●渉成園(枳殻邸)、その1
からたち(枳殻)の木を初めて見たのは7年前の2月で、そのことを「トゲラッキ」と題して『おにおにっ記3』に書いた。その時から枳殻邸にはいつか行かねばと思ったが、その門の前を歩いたのはその随分前のことだ。



d0053294_0341337.jpg

筆者は今でもたまに京都駅から四条烏丸の間を歩くが、同じ道では面白くないので、西は堀川通りや烏丸通りから東は高倉通りまでの南北の道をジグザグに歩くことが多い。そのことで枳殻邸の場所を知ったが、拝観料を支払ってひとりで広い庭を鑑賞する趣味がない。何かきっかけがほしいと思っていると、枳殻邸は石川丈山が作ったことを最近知った。詩仙堂は去年家内と見たので、そのつながりで枳殻邸を訪れる理由がようやく出来た。1か月ほど前、枳殻邸に行くつもりでいた。今調べると5月10日に出かけていて、「釘抜地蔵」にそのことをほのめかしている。たぶんその日だと思うが、もう少し後かもしれない。ともかく、家内と一緒に六条西洞院のバス停から歩き、枳殻邸の門の前に午後4時半頃に着いた。門には小太りの50代後半らしき警備員がひとり立っていて、今からでは30分しか見られないと言う。それで諦めた。京都市内に住んでいるのであるから、その気があればいつでも来られる。警備員にそう言うと、「それがいい」と笑って同調した。その日は六条西洞院のバス停から六条通りをひたすら東に行ったが、狭い道でしかも懐かしいような古い家並みがあって、面白かった。右手に煉瓦の高い壁がしばらく続き、その壁は戦前の工場を思わせるが、寺の塀のようだ。六条通りは真っ直ぐではなく、その煉瓦塀を越えてしばらくすると、突き当りに出る。そこは寿司屋であった気がするが、その店の前を南に10メートル程度でまた東に向かう道がある。それも六条通りで、それをさらに東に進み、そしてこの辺りであろうと思える道を南に行くと、右手に文子天満宮という、見慣れた神社が見える。そこまで来れば枳殻邸はすぐ南だ。同天満宮から50メートルほど南で道幅が広くなり、その四つ辻から南に100メートルほどで枳殻邸の門がある。つまり、門は西を向いていて、そこからしか入れない。筆者が所有する1969年に美術出版社が出した『古美術ガイド 奈良・京都』によれば、枳殻邸に入るには東本願寺で無料の拝観券をもらえばよいとある。それは昔の話で、無料では広い庭園の維持管理の費用に困るだろう。枳殻邸は東本願寺の飛地で、同寺の3分の1ほどの面積があり、また正方形の敷地だ。その西端の辺の中央に門がある。一片が200メートルほどで、ざっと1万2000坪か。これだけ広い庭園が京都駅から徒歩10分ほどのところにあるのに内部を見たことがないとはもったいない。そう思えば家内も筆者も東本願寺の内部には入ったことがない。西本願寺も同様で、その東側を歩いたりバスの車窓から眺めたりするだけだ。門徒でないので、何となく敷居が高い。また、そう感じさせるほどの広大さで、威圧感がある。飛地になっている枳殻邸を見たからには、もうそう考える必要はなさそうで、折りを見て訪れてみようと思う。それはさておいて、ついに枳殻邸に行ったのは今月7日の日曜日だ。天気がよかったので行くことにしたが、筆者はまずは京都府総合資料館で調べものがあった。本を2冊確認するためであったが、嵐山から同館までバスを二度乗り換えて1時間半要した。それなのに、調べものはわずか5分で済んだ。しかも1冊は所有している本で、半分以上は無駄足であった。午後2時に高島屋で家内と待ち合わせし、同店に着いたのはどうにか2時5分で、家内を怒らせずに済んだ。お互いケータイを持たないので、待ち合わせはいつもスリルがある。落ち合ってから食事しようとしたが、それでは前回と同様、枳殻邸に着けばまた閉園少し前になってしまう。それで先に枳殻邸に行くことにした。家内にはどこへ行くかは言わない。
d0053294_0343210.jpg

 四条河原町からバスに乗り、河原町正面というバス停で下りた。そこで下りるのは初めてだが、家内は筆者が枳殻邸に行くつもりであることにぴんと来た。今度は市比賣神社の前を通って西へと向かったが、初めて歩く道だ。どの辺りで左すなわち南に向かうかがわからない。河原町通りに面した同神社の東辺はよく知るが、北辺に門があり、中に若い女性が2,3人座ってクジのようなものを見ていた。女性の厄除けで有名で、良縁を求める女性が訪れる。そうそう、バス停で下りる直前、車窓から中国人らしき若い10人ほどの男女を見た。外国人観光客がどこにいても不思議ではないが、市比賣神社や枳殻邸を訪れることはほとんどないだろう。筆者らが信号のないところを車が途切れた瞬間を見計らって河原町通りを西へ横断すると、一足先に彼らもそうしていたようで、すぐに彼らが立つところに接近した。すると、眼鏡をかけた女性がバス路線図を片手に筆者に向かって来て質問した。今いる場所がわからないが、金閣寺に行きたいと言う。これは困った。金閣寺はまるで方角が違い、バスを二度乗り換える必要がある。そのことを路線図を示しながら伝えたが、順調に行っても1時間はかかるとつけ加えた。それは拝観時間が1時間を切ることを意味している。彼らはそれを悟ったであろうか。最初眼鏡の女性は金閣寺の方向を正反対の南方を指したが、それほどにバス路線図はわかりにくいということかもしれない。筆者は北を示しながら、西日の方向から東西南北がわかるのではないかと思ったが、スマホに磁石機能がついていないのだろうか。たどたどしく、何人かが「アリガトゴザイマシタ」と言い、神社の前で別れた後、いつものごとく筆者は家内の50メートル先を行く。家内は西日を眩しがりながら、しぶしぶ顔でゆっくり歩いて来る。筆者は「おかしいな」と焦りながら、100メートルほど先に西洞院通りらしき車道が見えるところまで来て、行き過ぎたことを悟った。そして少し戻って適当に道を南下すると、そこに見慣れた煉瓦塀があった。そこは当然六条通りだ。東に向かえば前回と同じように文子天満宮前から枳殻邸の門へと続く道に出る。この道は今地図で調べると間之町通りと呼ぶ。文子天満宮より少し北に、取り壊し中の古い家を見かけた。濡れた畳が2メートルほど積み上げられ、奥は居間であった様子が伝わる。庭はもうすっかり更地になり、おそらく戦前に建てられた家が次は鉄筋コンクリートのマンションになるだろう。その家には老婆がひとり住んでいたかもしれない。そのことを想像し、そして落ち着いたたたずまいの家がなくなることが何となくさびしい。それは翳りが消えることで、若者にとってはどうでもいいことかもしれない。市比賣神社北辺を西に向かうと、まだ昭和っぽい雰囲気が強い。それは狭い六条通りと同じで、筆者は好きだが、外国人観光客も同じように感じるのではないだろうか。表通りばかりでは旅の思い出は薄い。裏道を味わってこそ、記憶に凹凸が出来る。ついでに書く。取り壊された古い家の前の少し北の東側に、10数年前に一度入ったことのある建物を見かけた。違うかもしれないが、まじまじとその玄関扉に目が吸い寄せられ、遠い記憶がかすかに蘇った。日曜日で休みであったのかもしれないが、誰も住んでいないようなさびれ具合だ。そこは趣味の外国切手を売る店で、筆者はドイツのとある切手を求めるために訪れた。40代の女性がいて、分厚い切手帳を何冊も見せてくれた。そこに筆者の求めるものは含まれず、仕方なしに中東のどこかの国が出したビートルズの切手シートを買った。時間を取らせて何も買わないでは悪いと思ったからだが、女性は終始無愛想で、筆者の質問にも気乗りせずに答えた。わずかな金持ちコレクターに支えられているような店であったのだろう。
d0053294_035226.jpg

 枳殻邸で撮った写真はもう全部投稿用に加工したが、「その4」か「その5」まで続くほどある。それだけ書くことがあるかどうかわからないこともあって、今日は序的にどうでもいい話を二段落書いた。最初の写真は門を真正面から撮った。内部に警備員が立っていて、彼は前回話した人とは違って若くて細い。写真を撮る筆者を真正面から見ていて、不審者と思ったかもしれない。写真の右下に黒い正方形が見えるが、その左端に同じ高さで白い文字で書かれた注意書きが直角に交叉する。そこに書かれる文字は「犬の糞お断り」で、近所の人が散歩中にその塀の角で用を足させるようだ。その犬が園内に入れば、それこそあちこちで糞を残すだろうが、江戸時代ではそういうことがあったろう。そういう不埒者を防ぐためにからたちの垣根を作ったのかもしれない。写真の左には「名勝渉成園」の五字を彫った石柱がある。筆者は「枳殻邸」の方が馴染みがあるのでそれを使うが、からたちは「トゲラッキ」と呼ぶべき長い棘々がある垣根向きの灌木で、最初に書いたように筆者は7年前に妹の家の近くの寺で見た。門の際の垣根にからたちが巡らされていて、枳殻邸もそうなっているのかと想像したが、現在は外側にはそれは全くない。だが園内にもとなれば、別名の枳殻邸の名が廃れる。2枚目の写真は門を入ってすぐ右手の受付でひとり500円を支払った後、警備員に順路を訊ねた後、指示された方向に歩んだ最初に見かけた植え込みと石垣だ。緑はからたちで、写真からはわからないが、5センチから10センチ近い棘がたくさん生えている。とはいえ、申し訳程度に植えられているだけで、見逃す人は多いだろう。この植え込みは最初の写真の警備員の背後に見えている。つまり、門を入って突き当りの石垣を左に折れて進むが、これは園内をだいたい時計回りに巡ることを意味している。石垣はいろんな形をした石を組み上げていて、その造形が抽象絵画のように面白い。2枚目左端に家内が写っていて、そのずっと奥に白い車が見える。西北角は駐車場になっていて、そこに車を停めた人は門中の受付まで来て拝観料を支払うのだろう。拝観料は大人ひとり500円以上となっている。500円は最低ということだ。筆者らは貧乏なので千円札を1枚出した。すると受付の女性はどこから来たのか、何度目かなどと質問する。京都市内から初めて来ましたと言うと、A4サイズのカラー刷りの薄い冊子を2冊もらえた。同じものでは1冊返そうかと思ったが、1冊は枳殻邸について、もう1冊は園内の花についての解説書だ。それは500円ほどの価値はありそうなので、結局は無料で拝観出来るのと同じだ。ただし、二度目だと答えるともらえないかもしれない。あるいは簡単な園内の案内チラシか。というのは、筆者らはもらわなかったそれを持っていた人を見かけたからだ。3枚目の写真は帰りに見つけて撮ったが、2枚目の写真の撮影位置から近いところに立つ園内図だ。平面図の下が西で、門の位置の下に園内案内チラシが貼りつけられている。この平面図は、門から入ってすぐ矢印が4本連ねられている。ところが、中門の手前でそれは途切れていて、その奥は自由に歩いてよいということだ。4枚目の写真は2枚目の写真の奥、駐車場の手前で右手すなわち東に折れて撮った。奥に見えるのが中門で、その奥が園内だ。右手の建物を初め、建築物には一切入ることが出来ず、また一部青いシートに覆われた建物があって、枳殻の「邸」を拝観するのではなく、「渉成園」という庭園のみを楽しむ。建物内部に入ることは常に許されないのか、あるいは特別の期間のみはそれが可能なのかは知らない。京都には非公開寺院は多く、たまにそういうところが「冬の旅」などと称して有料で拝観させる。枳殻邸も同じなのかもしれない。詩仙堂では建物も庭も面白かったので、その何倍も規模の大きい枳殻邸であるからには、全部の建物の内部を見せてほしいものだ。それには500円では足りないと言われそうだが、別料金を払ってでも一度は座敷から庭を眺めたい。そのような写真がもらった案内書の表紙を飾っていて、それを見た者は誰でも撮影位置と同じ視点を経験出来ると勘違いする。
d0053294_0353458.jpg

[PR]
by uuuzen | 2015-06-10 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


●嵐山駅前の変化、その367(... >> << ●切株の履歴書、その7
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
ご指摘どうもありがとうご..
by uuuzen at 12:22
Frank zappa ..
by ザッパ at 08:30
何年も前に書いた文章に感..
by uuuzen at 16:20
はじめまして。興味を引く..
by 文学座支持会元会員 at 11:15
最近あまりに多忙で録画は..
by uuuzen at 15:31
唐突に失礼いたします。ど..
by タイタン at 14:59
暴力事件は訴えても警察が..
by uuuzen at 15:11
地下鉄の件事件になります..
by ネイル at 19:07
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
上から目線で頭が悪い人
by 名無し at 08:13
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2017 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.