●緑の絨毯とタペストリー、その28
の中に最後は入ってしまう人間だが、先ほどのネット・ニュースで、ドラム式洗濯機の中に7歳の男子が入って死んだことを知った。胎内に戻りたい思いがそのような行為に走らせたのか、割れ目があれば押し込もうとするのは男の本能だ。



d0053294_0194226.jpg骨壺に骨を収めようと考え出したのも男だろう。胎内から生まれて壺に入るのは人生が環のようにつながって理に適っているが、散骨となると、人間はタンポポのように風に乗って新しい生命が運ばれるかのようで、それはそれで正しいだろう。膣内に射精された精子は、空を漂うタンポポの種子と同じようなものではないか。そう考えると人と植物は似ているが、同じ生物であるのでそれも当然だ。最近よく思うことに、人の指がある。前にも何度か書いたが、内田百閒は人間の指をつくづく不思議で不気味なものと感じた。確かに腕の先が5つに分かれていて、ヒトデのようで不気味だ。筆者は指は樹木の枝分かれと同じ遺伝子が司っているのではないかと考える。そして、体に両手両足が生えていることもそうで、手足の指はそれを相似形でなぞっているだけのことだ。1億年ほど経てば、指の先がさらに5つに枝分かれするかもしれない。そうなれば人間はますます植物に似る。そして、壺に骨を入れられることを拒み、散骨があたりまえになる。それはさておき、骨壺を息苦しいと想像するのか、散骨を望む人が増えている。散骨された場合、墓はなくていいのかどうかだが、近年は韓国に似て骨壺をコインロッカーのような方式で預かる霊園があって、墓も不要になって来ている。骨壺のマンション霊園は、その会社が倒産するとか建物の寿命が来ると、遺骨はどうなるのかと思うが、そんなことはあまり考えずに経営しているかもしれない。やはり墓は外にあった方がよい。死者が雨ざらしで猛暑極寒に耐えなければならないのでかわいそうと思う人は、骨壺マンションに入ることを望むだろうが、魂がせせこましいところに密集させられ、窮屈ではないかとの想像が働かないか。それで散骨を望む人が増えている気がするが、先月だったか、よく喧嘩をした妻の遺骨をトイレに流した夫がいた。それは罪になるのかどうか知らないが、夫が先に死ねば妻も同じことをしたであろうか。そういう女もいるだろう。青酸カリで男を次々に殺す毒婦もいる。内田百閒が人の指が不気味だと言う以上に、人の心がうかがい知れず、不気味の最たるものと言えるか。接する時の言葉や態度とは裏腹に、心では反対のことを思っていることもままあるし、またそれが洗練された人の取るべき態度とされてもいて、人間は心の内を何重にも覆っている。とはいえ、それはシースルーである場合が多く、どのようにつくろっても内面は透けて見えるものだ。特に子どもがそれをよく感得するかもしれない。大人は子どもを侮りがちで、子どもの前では大人に接するようには内面を隠そうとしない。昨日自治連合会の70代後半の副会長の女性としばし話をした。長く生きて来た分、筆者より経験豊富で、傾聴すべき話がいろいろとある。常識にいささか欠けた人物の話題になった時、彼女はぐっと我慢するとのことで、その理由は、必ずそういう人は行動が改まらないから、いずれ誰かと悶着を起こし、誰もが非常識な人であることを知るからで、そういう人を何人も見て来たようだ。そういう非常識は人は、心の内側をうまく隠すことを知らないのか、それともあまりに正直で、思ったとおりに行動するだけなのか。相性というものが人にはあるから、大多数の人に非常識と映ってもそうは思わない人もいる。それでその非常識な人は自分がみんなから嫌われがちであることを露とも知らずに老後を驀進する。好かれたところで普段あまり人との付き合いがないのであれば、痛くも痒くもないし、自慢することでもない。
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 芝生を刈らないと雑草が繁茂しがちで、隣家の芝生に影響を及ぼすから、嫌われ者になる。頭髪と似て、放っておいても生えて来るものは手入れをすべきという考えが常識人にはある。では蔦はどうか。蔦の繁茂は個人の家の壁だけの問題だろうか。種子が飛散して隣りの家にも繁茂し始めるかもしれない。そう考える人は隣家の蔦を鬱陶しく思う。これも先の副会長に聞いた話だが、ある人はしばしば出前の車が自分の家の前に停まることが気に食わないらしく、その店と隣家に文句を言ったそうだ。小さな家が密集しているので、お互い譲り合って暮らして行くべきで、それは常識だろう。ところが、常識は人によって少しずつ違う。自宅の真正面ではなければ我慢すべきと思うが。隣家が出前を取ることが気に食わないのだろう。そういう偏屈は嫌われ者になると思うが、自宅への訪問客が車に乗って来て、隣家の玄関前に少し被る形で停車した時は大目に見るだろう。それでもそういう人は腹立ちの思いをそのまま表わす分、裏表のない正直と言えるかもしれない。だが、正直はやはり嫌われる。正論を言う人もそうで、多少のごまかしには目をつぶり、また賛同し、人との和を保つことを真っ先に考えるべきだ。となると、蔦を生やす人は和を崩しているということで、嫌われ者になる。蔦の緑は目に楽しいので、筆者は迷惑とは考えないが、それほどに筆者は非常識で嫌われがちということになる。頭髪もかなり伸びたなと思う頃、2か月に一度散髪屋に行く程度、庭もほとんど放置状態であるから、蔦で覆われる家を見ると気になる。そういった建物のいいところは、蔦によって壁が見えず、汚れや壊れた箇所が覆われることだ。粗隠しに最適で、筆者向きだ。わが家の裏庭の壁にも蔦は生えるが、隣家に伸びて行くので、毎年根から引き抜く。それでもまた生えて来るからしぶとい。それはさておき、反対の隣家は筆者の所有で、裏庭を少しずつ整理しながら、まだ石灯籠は買わず、先月は地面を覆い尽くした蕗の茎や葉を3分の1ほど収穫し、ネットでレシピを調べて家内に佃煮を作らせた。葉を食べるのは初めてだが、苦味がとてもおいしく、なぜ今まで気づかなかったのかと思う。ま、来年からはもっと刈り取るつもりだが、蕗の大きな葉が繁茂すること自体、庭を造る意志のないことは明白だ。そんな状態であるから、石灯籠など、全く無用の長物だと家内はうるさい。それもあって、最近は熱が冷めているが諦めたのではない。話を戻して、蔦が蕗のように食用になれば、蔦で覆われる家は菓子で出来た家のように多少は見えるかもしれない。蔦は蕗と違ってなぜ人に食べられないようにしているのだろう。それは内面と外側が一致して正直者で、蕗は人に食べられることを見越して生きて来た点で、内と外が一致しておらず、何を考えているのかわからない不気味な植物と言うことが出来る。話がややこしくなって来た。今日の写真は最初は兵庫県立美術館前の中学校だったと思うが、その校舎だ。これに道路を挟んで対面する美術館も蔦が毎年伸びていて、いずれ全館を覆うと思うが、そうなると、嫌われ者になって来場者が減るのではないか。2枚目は先日家内と阪神電車の香枦園駅で下りて西宮市大谷記念美術館に行った時、その途中で撮った。喫茶店だが、もう営業していないのだろうか。蔦はやはり衰退のシンボルで、覆われ具合がひどくなると人は尻ごみしがちだ。3枚目は枳殻邸に行った帰り、すぐ西手で撮った。ちょうど家が取り壊され、その奥の家が丸見えになっていた。つまり、新たに家が建つと、この蔦家は見えなくなる。空家ではないと思うが、高齢者が暮らしているのだろう。窓を頻繁に開け閉めしないと、蔦は窓も覆う。この家はまだそうなっていないが、そうなりかけで、蔦は人の怠惰に乗じてはびこる。食べられる実で出来ればもっと歓迎されるのに、やはり嫌われ者で、それは本来の姿を隠してしまう点で、何を考えているかわからない不気味さと捉えられるからだ。話のツボがわかりにくいが、つまり蔦を繁茂させる家の住民がそうだということだ。
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by uuuzen | 2015-06-25 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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