●広沢池、その3
墨と難しい表現を使わず、墨のベタ塗りと言えばわかりやすい。漫画家の弟子はその作業をさせられるだろう。線からはみ出ないように墨を塗るのは簡単なようだが、線の際では気を配らねばならない。



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どのようなことでもそれくらいの留意は必要だろう。羽目を外していいと言われても、それなりの無礼にならない態度は必要だ。実は昨夜、筆者は何年ぶりかで声を荒げた。6人の会合での席で、筆者の独演が15分は続いたろう。それは予想していたので、家内からも熱くならないようにと何度か諭されていたが、その場に臨むとこれまでの鬱憤が爆発した。その理由はここには書けないが、声を荒げたことで問題は解決しなかった。却ってしこりを残したかもしれないが、筆者にすれば1対1での話し合いの場より、しかるべき人がみな集まった席であるから結果的にはよかったと思っている。柔和に見える筆者が爆発したので相手はたじろいだであろうが、理由なき言葉では決してない。トラブルと言えることではなく、ただ相手の無茶で理不尽な要求に筆者が激怒しただけであって、今日はこれまでに至るまでに筆者が相手に抱えていた鬱憤を3つ並べ挙げた。3つとも予測不可能な出来事で、呆気に取られるばかりであったが、それをネタに小説が書けるなと家内に話すと大賛成であった。ただし、今は無理だ。それはともかく、帰宅後すぐに筆者は家内が心配したとおりの行為に出たことを明かすと、やれやれという顔をしたが、3時間ほど後で、「その強さはいったいどこから来るの?」と不思議がっていた。そして、「言いたいことは全部言ったとしても、あまり気分はよくないでしょ?」と訊く。そのとおりだが、黙っていればさらに不満が蓄積し、病気になる。そんなことでは損なので、思いの丈をぶち撒けたが、スカッとしたのと同じほどに、墨が充満して行く映像が浮かぶ。ま、このように書いていても何のことやら読者にはわからない。簡単に言えば、売られた喧嘩は買おうということで、勝つまで徹底的にやるかの思いだ。上から目線で侮られることに立腹していれば切りがないが、今回のことは筆者個人だけに関係することではないから、無視は出来ない。世間には最初から虫の好かない人があればその反対もある。前者と接して生きて行かねばならないのがこの世で、一昨日かいた蛭子さんは金のためと思えばどのようなことも我慢して働いたと意見している。筆者はそれがあまり出来ない方で、嫌いな相手がいる職場は耐えられない。最初に勤務した設計会社でもそのような上司がいて、3年で辞めてしまったが、その上司は10年ほど前に60ほどで亡くなった。嫌な奴が先にいなくなって高笑いをしたい気分だが、そこまで筆者は意地が悪くないので、死んだと聞けば、それなりに憐れだなと思う。それにその上司はほとんど誰からも嫌われ、左遷同然に意に染まない課に回された。人生は平等なところもある。嫌われ者がどういう末路を辿るかは本人以外は知っている。蛭子さんは嫌いな上司を殺すブラックな漫画を仕事から帰って描いていたらしいが、そのようにして鬱憤を晴らせる人はいい。たまに筆者を侮ったような態度に出る人物に出会うが、そういう時、瞬時に「この曝気野郎」と思う。何を自慢することがそいつにあるというのだろう。地位、金、そのようなものは屁とも思わない。そういうものに恵まれているのに、相手を見下す狭量さを持ち合わせているとすれば、それが本当の馬鹿だ。そんなゴミ野郎と出会った後は、話していて楽しい人物のことを思い浮かべる。筆者にはそういう人物が何人もいる。気持ちの通じ合う人とつき合えばよく、嫌な奴からは逃げればよい。学校でも職場でも我慢の限界が来れば辞めればよい。心身を壊されるよりましだ。
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 3日前、神戸方面に出かけながら、予定していた場所を全部回ることが出来なかった。また、はがきを1枚書いたのをどこのポストに入れようかと思いながら、阪神尼崎駅前でようやく見つけた。御影駅で下車し、駅前をかなり回ったのに、ポストは見つけられなかった。今はスマホの時代で、はがきや手紙を書く人が激減し、それで郵便ポストも公衆電話と同じように少なくなっているのではないか。まさかと思うが、郵便も商売になったので、ポストの数が多ければ人件費の無駄だろう。それにしても御影という大きな駅前の目立つ箇所にポストがないとは信じ難い。電車を乗り降りする人が日に数十万はいると思うが、彼らの0.000何パーセントかでもポストを必要とするであろう。よく考えてみると、梅田駅でもポストを探すのは苦労する。確かにポストは珍しいものになっている。それで自宅から150メートルほどのポストに入れて来ればよいのに家内が言ったが、その距離が面倒くさい。ともかく、出先でどうにか投函出来たが、翌日の集荷であることがポストの横側の表示からわかり、家内はやはり自宅近くで出せばよかったのにと言った。それはさておき、そのはがきは、いつどこで入手したか記憶にないが、日本画を印刷した絵はがきで、白い花が咲く睡蓮で充満する大沢池が描かれていた。そうか、今頃の大沢池はこんなふうに白い睡蓮の花が咲いているだろうなと思い、枳殻邸の印月池を思い出した。その話は後日するとして、今日は広沢池だ。だがもうその池の写真は全部投稿した。今日は広沢池を後にし、その西端の道を北上し、時計回りとは反対に進んで直指庵に着くその直前までに撮った3枚を載せる。最初の写真は広沢池の西南端から西北を向いて撮った。ただの田舎の風景だが、見晴らしがよいのが気持ちいい。嵐山や松尾ではこのような景色は望めない。遠くに高く見えるのは愛宕山だろうが、嵐山から見るのと少し趣が違う。ともかく、写真の山裾右手に直指庵があって、撮影位置から2キロ弱だが、初めて道であるから、自転車でも遠く感じた。また走っている間、擦れ違った車は1台のみで、造園業者のものであった。それほどのんびりしたところで、それは2枚目の写真からもわかる。けたたましい声で鳴く野鳥がいたので自転車を停めてしばし眺めた。脚が長いので鴫であろう。嵐山では見かけず、嵯峨はそれだけ自然が豊かだ。鴫は水辺の鳥かかと思うが、当然畑でも餌を獲るだろう。3枚目はもうそろそろ直指庵かというところで小さな溜池を見かけた。そこに菱が繁茂し始めているので撮った。これが大沢池のはずがないと思いながら、池があちこちにあるのだなと納得した。撮影したのは池ではなく、菱目当てで、10年近く前か、菱が生きる池を探して洛北に行ったことも思い出した。自転車ですぐに来られる嵯峨にも菱池があったのに、灯台下暗しだ。だが、この池では菱の実が出来ても入り込んで採ることは無理だ。池の中に嵌り込んで視界が墨で充填されたようになる。池全面を菱が覆い尽くしても、実った棘棘の実は全部填墨されたような暗い池の底に静かに落下する。あるいはヒシクイなどの水鳥が食べるかもしれない。この池から200メートルほどのところに直指庵があった。その写真も撮って来たが今日はもう載せないでおく。同寺では悩み事を抱えた人が訪れ、ノートに思いを書き綴る。筆者はそんなことをしなくても、毎晩この電子画面ノートに思いを連ねている。黒い文字が少しずつ埋まって行くことは填墨と言える。漫画なら罵りたい相手が誰かわかりにくいが、言葉では当人が読めばわかるであろうから、蛭子さんのようには思いを吐き出すことは出来ない。小説にしたところで、登場人物が誰であるかがわかって訴えられた作家がいた。小説作法はどのようにして磨くのか、そんなことを考えるのも面白いかもしれない。
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by uuuzen | 2015-06-17 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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