●広沢池、その4
はミカン科で、枳殻と同じ仲間だが、ミカンと言えば黄色い汁で、檗の樹皮の裏側が目の覚めるような鮮やかな黄色で、染料になることに納得が行く。



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もっともその染料は「黄檗」と言って黄色であることを強調しているが、昨日投稿した『ナショナル ジオグラフィック』誌の表紙の黄色い枠は檗(きはだ)色と言ってよい。その連想もあって、今日は元黄檗寺院であった嵯峨の直指庵の写真を使う。今日の題名とそぐわないが、広沢池に自転車で行った時、池の西端を北進し、時計回りとは反対に2キロほど進んで直指庵の門の前に立つことも計画した。広沢池が3時とすれば直指庵は12時の位置にある。「その2」や「その3」に書いたと思うが、そのほかにも多少の理由はあって、そのひとつは直指庵からほど近いところに住むOさんの住宅周辺がどのようであるかを確認したかったことで、これは直指庵の前を南下したのでその地域を充分に観察したとは言えない。同じ日、つまり5月8日の金曜日、60歳以上は半額になる「風風の湯」のサウナ室でOさんに会って広沢池から直指庵に自転車で回ったことを言った。直指庵を拝観しなかったことを言うと、拝観者が思いを綴るノートで有名な程度で、あまり見るべきものがなく、またどうせ行くなら紅葉の季節がいいと聞いた。先ほどネットで直指庵の画像を検索すると、どれも紅葉の写真で、新緑の季節はあまり人気がないらしい。思い出を綴るには晩秋の方がいいだろう。となると、直指庵にどのような思いを抱いて出かけるかだいたい想像がつくが、これを失恋や配偶者に先立たれたような悲しい思い出専門と言えば直指庵から嫌われる。これも前に書いたが、筆者が直指庵を訪れたくなったのは、若冲関係だ。若冲は有名でも黄檗僧の無染浄善はさほどでもないと思うが、若冲の絵に最も多く賛を書いた人物で、若冲は年配の浄善からいろいろと教えられることがあったと睨んでいる。それでここ10年ほどは浄善に関心を抱いているが、直指庵とは別に浄善が住んだ庵が西京区にあって、そこはまだ訪れる機会がないが、その気になれば明日でも可能だ。それはともかく、今の直指庵は浄善が暮らした頃とは趣がそうとう違っているはずで、もっと鄙びて小さな庵であったろう。Oさんの家系は代々同じ土地で暮らして来られたと思うが、ひょっとすれば浄善に畑で採れたものを持って行ったことがあるかもしれない。禅僧であっても何か食べなければ生きられないから、土地の人たちとはそれなりに仲よくなる必要がある。またそれだけ知識が豊富で人間性のよさも求められ、また独身であるから、いわゆる普通の人とは違うということで尊敬されたであろう。もっとも、誰もが僧侶を尊敬したかと言えばそうではないし、破戒僧も少なくなかった。そうそう、江戸時代と明治時代を半々に生きた落語家の三遊亭円朝の『真景累ケ淵』を10年近く前に読んだが、江戸末期は誰でも簡単に僧になれるようで、またとんでもない悪いことをする人間として登場する。それは円朝の僧侶に対する辛辣な思いの反映でもあると想像するが、それほどに江戸末期には出鱈目な僧が目立ったのだろう。それもあって廃仏棄釈が起こったのかもしれない。それ以降禅僧も妻帯していいことになったが、それこそ若冲時代の禅僧から言わせれば出鱈目かもしれないが、一旦それが許されるともう元には戻らない、正論を唱えるものは排斥されるからで、禅僧が妻帯しようがしまいが、一般人はもはや現代の禅僧に関心を抱いていないだろう。一昨日だったか、男優が1か月間、水だけで生活したというニュースがあった。今の禅僧でもそのようなことはしないだろう。だがその男優が禅僧より禅僧らしいかと言えばそれはまた話が違う。餅は餅屋だ。それでも餅屋にもいろいろあって、昨日なったばかりの者と50年続けている者とでは差がある。餅は餅屋とは限らないということも正しい。
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 直指庵には5000冊の拝観者が綴った帳面があるという特別な日には公開され、誰でも読むことが出来るようだ。だが、60年代半ばのものはもうかなり傷んでいるはずで、寺としてはそれなりに閲覧を制限する必要があるだろう。あるいはもうそうしているかもしれないが、300年ほど経つと貴重な記録としてどこかが出版するかもしれない。著作権は切れているし、書いた人の知り合いもいないとなれば、どこかから抗議が来ることもない。そんなことを想像すると、一度訪れて何か書いておくことは、こうした電子媒体よりいいかもしれない。これも先日TVで見たが、70代の女性がたぶん甥が残したブログの記事を今後も保存したいため、そういう仕組みに詳しい若者からパソコンの操作を手ほどきしてもらっている様子が映った。甥は20代前半で死んでしまい、その思いを知るよすがとなるものがブログで、そのまま放置すればいずれ消えるかもしれず、今のうちにどうにか保存しようということなのだろう。それを見ながら、筆者はこのブログをいつ全部非公開にしようかと思った。消すのではなく、自分だけが読めるような非公開にいずれはするつもりだが、急死すれば放置ということになって、宣伝のどうでもいいコメントが溢れ、雑草だらけの土地のようになるだろう。たまにそのような荒れたブログを見るが、そういう姿にはしたくないので、生きている間にけじめとつけねばならない。出版なら、本が残るが、本はブログより何もかも優れるかと言えばそうではなく、ブログは他のページを容易に参照出来、しかも画像をふんだんに載せられる。そのため、このブログを非公開にしてこつこつと毎日プリントアウトするかと言えば、それはない。そこで思うのは、ブログ全体を同じ形で目に見えるディスクのようなものに保存することだが、先日右京中央図書館で聞いたところによると、新聞の縮刷版が20年ほど前からはDVDになっているらしく、縮刷版の分厚い本という形に比べるとはるかに軽量になって好ましく思った。だが、それは印刷したものを撮影し、その画像を収めたもので、筆者が考えるブログのディスクへの保存とは考えが違う。専門家でないのでわからないが、筆者のブログのデータはexciteという会社に保存されている。そのデータを自分のパソコンか何かに全部保管し、完全に自己管理することが出来ないかと思う。10年ほど前、そのようなことを調べると、可能であることがわかったが、その実際の方法がよくわからない。可能であるのは当然で、excite社がやっていることを個人でするだけのことで、それにはデータ保存の機械か何かを自分のブログ用に獲得すればよく、結局金を払えばどうにかなる。そうすればexcite社が倒産しても関係がなく、自分の家族あるいは友人知人が将来管理出来るし、そのうちそういうことを専門に行なう業者や自治体も出て来るかもしれない。それとは別に考えることは、PDFファイルにして保存することだが、投稿が3600を越えているので手間が大変で、またPDFファイルを見るのは好きではない。それはともかく、5000冊の思いを綴るノートを目の前にしても、拝観者が手にとって読むのはせいぜい数冊の適当な部分で、その人は読むことにすぐに飽きて自分の思いを書き始めるだろう。それで筆者のブログをどのような形に残したとしても誰も気に留めず、消しても同じかと思い至る。無染浄善の存在を筆者はその書で実感しているが、ネットがない時代でもしっかりと後世に伝える手段があった。それで今から慌てて書を学び、一行書を何枚か残しても、禅僧でない筆者に誰も関心を払わないどころか、250年もの長い間、名前が残ることもあるはずがない。そのように思うと、今日の3枚の写真は敷居が高い寺に見える。
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by uuuzen | 2015-06-24 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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