●高速道路の異様な威容
d0053294_13414536.gifや銃殺では野蛮というので、アメリカでは電気椅子が発明されたのだろうが、電気代が惜しいということになると、また昔の殺し方が復活するかもしれない。



何年か前、誤って指先に縫い針を突き刺したことがある。針が肉の中に食い込む間、背中に冷たいものが走り続けた。それは0.5秒ほどだと思うが、数秒ほどに感じた。その感触は今も覚えているが、針ではなく、たとえば刀で身を切られる時も同じぞっとする感覚が生じるのだろう。針を指先に刺して最初に思ったことはそれだ。体に電気が走ると言えばいい。となると、感電死する時の感触は刀で身を切られたり、突き刺されたりする時と同じと言えるかもしれない。となると、せっかく磔の刑をやめて文化的な電気椅子に代えたというのに、殺される方は昔と変わらない思いをして死ぬ。実際そのとおりのはずで、死刑の方法は殺される側よりも殺す方の思いを重視している。それはともかく、身体が危機を感じた時には、ぞくっとする嫌な気分が電流のように流れるのは確かだと思う。昨夜取り上げた映画では主人公が電気椅子に座らされる場面までは映らなかったが、10年近く前か、家内の甥が電気椅子で死ぬ際の映像があると言ってその様子を笑いながら説明してくれた。すぐには死なないらしく、全身がびくっと震えて髪が全部逆立つといったことになるらしいが、今ではYOUTUBEで見られるのかもしれない。筆者はそのような映像に関心はないが、電気椅子の処刑も見せしめにはなると考えられて撮影されたのだろう。戦後の日本がアメリカの多くのことを模倣しながら、なぜ死刑だけは電気椅子を導入しなかったのかは不思議だが、やはり電気代がかかり過ぎるとの判断か。それはさておき、昨日取り上げた映画では、まだ高速道路がなかったのか、トラックも走る道路際で主人公がヒッチハイクする光景はかなり危険なことを思わせた。日本が高速道路を造った最初は1963年の名神高速道路で、10円の記念切手が発売されてよく覚えているが、それ以降高層道路網は留まることを知らず、今後も細かい網の目のように建設が続くだろう。たぶん1000年先になってもまだ新しく造っているはずで、その一方で1000年前のものを改修している。ブリューゲルの『バベルの塔』と同じで、人間のやることは500年程度では変わらない。だがその一方で筆者が想像するのは、1000年も立たない間に、自動車に代わる乗り物が生まれていることだ。高僧道路は不要となり、昨夜の映画のように、だだっ広い土地にただ舗装しただけの道路というものだけで事足りているか、あるいは車用の道路がなくなっているかもしれない。そう考えると、高速道路の異様な威容は、頑丈に出来ていても、一時の夢のようで、あまり気にならない。筆者は運転しないので、道路について関心がなく、したがって新しく開通した高層道路のルートやその名称も知らないが、今はネットで簡単に調べられるので、今そうしてみた。知りたかったのはまず信楽のMIHO MUSEUMに行く際にバスが走る高速道路だ。それがどこからどうつながっているのか知らなかったが、新名神高速道路と呼び、草津から東へ分かれて次のジャンクションが信楽だ。その間15キロほどだが、そこから山道を走るのが長い。それはいいとして、もうひとつ気になるのが、京都の大山崎ジャンクションから伸びる高速道路で、これが東には久御山とつながるのは予想していたが、西はどこへ伸びるのかと言えば、西京区の沓掛だ。初めて知った。沓掛から久御山に行くのに便利になったが、この京都縦貫自動車道路と京滋バイパスは、名神高速道路と交差し、京都市内を避けて地方と地方を結んでいる。そういう道路が必要なのかどうか、そこはいろいろと算盤を弾いて計画したものであるだろうが、かなりの部分は机上で発案されたものではないか。つまり、「このように高速道路をつなげると新しい世界が開ける」といういわば先行投資だ。だが、その考えでいつまでも高速道路を日本中隈なく造り続けることが出来るだろうか。
d0053294_1393878.jpg

 地方から不平不満は絶えず生じ、政治家はそれを聞きながら、1000年経っても新しい高速道路を造っている。近年若者が車離れを起こしているというが、それは維持費が大変であるからだ。車がなくては生活出来ない田舎は困るが、都会に住んでいると、市バスや電車など、移動に困らない。それに、近年は駅前マンションがブームで、車を持たずに生活出来るというのが売り文句になっている。だが、どの駅にも高層マンションが建つ土地がなくなると、不動産業者はまた地方に住むのがリッチだと宣伝するに決まっている。さて、今日の写真は大山崎山荘美術館の2階のバルコニーに出て西を見たもので、新緑を過ぎての頃でもあるからか、樹木が数年前の記憶と違ってかなり背丈が伸びている。それはいいのだが、驚いたのは遠くに高速道路のY字型の青い橋脚がいくつか並んでいることだ。それは4年前、背割り堤の桜を見に行った時に工事中であったのだろうか、それともその後か。地図を見ると、京阪八幡市駅から北へすぐの御幸橋を越えて背割り堤に行ったが、御幸橋に平行して下流側に古い橋脚が見えていた。それは古い御幸橋であったのだろう。今はもう取り壊されたのではないか。筆者らがわたった新しい御幸橋のすぐ上流側に拘束道路が走り、大山崎まですぐだ。徒歩で御幸橋から大山崎まで行けるのかどうか、そこを知りたいが、高速道路とは別の車道は走っている。ともかく、車が高速で走るのに便利な世の中となり、多額の税金がそのために費やされるが、自転車や徒歩で便利になるようなことは度外視されている。そのために、異様な威容の高速道路と皮肉も言いたくなる。大山崎山荘美術館2階のバルコニーには喫茶室のテーブルと椅子が置かれて、眼下の雄大な景色を眺めながら寛ぐことが出来るが、山並みを含めた眼前のパノラマのどこに何が位置しているかの説明図がある。それは昔の絵地図風に描いたものを特殊印刷した陶板らしきもので、なかなか正確でまた味わいがある。開館当初ではなく、4,5年経ってから東に向かって右手の壁に嵌め込まれた。ところが、そこには当然今日の写真に写る京滋バイパスは描かれていない。また、それが開通する前に描かれたことがよかった。昔の絵地図風に異様な高速道路は似合わない。ただし、断っておくと、最初の写真は最大ズームにして撮り、その写真を500×360ピクセルにトリミングしたもので、バルコニーから見える実際の風景は2枚目の写真に近い。いかに緑が多いかがわかるが、いっそのこともっと繁茂して、高速道路が見えないようになってほしい。写真左下にあえてバルコニーの角を写し込んだが、もうひとつ気を配ったのは右上の黒っぽい山裾だ。それは男山で、それと大山崎山荘がある天王山に挟まれて背割り堤がある。今度は男山の山頂から背割り堤や天王山を眺める写真を撮る番だ。それと、先に書いたように、京阪八幡市駅から御幸橋をわたり、その足で今度は桂川をわたって阪急の大山崎辺りまで歩けるかどうかだ。従姉の旦那さんが自転車で梅津から背割り堤が真正面に見えるところまで行ったそうで、筆者も自転車で逆に大山崎から桂川を越え、そして背割り堤に入ってみるのもよい。往復30数キロで、自転車乗りには楽勝の距離だろう。だが、筆者のオンボロ自転車では、高速道路を車で走る人たちからは、異様な威容に見えるだろう。それでも磔にされることはないから、「いいよう♪」と思っておこう。ただし、帰宅すると両膝に電気が走ったような冷たい、ぞっとする感覚が襲うかもしれない。
d0053294_1395589.jpg

[PR]
by uuuzen | 2015-07-08 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


●『陽のあたる場所』 >> << ●身代わりの泰山ボックン
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
漢詩や篆書など、中国のサ..
by uuuzen at 12:57
サーチしました所、ビスタ..
by インカの道 at 11:38
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.