●渉成園(枳殻邸)、その4
窃はどこまで厳密に定められるか。時代によって、また国によってもその考えは違う。それをいいことに、著作権の考えが認識しているのに、剽窃やそれぎりぎりの行為をする人がいる。



d0053294_1261839.jpg

数日前、韓国の52歳の小説家が三島由紀夫の小説から剽窃したと指摘を受け、それを認めた。だが、本人はいつ三島の本を読んだかあまり記憶にないらしく、またどの程度を引用したのか、ネットには詳しく書いておらず、著作侵害に当たるのかどうか筆者にはわからない。そのことより、今日はまた日本の小説家が沖縄の新聞を潰せなどと発言したことで国会で揉め、小説家は冗談で言ったと釈明したが、その小説家が有名になったきっかけとなった作品は、ある作家の小説を剽窃したものとの評判で、それを読んでどうせその程度の才能だろうと思った。それで筆者は他人の作品を剽窃したことがあるかとなると、このブログでわかるように、名文に関心がなく、真似したいような文体に出会わない。筆者は昔から何でも自己流であった気がする。友禅の作品にしてもそうで、公募展で多くの作品が並ぶ中、筆者の作品は遠目にすぐにわかると何人かから言われたことがある。独特なのだ。10数年前、室町の呉服を扱う業者が、筆者の作品を売りたいと言って来た。10点ほど貸したところ、1か月ほど後に全部戻して来たが、すぐにまた借りに来た。筆者の作品はあまりに独特で、地方の呉服屋が京都の問屋に買い出しに訪れても、まず買わないが、そういう店主の中にその独特さが目に焼きつき、売りたいと思う人がいるとのことで、結局1点だけだが則金支払いで買ってもらった。画商が訪れて屏風をそのようにして現金支払いで持って行ったこともあるが、いつも筆者は安く言うので、相手は一瞬狐につままれたような顔つきになり、札を数えて作品と交換して行く。そうした人が相手にいくらで売っているかわからないが、筆者に支払う倍以上であるのは確かだ。そう思うとアホらしいが、筆者は家に籠って営業しないので作品は売れない。それはさておき、友禅に限らず、作品制作は剽窃がつきもので、全部丸ごとなら模写だが、部分を引用して自作に仕立て上げることは毎日、今この瞬間でも行なわれている。また友禅の話をすると、作家が苦労して作ったキモノは、着用時には見えない場所にもたくさんの柄を入れている。美意識がそうさせるのだが、問屋はとにかく安価で製造して少しでも高く売るのが目的で、そういう作家の作品を参考に、着用時には見えない部分はすべて無地にし、また肝心な箇所も柄を省いて、とにかくエキスだけを剽窃する。それは著作権侵害に当たらないとの考えだ。色や文様の大きさを変えるなどすると、確かにそうだろう。先の韓国の小説家も同じ考えであったかもしれない。作品としての小説全体が似ておらず、1,2行の表現が瓜ふたつであるだけでも剽窃者と言われるのであれば、音楽家や画家はどうなるのだろう。1,2小節が同じ曲、あるいは同じに見える写実画の部分はいくらでもあるのに、剽窃という言葉は聞かない。小説に厳しいのは、それだけ文学の地位が音楽や美術より高いからで、それでノーベル賞もあるのだろう。つまり、人は文字に敏感ということだ。筆者のように毎日こうして書いていると、他人の文章を読む暇がなく、剽窃しようなどと思ったこともないが、その代わり、剽窃したいと思わせる名文とも縁がなく、他人に敏感になってもらえることがない。
d0053294_1263462.jpg 枳殻邸を訪れた感想の4回目に剽窃から書き始めたのは、理由があってのことではない。思いつくまま書き始めてさて話題をどうつなぐか、今考え始めている。これが独学の強みみたいなものだが、他人は剽窃のしようがないだろう。前回書くつもりでいたことを思い出した。印月池に架かる太鼓橋は侵雪橋と呼ぶが、その上に立って撮ったのが前回の写真で、その1枚に写る印月池に浮かぶ島について少し書いた。島はふたつあって、侵雪橋とつながるのが五松塢(ごしょうう)で、その名にあるように5本の松が植わっていた「塢」だが、「塢」はパンフレットによれば「土手」の意味とある。橋をわたってこの五松塢を巡る順路となっているが、とても狭く、また急な階段を上ると、てっぺんに縮遠亭という茶室がある。そこには入ることは許されないので、早々にまた下りて次のコースへと至るが、それほどに五松塢は狭いところで、油断すると池の中に落ちそうな気がするほどだ。もっとも、筆者らが訪れた時、先客が数人ぐずぐずしていて、なおさらそう感じたのだろう。五松塢はどのようにして築いたか。庭に関心のある人なら思う。池の中に建物が建つほどの島があるというのは京都市内では珍しい。というよりあり得ない。パンフレットによれば、秀吉が築いた御土居を活かしたものらしい。つまり、枳殻邸の庭を造るに当たって、石川丈山は御土居を全部取り壊さず、その一部を残して池の中の島とした。あるいは丈山以前に御土居は部分的となっていたのかもしれない。現在御土居はごく断片的にしか存在しないが、枳殻邸の中にあることは知らなかった。御土居の外は洛外で、枳殻邸の東端より向こうは、上品な人は多く住まない地域であった。枳殻邸の東は河原町通りで、その向こうはすぐに鴨川だ。六道珍皇寺は鴨川のまだ向こうにあるが、平安時代はその寺の門前は野辺送りをした場所とされ、御土居の意味するところが何となくわかる。京都は今でも地域によって住民の質が異なるとされるが、それはたとえば芦屋と尼崎の違いもそうで、100年や200年では変わらない土地の雰囲気というものがある。それはともかく、御土居を残して庭を造るのは、なかなか合理的な考えだ。取り崩す手間がかからず、また庭が完成した時には立派に見えるから、丈山はリフォームの達人であったことになる。リフォームはもちろん剽窃ではない。用済みのものを新たに活かすことで、先の韓国の小説家も、三島ではなく、無名の作家ないし人の文章を切り貼りして小説を書けばよかったかもしれない。そのようなことは、大学の教授などが論文を書く時にすでにやっていることだが、他者の論文はすぐに見つかってしまう。筆者が言いたいのは、たとえば筆者のこのブログから適当に文章を写し、それらを組み合わせながら、他者あるいは自分の文章も使って合成すると、超現実的なただし出鱈目に近い、また面白い作品が出来るかもしれないことだ。そういうことを美術ではアッサンブラージュ、パピエ・コレ、コラージュなど、いろんな用語でひとつの表現形式としている。それを文章でやっている人はいると思うが、著作権に抵触しないように名作が出来ないものか。話を戻して、侵雪橋の中央に立って写真を撮ったのに、五松塢から撮らなかったのは、先に書いたように、せせこましい道で、しかも人で混み合ってゆっくりカメラをかまえる気になれなかったからだ。それより大きな理由は、この島からの眺めは枳殻邸の西部分の建物群で、さほどよくない。この島は西から眺められるものと言ってよい。あるいは縮遠亭の中に入ってゆっくり出来ればまた思いが違うだろうが、それが許されないでは、そそくさと去るしかない思いにさせられる。
d0053294_1264741.jpg 五松塢の北にもうひとつの橋がある。安政の大火以前は朱塗りの欄干を持つ反り橋であったとパンフレットに書かれていて、侵雪橋からの眺めがよかったはずだ。現在でもそうだが、反り橋ではなく、朱色に塗られてもいない。ただし、平安神宮の泰平閣に似た屋根つきの橋で「回棹廊(かいとうろう)」と呼び、これはこれでよい。縮遠亭と同じく、明治17年頃の再建だ。長さは20メートルもあるだろうか、泰平閣に比べるとかなりこじんまりしているが、こっちが10年ほど先に出来た。今日の最初の写真はその南端に至った時に撮った。奥に女性ふたりと男ひとりが談笑していて、しかもなかなか動かないので遠慮したが、筆者らが入って行くと、姿に気づき、立ち去った。ただし、順路どおりに北に進まず、南の五松塢に向かった。2枚目の写真は回棹廊の中央に立って西を見た。奥に見えるのは侵雪橋ではない。小さく三角形の屋根が見えているのは、修理中の傍花閣の奥にある園林堂だろう。桜や紅葉の季節はこの写真は色づく。3枚目は奥に進んで南の五松塢を眺めた。建物は縮遠亭で、島の高さがわかると思う。階段が見えているが、それを下りて来たのではなく、階段下にある池沿いの細い道をたどって来た。水面はもちろん印月池で、五松塢と侵雪橋によってそれは南北に二分されて見える。また、北側に位置する部分は睡蓮が繁茂しておらず、陽当たりが悪いのかもしれない。何となくそういう陰気臭さがあった。パンフレットで知ったが、回棹廊の東は岸が近く、そこは藤棚があって紫藤岸と呼ばれる。そのすぐ背後は河原町通りだ。4枚目の写真は回棹廊を北にわたり切って数メートルほど順路を西に取って撮影した。左手奥に侵雪橋が見えていて、ちょっとした森のようでいい。この眺めは丈山が見たものとさほど変わらないのではないか。ビルが見えないのが何よりいい。手前に小さな石橋があるが、筆者らはそれをわたらず、写真右端にわずかに見えている道を進んだ。そこは右手すなわち印月池の北側に楓がたくさん植えられていて、秋はこの付近は赤く染まって美しいだろう。池沿いの道は西に向かっていて、それを抜けると、芝生が広がる公園のような雰囲気のところに出る。その北端に井戸を見かけた。これは表面を六角形に大きな石で枠取りされて、「亀の甲の井戸」と呼ばれるが、中を覗くと水は見えず、深さ1メートルほどのところまで埋められていた。パンフレットによれば中心に井筒が埋められ、井戸となっているとある。真上から眺めたのではなかったので、そこまではわからなかったようだ。さて、枳殻邸についてはもう1回分の写真が残っている。パンフレットからの引用は剽窃にはならないと思うが、後ろめたさは多少ある。
d0053294_126575.jpg

[PR]
by uuuzen | 2015-06-26 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


●緑の絨毯とタペストリー、その28 >> << ●飛び出しボーヤ、その26
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
> フランクザッパさん ..
by uuuzen at 17:50
コメント欄がわからなかっ..
by フランクザッパ at 13:51
ご指摘どうもありがとうご..
by uuuzen at 12:22
Frank zappa ..
by ザッパ at 08:30
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.