●嵐山駅前の変化、その367(自転車道路)
が700羽生息している瀬戸内海の島の映像を先ほどTVで見た。早速YOUTUBEで「うさぎの島」と入れて検索すると、たくさんの映像が投稿されていた。



d0053294_19082.jpg1971年に島の子どもたちが飼っていた8羽を放ったのが40数年で100倍近くに増えた。兔好きにはたまらない場所だろう。世界でも珍しいというか、ないらしい。天敵がいないので爆発的に増えたのだと思うが、餌がなければそれも無理で、兔の島として有名になるにしたがって訪れる人が増え、餌を与えられる機会がそれについて増加し、それで野生とはいうものの、半分飼育されているような形で兔算式に多くなって来たのだろう。ということは、兔の島として観光客が訪れる限りは、増えるか、現在の数が保たれるだろう。だが、天敵が本当にいないのだろうか。猛禽が本土から飛来すれば、それこそ餌に困らず、今度は猛禽の島になるかもしれない。あるいは、病気だ。一羽でもウィルス性の病気になれば、瞬く間に感染が拡大し、半分ほどはすぐにいなくなるのではないか。TVでの紹介を見ながらそんな心配をすぐにした。それにしてもYOUTUBEの影響は大きい。その映像を見て海外から訪れる人がいる。本土からフェリーで15分で着くのでさほど面倒でもないが、それでも広島の辺鄙な場所だ。筆者は動物の趣味がないので、兔年生まれであるにもかかわらず、映像を見ただけで行った気分になった。島は戦時中は毒ガスを製造していたこともあるらしく、その資料を展示する施設もあるというが、兔で有名になったのはいいことだ。兔が棲息出来るのは温暖な島であるからで、囲まれた地域では独特な生育が発展して行く。ガラパゴス諸島と同じで、それはたとえば島国の日本全体についても言える。日本に海外から観光客が急増しているのは円安が原因でもあるが、それよりも海外の人から見れば、日本にはガラパゴス化した面白いものがたくさんあるからだ。そういうものに日本で生まれ育ってはなかなか気づきにくい。それで若者は海外に出るべきとよく言われるが、今の若者は安全でしかもどうにか衣食住に困らない日本をあまり出たがらない。そこで思うのは、兔の島の700羽は喧嘩やいじめはないのだろうか。YOUTUBEでは餌に群がった兔は、次の餌場を見つけると、2,3羽の背中を跳び越えて去って行く。それが見事で、間違って他の兔の背中に跳び乗ることがない。人間なら餌の奪い合いで、それこそみんな餓鬼のように目が血走り、殴り合いがあちこちで起きるだろう。兔も餌がごく少ないとそうなるのかもしれない。そんなことを思うと、動物でいることが悲しくなる。人間も動物であることを最近はつくづく感じるからだ。話が変わる。一昨日家内と四条河原町の高島屋で待ち合わせをした。出会った後、家内が言うには、店内にとても老人が目立ったことだ。みんな洒落た身なりで、またいかにも暇を持てあましているように見えたらしい。若者は数えるほどと言ってよいほどで、いかに日本が急速に高齢化しているかを実感したと言う。去年の4月に家内は定年退職したので、それ以降あまり高島屋には行かなくなった。それでなおさらこの1年ほどの客層の変化がわかっただろう。また、家内は日曜日であるからかもしれないと言ったが、暇がたっぷりとある高齢者は平日も日曜日の区別がないだろう。日曜日ならむしろ若者が多いはずだが、若者が少ないのは百貨店で買い物をしなくなっているからとも思える。高齢者が目立つことを家内はどう思ったのか訊いていないが、筆者はその話を受けて代わりに言った。先日従姉夫婦との4人で洛西の温泉に行った時のことだ。施設に着いたのは午後2時半頃で、真昼間だ。それでも満員と言うにふさわしく、しかもほとんどは70代後半以上の老人であった。男でもあまり醜い裸体を眺めるのは嫌なもので、筆者は何とはなしに楽しくなかった。それは老人が傍若無人に振る舞いがちでもあるからで、また10年すれば自分も彼らの仲間入りをするのかと思うと何となくうんざりする。それでいつ行っても客がとても少ない「風風の湯」の方がいいと思ったが、そのことを家内に言った。自分の肉体は40代や50代から見れば醜いものになっているであろうから、人間は勝手なことを考える。
d0053294_191574.jpg これもTVの話だが、何が最も心を和ませるかと言えば、かわいい赤ちゃんの笑顔だと先ほど思った。筆者は孫を見ることはなさそうだが、自分の子や孫でなくても、赤ちゃんはかわいい。その笑顔にこっちまで顔がほころぶ。赤ちゃんは何を考えて笑うのか知らないが、生まれて間もない生き物はみんな同じように笑っているはずで、そこに生の絶対的な肯定を証明するものがある。これもTVの話になるが、今朝9時前か、家内が64と62の夫婦が生活保護を受けていて、近所でも仲がよいと思われていたのに、夫は妻の首を絞めて殺した事件があったと、まだ半分眠っていた筆者に言った。家内が驚いたのは、ほとんど筆者らと変わらない年齢であるからで、身につまされると多少は思ったからだろう。夫が妻を殺したのは、憎いからではなく、将来を悲観したためかもしれない。もう生きる望みを失ったのだろう。60代前半の夫婦が生活保護にかかるとは、もう残りの人生に金を儲ける夢などまず持てない。誰しも赤ちゃんの時があって他者を笑顔で和ませるのに、人生の荒波を進んで行く途中でいろんなものを失って行く。その分、豊富に得るものもあるはずで、笑みを忘れてはならないが、いつしか不満を囲い、眉間に皺を寄せる。話題をまた変える。昨日は昼過ぎに郵便局に行った。小雨であったので傘を差していたが、帰り道で背後から声をかける女性がいた。自治連合会のMさんだ。マラソンをするなど、元気いっぱいの女性だ。数年前にご主人を亡くしたのに、そういうことを感じさせないのは、元々女は男より環境に適応しやすい動物であるからだろう。それはともかく、Mさんはなぜ筆者とわかったのだろう。後ろ姿で肩から上が見えなくても人には特徴がある。筆者は特に歩き方が変わっているらしく、家内は遠目にもすぐにわかると言う。Mさんと立ち話を15分ほどした。その話にまた高齢者の話題が出た。30年ほど前か、わが自治連合会では小学生が1000人いて、70歳以上が300人であったらしい。それが今は前者が300人で、後者が1700人と聞いた。しかもこれからまだ高齢者は増え続ける。それは日本の縮図で、家内が高島屋で老人ばかり目立ったのは当然だ。ここでまた話が変わるが、昨夜布団の中で家内と話したことに、何をしている時が一番楽しいかという問いがあった。家内の妹はきっと、「おいしいものを食べている時」か、「百貨店のブティックで高価な服を買った時」のどちらかだが、筆者は食べ物は全く思わない。食べたいものを思い出すだけで食べた気分が蘇って満腹感が生じ、一汁一菜で充分と思う。それで家内に、「雑談している時」と答えた。Mさんと15分話をしていた時、Mさんの背後に車がやって来て迷惑そうであった。「こんな狭い場所に立って話をするな」という顔をして車はぎりぎりMさんの自転車の際をゆっくりと通り過ぎて行った。ふたりはとある民家の前にいたが、飼い犬が何度も筆者らの存在が気になるらしく、吠え立てた。それでも15分というのは、いくら雑談好きでも長いだろう。Mさんとは今年に入って何度か話をしたから、久しぶりでもなかった。家内につけ加えたのは、「アホなことを笑いながらしゃべれる相手との雑談」で、誰でもいいのではない。Mさんが言ったことの中に、65歳以上の独居老人を毎月一度見舞う委員をわが自治会住民で、絵描きの大志万さんが担当しているが、65歳以上の独居老人の全員がそのサービスを受けたいことはないらしい。そのことについてMさんは、「わかるやろ」と言ったが、つまりはあまり他人と話をしたがらない、家に入れたくない人がいるということだ。そういう人が雑談が嫌いかと言えばそうではないだろう。大志万さんは筆者より一回りほど年下で、高齢者にとっては少しでも若い人に訪問してもらうのは楽しいことではないかと思うが、誰しもそうとは限らないのだろう。高齢になると、難しい性質になりがちなのだ。話がどうしても高齢者になってしまう。
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 最も楽しいことが雑談であれば、このブログは楽しい行為となる。半ば嫌々だが、書いている時は思いつくままで、夢中だ。それが楽しいことと言ってよい。家内は先の質問の後に「絵を描くのか文章を書くのか、どっちが好きなの」と訊いた。「どっちも」と答えながら、筆者は小学3年生の授業を思い出していた。前にも書いたことがあるが、カレンダー作りの授業があった。12枚の絵を描き、その下に活字のような数字も書き込む。これがとても楽しく、さっさと仕上げた筆者は周囲の者の作業を嬉々として手伝った。その時に発した言葉を今でも覚えている。「絵でも字でも任せてや」。その頃から筆者は絵でも文字でも、とにかく手先を使うことが好きであった。そのことを家内に言った。絵と字は普通は区別されるが、美意識の産物である活字は絵の一種と考えてよい。あるいは活字でなくても美しい書き文字はあって、手先で美しいものを生み出すことが筆者の得意とすることだ。そのことで言えば、こうして書く文章はあまり得意ではないことになる。実際筆者の文章は語彙が少なく、また表現も月並みだ。それで毎日書いて練習に励んでいると言えば聞こえがいいが、もう熟達する年齢ではない。そういうことを家内は気づいているので、毎晩大きな音を発しながらキーを叩いて雑文を書いていることがあまり気に入らない。もっと本当の専門に励めということだ。さて、雑談を重ねてどうにか今日の三段落目の半ばまで来た。今日の4枚の写真は去年の今日撮った。前回と違うのは、アスファルト舗装がなされたことだ。きれいに仕上がっていて、まだ誰も歩いていない。舗装の外側は土であるから、スニーカーで歩くとその跡がつく。そんなことを思いながら、2,3枚目を撮影のために筆者は舗装を横切った。確認すると土足跡はついていなかった。出来上がったばかりのきれいなものはいい。やがて舗装はポロポロと剥がれが目立つようになるが、そうなればまた舗装される。ただし、高齢化に向かう日本で、このような道路まで補修する費用がいつまで税金で賄えるだろう。嵐山は観光客が今後も大勢来るであろうから、日本の人口が8000万人になっても税金を投入していろいろときれいな状態が保たれるだろうが、日本のガラパゴス化状態が外国から飽きられればそうも言っていられない。その時までに出来る限りの手を打っておくのがいいとして、兔を放し、40数年後に700羽ほどにする二番煎じのアイデアは駄目で、兔を見てみんなが微笑むように、笑みをもたらせる何かが望まれる。赤ちゃんでも出来ることなのに、高齢者にとって難しいとはこれいかに。そのことを本気で考えると、人生がどうあるべきかわかりそうだ。
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by uuuzen | 2015-06-09 01:06 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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