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●嵐山駅前の変化、その368(自転車道路)
を交わすことを想像したが、その相手はもうこの世にいない。それで今日はその相手が生きていれば話題にしたことから始める。酌量についてだ。



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今朝アマゾンの書評を30分ほど読んだ。酒鬼何とかが書いた本だ。日本には少年法があって、未成年は死刑にまずならない。これからの人生を慮ってのことだ。それで人を殺してもまた普通の人と同じように娑婆に出て来て生活をする。その時点で殺人の罪は償ったのであるから、何をするのも自由だ。それで本を書いても罪に問われることはない。書評を見ると、星ひとつが圧倒的に多数で、最高の5つをつけている人でも思いはひとつである場合が同じく断然多い。昔、開高健が書いていた。小説はいろんな人が書くし、そうあるべきだという。その中に殺人を犯した人も入っていたかもしれない。そうでなくても思いはそうだろう。戦争に兵士と駆り出された人は、戦争という特異な状況下ではあるが殺人をすることを命じられる。富士正晴は中国人を殺さずに済んだが、殺していれば酒鬼何とかと同じで、殺人を犯した者がその経験を書いて食べることに代えたと言われるし、実際そのとおりだ。開高健は「小説」と断ったのであって、酒鬼が書いた本はそうではない。そのためにアマゾンの書評でさんざんな評価を下されているかと言えば、やはりそうではない。戦時下とは違って平和な時代に無抵抗の少年を殺したことは、絶対に許されるべきことではないという思いがみんなの共通した思いであって、大多数の人がその常識を酒鬼が娑婆に出た時にもなお適用しようとする。これでは酒鬼は目立たないように社会の片隅で生きて行かねばならないが、大多数の人はそれが当然と思っている。筆者は酒鬼が書いた本を読むつもりはないが、事件を犯した時から自己顕示欲の強い者であることを感じた。それは大人になっても変わらない。書評には酒鬼の人格が全く変わっていないと書いている人が大勢いるが、筆者にはあたりまえのことに思える。こう考えるのは嫌な気分になるが、彼は殺人を犯した後、現在の自分の姿を視野に入れていたはずだ。つまり、娑婆に出て事件について書くという計画だ。自己顕示欲を満たすためには世間を騒がせるに限る。そして、ほとぼりが冷めればまた賑わせたくなる。彼は思湧くどおりに生きて来ていて、これからもまたほとんど人には予想外のことをして世間を不評を買うだろう。それでも平気で、かえって嬉しいのではないか。ま、そのようなことを酌を交わしながら死んだ友人Nと話したかったが、どのような答えが返って来るかは予想がつく。未成年であるとの理由で罪が酌量されるのはそれなりの理由があってのことで、それは仕方がないと言うだろう。だが、未成年の年齢をもっと引き下げるべきとも言うだろう。そういう難しいことになると酒の場では話が進みにくい。そこで話題を変えることになるが、筆者はこう言うだろう。酒鬼はどのように育てられたか。これは子どもを持つNも筆者にも興味がある。酒鬼が今後結婚して子どもを持った時、その子をかつて自分が殺したように手をかけるだろうか。誰でもわが子はかわいいから、まさかそのようなことをしないはずだと言うが、では酒鬼も親からかわいがられたはずなのに、なぜ殺人を犯したか。ここが世間の親はびくびくしながらふと考えることだ。まさか殺人をするなどとは夢にも思わなかったはずの酒鬼の親や肉親のはずだ。それなのに驚愕の事件を起こしてしまうことがままある。では酒鬼は親や身内を困らせてやろうと思って事件を起こしたかと言えば、それは筆者にはわからない。本にそのことが書かれているのかどうかだ。
●嵐山駅前の変化、その368(自転車道路)_d0053294_1262333.jpg 40年ほど前か、フランス語を教える教授の息子がその親を金属バットで殴り殺した事件があった。同じような事件はその後よくあるが、教育者に育てられた子どもが親に復讐するのであるから、普通の家の子が大それたことをしても少しも驚かないかと言えば、案外そうではなく、教育者というのは親として、あるいは人間としてだいたい欠陥が多いのではないかと普通の人は思う。酒鬼は親を殺そうとは思わず、他者を選んだ。親を殺していればまだ世間は同情的であったろうか。中国の清時代は、親を殺した子どもは衆人の前でくくりつけられて体を包丁で切り刻まれた。儒教では親殺しの罪が最も重いからだ。日本では儒教は明治維新でほとんど忘れたので、親殺しよりも他人の少年を殺す方が情状酌量の余地がないとされるのではないか。子どもに殺される親は、子の育て方を間違ったのであって、殺されても仕方がないだろうとの考えだ。それに親も、わが子が他人を殺すよりかは自分を殺してほしいと思う。酒鬼の事件の衝撃が大きかったのはそういう事情だ。他人に迷惑をかけないというのが日本では最大の、また暗黙の常識、良識で、酒鬼が本を出したことにほとんどの人が立腹するのもそう思えばわかる。あれほど迷惑を他者に及ぼしておきながら、また蒸し返して傷口に塩をなすりつけるのかとの思いだ。筆者が疑問に思ったことは、酒鬼が出版ではなく、ネットを考えなかったのかだ。ブログその他、自由に思いを書くことは出来るだろう。それなのに印税の入る出版を選んだことに大きな自己顕示欲を見る。アマゾンでの不評はそこを感じるからだ。やっかみも混じっているかもしれない。1000万円を稼ごうとするのは若者には大変なことだ。Nと酒を飲みながらつながる話は、次はそこに落ち着くだろう。ではその次は、酒鬼が印税を全部殺した子の親に譲ればどうかだ。そのことで世間は酒鬼に人間的なところを見て、批判をかなり撤回するのではないか。実際酒鬼はそうすべきだ。犯した事件をネタに大金を得るのであるから、それをひとり占めするのはあまりに強欲だ。法律はそこまで決めていないが、決めるのは簡単ではないか。ところで酒鬼は酒鬼と名乗るからには酒には強いだろう。そうであるとして、酒を飲んでいい気分になった時、ついでに人を殺したいなと思うかどうか。そんな人間とは酌を交わしたくないが、筆者は酒鬼は酒を飲めないと思う。酒の飲めない人はたまにいる。偏見かもしれないが、あまり面白くない。Nとはそこで意見の一致を見て大いに盛り上がる。「酒鬼何とかという奴、あいつ酒の鬼のように酒に強いかな」「それはないやろ。酒は嫌いやろ。酔うのは嫌いというか、酔えへんやろ」「人殺しを想像して酔うのは困るな」「そういうのもおるやろ。パゾリーニの映画『ソドムの市』は人殺しを見て勃起する男が出て来てやろ。あのような男はきっと昔からいるんやで」「エロスとタナトスが強くつながってるんやな」「最高の性の絶頂が人の死と結びついているという奴やな」「病気か」「そやな」「困ったな」「そやな」「どうする」「人殺しして刑務所やな」「酒鬼みたいに出て来たらどうする」「どうしよもないやろ」「人殺しに代わる何かを見つけるやろな」「そやろな」「それでまた人に迷惑をかけたらどうする」「また刑務所やな」「それだけでは効果ないかもしれへんで」「切り刻みの刑か」「誰がやるんや」「酒を鬼みたいに飲ませて薔薇の棘を踏みつけさたらええんちゃうか」「酔ってたら痛み感じえへんやろ」「それも困るな」「何や、痛みを感じさせたいんか」「あたりまえやろ」「痛み感じて人のそれもわかる」「昔からようそう言うけど、他人の痛みは感じないとも言うしな」「それで子どもの間でいじめが多いんや」「想像力が減少してるんや」「アホということか」「ま、そうや」「アホにつける薬はないで」「仕方ないな」「ま、そうやけど、わが子が同じようなことしたら困るな」「その心配は誰でもするで」「心配する家では本当は心配ないで」「そやな。変に自信過剰な親なほど、子どもが変なことしよる」「復讐か」「辻褄が合ってるということや」。
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 今日の写真は去年の今日撮った。アスファルトが敷かれた後、川側に柵を設置、そして石灰でラインが引かれた。これで完成だが、写真はもう1回投稿分がある。開通式はなかったと思う。最近自転車の事故が増加しているためか、規則が厳しくなって来た。歩道を通ってはならず、反対車線を逆走してもいけない。それでも時と場所によりけりで、また自転車乗りをすべて観察するにはあまりにも不合理だ。それでもっぱら交通量の多いところや、商店街の中といった、事故が生じやすい場所が対象になる。それはそうと、筆者は今日尼崎の商店街の中で視力検査をした。最初は0.2と0.3で、それほど視力が落ちていることが信じられず、再度挑戦した。すると0.1と0.2と出た。両眼を一緒に機器内部を覗くが、筆者には映し出される判別記号がどれも二重に見えた。家内に言わせると乱視だ。検査結果のプリントには、「今のままでは車の運転が出来ません」と書いてあった。車の免許がないのでその心配はないが、すぐに思ったのは自転車だ。その規則が厳しくなっている昨今、視力検査の結果次第では裸眼で乗ってはならないとされる日も近いのではないか。筆者はサングラスは常用しているが、近眼レンズの眼鏡は所有したことがない。そんな眼鏡をかけるのは嫌で、度つきのサングラスにしたいが、何万円もするだろうから、買わない。手元さえ見れればそれでよく、自転車で人や物にぶつかるほど視力は弱くない。それに多少ぼやけて見えてもいいではないか。鮮明に見えることがいいとばかりは言えない。アナログ時代の人間で、4Kや8Kなどと解像度が劇的によいTVはどうでもよい。そんなに画質がよくても、視力が弱ければ意味がない。画質がよすぎて粗が見えるというのは興醒めで、粗が見えないほどに人と付き合うのがよい。とはいえ、これは難しい。年齢を重ねると他者の粗はますます見えるようになる。それでもひとり暮らしの孤独感が大きければ多少の粗を我慢して誰かと一緒に暮らしたいと思う。そして男は金がそこそこあれば、そのことがどうにかなると思い、結婚相談所に登録する。そこで出会った女に毒を盛られて殺されるのであれば、金などない方がよかったことになるが、それでは女は誰も見向きもしない。金目当てで人殺しをするのは、殺人の中でもわかりやすい。殺したかったから殺したというのが厄介で、頭が狂っているというしかない。酒のことをよくキチガイ水と言うが、世間では酒を飲んで鬼のように暴れる者を狂人とみなす。それは酒から醒めれば普通の人であるから、人よりも酒のせいだと情状酌量で見る。酒鬼も少年であるのに酒飲みで、それで酩酊して殺人を犯したというのであれば、世間は多少大目に見たかもしれない。酒に酔うのは当然で仕方ないとされるが、殺人への強い関心に酔って実行に移されるのは、世間にとっては大迷惑で、だから酒に溺れさせて薔薇の棘を踏みつけさせればどうかとの発想も生まれる。ついでにその足で自転車道路を走らせ、どこかにぶつかって転倒し、血を流すのはなおいいかもしれない。つまり、自分の肉体から出る血を見て痛みも感じてみろということだ。他者の痛みを感じるにはそれしか方法がない。酌を汲み交わしながらそのようなことを年配者から酒鬼は聞かされたであろうか。そうであっても癪に触ったかもしれない。きっと自分以外の人間は馬鹿に見えているのだろう。
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by uuuzen | 2015-06-14 23:59 | ●駅前の変化
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