咲いているのが見えた。もし反対側の座席に座ると見えなかったが、思い返すと、筆者は必ず伊丹線では北に向かう電車の東側に座って西の風景を眺める。それに塚口発で、座れないことは絶対にない。
d0053294_2161290.jpg 筆者のカメラのスマート・メディアは32MBで、写真は100枚近く保存出来る。ところが、写真を加工する際に差し込み方が悪かったことがあって、その日を境に30枚ほどしか撮影出来なくなった。残りの部分は解読不能になっていて、そこには見たい写真がたくさんあるのに、どのようにしても復元出来ない。だが、30数枚しか撮れない状態は筆者には案外ちょうどいい。フィルム時代の感覚で撮影すればいいからだ。フィルムでは1枚でも無駄にしないようにと真剣にシャッターを切ったし、また1日に30数枚も撮れば充分で、それらの写真を加工した後、消去することを豆に繰り返すと、出かける時はいつも30枚しか撮れないフィルム・カメラを持っている気分だ。細かいことを言うようだが、その30数枚のうち、5枚は家内が映った写真で、それをたとえばヤフー・ボックスにでも移し代えればいいものを、街中のカメラ屋で焼くことを考えていることもあって、入ったままになっている。そのため、撮影出来る枚数はさらに減って30枚弱だ。それでもフィルム時代の思いになれる。だが、数日前に撮った写真が4枚ほどあり、それは加工せずにそのまま入っているから、またさらに減って25枚ほどしか撮影出来ないことを知りながら新伊丹駅に降り立った。家内は何のことやらわからずに着いて来たが、筆者が駅前の薔薇園で早速写真を撮り始めたのを見て、黙って日傘を差して立っていた。筆者は次の電車が来るまでの15分か20分あれば、充分に25枚ほどの写真は撮れるはずと思っていたが、残り枚数の表示が1になるまで撮った時、背後の踏切が鳴り始めた。それと同時に家内が大声で筆者を呼び、また踏切をくぐれないことに立腹している。さらに15分か20分も炎天下で待たされるのは誰でも腹立たしい。踏切の前で筆者は電車が通り過ぎるのを待ち、踏切が上がった途端にダッシュして、その電車に乗ることが出来たが、その自信はあった。家内は「先に行って扉を開けておいて!」と叫ぶが、それでも待ってもらっても5,6秒だろう。家内も走って来たのでどうにか車掌に待ってもらって乗ることが出来たが、そのように慌ただしい15分か20分の間に撮った写真は23枚で、そのうち2枚は焦点を合わせたはずの薔薇の上部が切れていた。シャッターを押した瞬間それは感じたが、それほどに次々と慌ただしく被写体を求めて移動した。2枚のうち、ましな1枚を今日は最初に載せる。筆者が撮りたかったのは左上の大きな花で、それを真正面から捉えている。その花を250×250ピクセルに加工し、花の色が白から色の濃くなる順に並べ、4枚ずつ組み合わせるが、21枚では1枚あまる。それをどれにしようかと先ほど考えあぐね、決められなかった。それで今日は没にすべき写真をわざわざ載せる。そして、この写真の大きな花が使えないとしても、右下の横向きの小さな花ならどうにか使えないこともないと考え、それを250×250に加工してみた。それが今日の2枚目だ。この駅前の薔薇園は誰が手入れしているのか知らないが、住宅地に潤いを持たせるために市役所か阪急かがかつてロータリーを計画したのではないだろうか。伊丹駅界隈が繁華街で、またJRと近く、伊丹市の中心となっているが、新伊丹駅は住民の要望に応えて新しく設置したのでその名前があるのだろう。それほどに両駅の間は距離が短く、1キロもない。家内の肺にはあまり苛酷な運動はよくないが、かといって体をあまり動かさず、肺を活発に働かせないとかえってよくないかもしれない。炎天下に咲く薔薇で、大半はもう元気がなかったが、まだどうにか立派な形のものも混じる。
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by uuuzen | 2015-07-12 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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